第65章―4
だからこそ伊達政宗を始めとする一部の衆議院議員は、逆転の発想に至っていた。
「実際問題として、日本本国が植民地を手放さずにいることが、究極的に日本本国の有権者にとって良い事態をもたらすとは、自分には考えられなくなっている」
「それはそうでしょう。例えば、日本本国内で懸命に様々な農産物について品種改良の研究を行い、新品種を量産化できることが日本本国内で出来るようなったら、数年も経たない内に日系植民地でも大量生産されるようになっては。日本本国の農産物の優位の維持は不可能ですよ。工業製品は尚更です」
伊達政宗と片倉景綱は、気心の知れた仲であることもあり、そこまで踏み込んだ会話をした。
実際に政宗と景綱の会話は、現実を踏まえた会話としか言いようが無かった。
禍福は糾える縄の如し、という言葉があるが、そうとしか言いようが無い事態が多発していた。
まず、北米独立戦争の余波が及ぼした結果である。
北米独立戦争自体は1580年に終結した(メタい話をすれば)20年前の過去のことだが、この戦争が勃発してから現在に至るまで、再度、日系植民地が日本本国に対して起こさないように、日本本国は日系植民地でいわゆる「皇民化教育」に励むことになった。
そして、それはそれなりに上手くいったのだが、日系植民地においては中南米や豪州等、住民の多くがそもそも論になるが日系人が多数派になる。
(この辺り、史実の欧州諸国がアフリカ大陸等を植民地化した事態と大きく違うのだ。
史実の欧州諸国の場合、何だかんだ言っても母語が異言語で、かつ異民族が植民地の住民の大半というのが現実だったのだが、この世界の日系植民地の場合、異民族がそれなりに住んでいても、日常会話等は日本語が当たり前という植民地が殆どだった)
だから、日本本国の多くの資本家にしてみれば、人件費が日系植民地の方が安いのならば、工場移転等を躊躇うどころか、むしろ推進する方向に流れた。
(それこそ史実で日本の大企業が、一時、首都圏等の人件費が高いのならば、地方に工場を移転して人件費を節約しようと動き、更に海外に工場を移転させたようなものである)
何しろ日系植民地では、それなり以上の教育が行われており、日本語に通暁した安価で良質な労働者が多数いるのだ。
日本本国の工場維持に苦心するよりも、工場移転に奔るのは当然の話としか言いようが無かった。
農産物に至っては尚更の話になる。
これが外国との関係ならばまだしも、日本本国で様々な改良が施された新品種が開発されると、速やかに日系植民地でも大量に生産されるのが当然のようになっている。
これについて、日本本国の農民の多くが、懸命に品種改良して新品種を作っても、すぐに日系植民地でも大量に生産されるのを止めて欲しい、と不満の声を挙げているが。
これに対しては、同じ日本国内なのだから、日系植民地でも大量に生産できるのが当然だ、という反論が日系植民地の住民や、いわゆる商人、仲介業者から挙げられていて、そちらの声の方が大きいのが現実だった。
こういった現実を変える方法としては、究極的には一つの方法しかなかった。
それは日系植民地を日本本国から独立させて、独立国になるのを認めるという方法だった。
更に言えば、日系植民地の住民の多くが、日本本国の国政に関われない現実から、独立を暗に求めているという現実までもある。
だから、ここまでくれば日系植民地が独立国になるのを認めて然るべき、という意見が日本本国内でも強まっているが。
その一方、日系植民地が独立するのを認めては、日本本国が没落するという感情論も高いのが現実で、それに政宗らは頭を痛めることになっていたのだ。
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