第64章―4
さて、実際のこの世界初の反応兵器(原爆)実験についてだが。
「3,2,1,0」
反応兵器(原爆)実験のためのカウントダウンが終わった瞬間、猛烈な光が上里清の目に届いた。
太陽観測用のサングラスを掛けていないと失明するのではないか、と清自身が危惧する光だった。
少しメタい話を交えるが。
実際問題として、反応兵器が爆発した瞬間に閃光、猛烈な光が出ることは予測されていたのだが、その光の強さも事前には不明確としか、言いようが無い代物だったのだ。
それこそ、清は太陽観測用のサングラスを掛けていたが、織田信忠はそんなに強い光が出る筈が無いとして通常使用のサングラスを掛けている等、この反応兵器を実見している面々でさえ、対応が違うのが現実だったのだ。
(尚、後で清が聞いたところによると、紫外線防止が施された車の窓ガラス越しとはいえ、サングラス無しで反応兵器の閃光を実際に眺めた猛者さえも、この場にはいたという)
「うわっ」
信忠が反応兵器が発生させた光の強烈さに悶絶して声を挙げてすぐに、猛烈な衝撃派が観測所に届いたのを清は感じた。
その衝撃波は、半地下式になっている観測所を揺らして、小型地震に遭ったような様相を引き起こすことになった。
「ピカドンだ」
それ以上の言葉が、清の脳内には浮かばなかった。
いや、ピカというべきかもしれない。
それ程の閃光が目を焼いた。
太陽観測用のサングラスを自分は掛けていたから大丈夫だったが、通常使用のサングラスだったら、信忠と同様に悶絶する羽目になっていただろう。
更にその閃光が目を焼いて、そう間を置くことなく、猛烈な衝撃波が20キロも離れているこの観測所にまで届くとは。
この衝撃波は、ドンという以外の表現方法を自分としては思いつかない。
この二つを合わせて表現するならば、反応兵器は「ピカドン」と呼称するしかない気がする。
清はそんなことが反応兵器の爆発の瞬間に思い浮かんだ。
だが、その一方で、
「思ったよりも小さな爆発だったな」
「ええ、TNT火薬で考えれば100キロトンには到底満ちませんね」
「やはり核分裂を使った反応兵器では威力不足だな。核融合を使った反応兵器を開発すべきだ」
「そうすれば、メガトン級の威力を目指すことができそうです」
「そのためにも、反応兵器の実験を引き続き行わないといけないな」
そんなある意味では、マッドサイエンティストとしか言いようが無い会話が、この反応兵器の実験に加わっている一部の科学者の間では交わされていた。
実際(この世界の)日本の反応兵器開発について、核融合を活用した反応兵器(水爆)をまずは開発すべきだ、という声が科学者の一部から挙がっていた。
核分裂よりも核融合の方が、威力が大きな反応兵器を開発、製造できる筈だ。
そうしたことからすれば、核融合を活用した兵器を積極的に目指すべきだという主張だった。
勿論、そう言った主張をする面々は、それなりの理屈があって主張している。
大威力を発揮する兵器を日本が保有すれば、その恐怖に因って諸外国を怖れさせることができ、それによって恒久的な世界平和が実現されるというのだ。
だが、どちらかといえば、そういった意見は科学者の間でも少数派で、それ以外の一般人まで入れれば更に少数派に転落する。
多くの者が、そういった兵器を保有することは、それこそ軍拡競争を世界で引き起こすことになり、却って世界を危機に陥らせることになりかねない、と主張している。
研究開発は止むを得ないが、それを兵器として保有するのは条約等で禁止すべきだ、というのが大勢であり、それを上里清や織田信忠は支持して、更には自らの身内を始めとして周囲に働きかけることになった。
全くの余談ですが。
この話の描写に関しては、史実の史上初の核実験「トリニティ」に関する逸話を、それなりに使わせてもらいました。
例えば、直に核爆発を見たというのはファインマン博士の逸話ですし、核爆発の威力が小さい云々は、「水爆の父」テラー博士の逸話です。
更に言えば、「トリニティ」に関する描写をここで使おうと考えたのですが、どうもしっくりこないので、広島、長崎を参考にしたことから「ピカ」、「ピカドン」という描写になりました。
ご感想等をお待ちしています。




