第65章―2
そんなことから瓢箪から駒が出る感じで、二条昭実内閣が1598年に成立したのだが。
更に多くの新聞、雑誌等が、二条内閣発足当初は所詮は一時的な臨時内閣のように考えていたが。
結果的に1600年になっても、二条内閣は順調に健在のままだった。
その最大の原因だが、二条内閣の最大与党と言えるのは発足当初の事情から労農党といえるのだが、労農党内の派閥抗争から、二条内閣を潰したとして新たな内閣を組閣するのが誰かとなると意見がまとまらないという事情があった。
二条内閣を潰したとして、代わりに彼奴が新首相になるのならば、自分は二条内閣を支持するという労農党の衆議院議員が、それなりどころではなく大半だったのだ。
(更に言えば、伊達政宗もその一人だった)
更に言えば、労農党以外の連立与党議員にしても中国保守党以下、労農党が首相を出さないのに、自分が首相になるとは言い難い現実があった。
何だかんだ言っても連立与党内で過半数を占める最大与党が労農党なのだ。
そうした中で、労農党を差し置いて自分が首相になると言っては、それこそ労農党の衆議院議員が大反発を起こしてしまい、連立与党が崩壊する事態が起きることになるだろう。
そうなっては、与党として甘い汁を吸うことができない。
こうした打算が陰であったことから、二条内閣はそれなりに安定して継続する事態が起きていた。
だが、それに加えて多くの国会議員が表立って言えない裏事情も加わっていた。
「それにしても植民地の農林水産物等に対して国内関税を掛けてくれ、と日本本国の多くの農民が言う時代が来るとはな。そのために大袈裟に言えば、毎日のように日本本国各地から陳情団が農水省に来るようになるとは」
伊達政宗は、少し目を据わらせて片倉景綱に話しかけた。
「確かにこんな時代が来るとは、自分も子どもの頃には全く考えなかった事態です」
景綱も政宗に即答した。
実際、日本の植民地は世界中に広がっているといっても過言ではない。
北米大陸の植民地の大部分が独立を果たして北米共和国になったとはいえ、中南米大陸や豪州大陸、太平洋の多くの諸島や、アフリカ大陸の南端部等が今でも日本の植民地だ。
そして、そこでは様々なモノが生産されていて、日本本国にも売り込まれる事態が起きている。
更に言えば、そうした中でも小麦やトウモロコシを始めとする農産物が問題を起こしていた。
日本本国と日本の植民地は、どうのこうの言っても同じ日本の国内である。
だから、関税制度等は存在せず、安い人件費の下で生産された植民地産の農産物が、日本本国に大量に売り込まれる事態が起きていた。
こうしたことから、まずは日本本国の農民が国内関税制度の導入を訴える事態が起きていた。
だが、そうは言っても日本本国で生産されたモノの方が、新鮮で良質として日本本国の消費者の評価が高かったので、そんなに大きな声に日本本国内では最近まで成っていなかったのだが。
徐々に進んでいる第二次産業の日本本国から日本植民地の移転が、更に問題を大きくしていた。
卑近な例で言えば、毛織物工業の多くが人件費の安さにつられて、豪州等への工場移転を行うような事態が起きていたのだ。
何しろメタい話になるが、この世界では日本語が公用語として日本の植民地では教育されており、言語の問題が日本本国と植民地間では皆無と言って良い。
だから、人件費の安さから日本本国から日本の植民地へと工場の移転を図る企業が増えていた。
当然のことながら、こういったことは日本本国産の様々な工業産品にとって、日本の植民地産の工業産品が強力なライバルとして出現することでもあった。
これも日本では大きな問題となりつつあった。
史実の仏植民地や英のインド植民地等と異なり、この世界の日系植民地では住民の日常会話さえも日本語で、そういったことから日本本国から植民地への工場移転が容易という事態が起きるのです。
更には農産物についても、植民地が遥かに安く生産できるという問題が。
こうしたことから、この後の流れが起きることになります。
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