第65章―9
さて、そんな感じで他の衆議院議員、例えば、上杉景勝や吉川広家の下を訪問して、日系植民地の独立問題の根回しを上里愛がしている内に梅雨時になっていた。
正直に言って、愛にしてみれば苦手な季節である。
何しろ愛の本来の故郷はユーフラテス川のほとりであり、正直に言って砂漠に近い気候と言っても過言では無い所で生まれ育ってきたのだ。
だから、日本に来た際、こんなに多くの雨や雪が降るところがこの世界にあるのだ、と愛は驚いたのが正直なところだった。
暑いだけならば、それなりに慣れ親しんではいるが、あくまでもカラッとした暑さに慣れているのであり、こういったジメジメした暑さは愛にとって鬼門に近い。
却って冬の寒さの方が、まだ個人的にはマシと愛は内心で考える程だ。
そんなことを愛が想っていたある日、琉球王国の三司官の謝名利山親方が、自ら上京して琉球王国の独立問題を日本政府の各所に訴えに来た。
勿論というのも何だが、謝名親方はそれだけの為に来た訳ではなく、それ以外の様々な問題、例えば琉球の砂糖や台湾産の樟脳等の産物についても訴えに来ており、当然と言っては何だが、伊達政宗農水相にも面談を求める事態になった。
そして、その場に愛は政宗に言われて同席することになった。
さて、伊達農水相と謝名親方の面談だが。
「我が琉球王国が、北米独立戦争の際に数千の将兵を派遣したのは覚えておられると思いますが」
「あの戦争が起きた時、私はまだ小学生でしたが、ここにいる愛の父(本当は義父)にして私の叔父が北米独立戦争の際には前線で戦っており、その際に琉球王国の将兵は肩を並べて戦うに値する者が揃っていた、と私は叔父から直に聞いております」
「それは話が早い」
二人の面談は穏やかに始まった。
愛は内心で考えた。
そう言わないと、この謝名親方は機嫌が悪くなるらしいのよね。
下手なことを言うと、
「私は新高山麓で台湾の原住民相手に初陣を飾り、北米独立戦争にも北米共和国軍の際にも弾雨をかいくぐって、何度どころから何十度も戦場で戦った身だ。そして、身体中に様々な傷痕が残っておるが、背中に受けた傷は一つもない」
から始まって、延々たる戦場談義をするとか。
今では琉球王国の若手官僚の間でも、謝名親方の戦場談義が始まり次第、逃げ出す者が多いとか。
実際に軍人として戦場では勇敢に戦い、そして、官僚に転じてからも有能さを示して、琉球王国独立推進派の領袖になって、三司官にまでなっているのだから、悪い人では無いのだろうが。
愛にしてみれば、義父の上里清が武功を誇る性格でないことも相まって、戦場談義をする謝名親方には何となく好感が持てない。
そんなことを愛が考えているうちに、伊達農水相と謝名親方の話は本題に入っていた。
「ともかく、琉球王国は北米独立戦争を筆頭に日本の為に何度か血を流しました。それに報いるためにも、琉球王国を真の独立国にしていただきたい」
「私個人としては、母方祖父の上里松一や養祖母の上里愛子が元をたどれば琉球出身と聞いており、その点からも琉球王国の独立に個人的には味方したいですが、その真の独立というのが問題です。琉球王国内から日本軍を完全撤退させよ、と言われるのですか」
「その通りです」
「それは流石に呑めませんよ。というか、日本政府及び軍上層部は、独立後も日本軍の駐留を求めるでしょう。琉球王国の地政上、それが当然です」
二人のやり取りを聞いた愛も、政宗の言うのはもっともだ、と考えざるを得なかった。
何しろ(この世界の)琉球王国の領土は、北は奄美諸島から南は台湾までなのだ。
その間に日本軍が駐留しない訳には行かない。
そうしないと明帝国への対処ができない。
ご感想等をお待ちしています。
(尚、本来ならば片倉景綱がいるべきなのに、片倉景綱ではなく上里愛が謝名親方との会談の場にいる理由は数話後で明かします)




