第63章―4
さて、話が前後してしまうが、この序でに上里愛と美子は、夏休みを利用して帰省している美子の同級生になる徳川完子の家を、武田家を訪ねた数日後に訪れていた。
尚、言うまでもなく望月千代子らも、上里愛らの警護の為に同行している。
「美子ちゃん。本当に来たの」
「行くって、約束したでしょ」
そんな感じで完子と美子が和気藹々と話す横で、愛は徳川家康らと話をすることになった。
「よくぞ、来られたの」
「徳川家康様にまでお会いするとは」
「何。色々と話しておきたかった。何しろ将来の日本の首相候補の秘書とあってはな」
愛と家康は腹の探り合いを、まずはした。
愛は既述だが、現在の日本最大の与党、労農党の衆議院議員の中で将来の最有力首相候補と目されている伊達政宗の第二秘書を務めている。
だから、家康がそのように言うのも当然なのだが、愛としては警戒せざるを得ない。
「それにしても、息子が傍におれば、と悔やまれてならぬ。傍におれば、今のようなことにはなっておらなかったのにな」
「確かにそうかもしれませんね。でも、今更のこと。私も色々と過去には想うことがありますね」
家康が何を言いたいのか、愛は即座に察して受け答えをした。
家康がここでいう息子は、松平信康のことだ。
(この世界の)信康は、北米独立戦争の結果として、カリフォルニア総督に就任して従四位下の官位を今では帯びている。
そして、未だに家康は信康の勘当を解いておらず、父子の和解はなっていない。
家康としては、信康に和解を申し入れているのだが、信康は自らの母の瀬名に対する父の様々な仕打ちは未だに許せない、として和解を拒絶している。
そのために家康も信康の勘当を解くどころではない事態になっている。
愛はそれ以上は口に出さずに内心で考えた。
家康様としては、信康が傍にずっといれば、北米共和国の大統領の地位を武田家に奪われることは無かった、と悔やまれてならないのだろう。
実際に年齢等から考えれば、信康が家康の傍にずっといれば、家康の思い通りになっただろう。
だが、信康と家康の和解は未だにならず、徳川家は雌伏を強いられている現状にある。
秀忠の成長を家康は待つしかないが、早くとも1606年の選挙まで待つしかないだろう。
何しろ秀忠は1576年生まれなのだから。
そんなことを愛が考えている内に、他の徳川家の面々も愛に声を掛けて来た。
中でも積極的なのは、秀忠の妻の小督だ。
「本当に美人姉妹ね。羨ましくなってくるわ」
「小督様もお綺麗ですよ」
「本当に男女関係は色々というけど、男女関係で思うことは絶えないものね」
小督と愛はやり取りをした。
「夫(の秀忠)は堅物なのだけど義父が酷くて。本当に手を焼いているわ。全く孫より年下の子どもを積極的に作ろうとするのだから。いい加減にしろ、と考えるわね」
「うるさい!男は幾つになっても男なのだ」
小督の言葉に家康が即答するが、小督の耳には馬耳東風だ。
「完子だけど、学習院で色々と目を配ってね。(織田)美子伯母さんがいるから大丈夫とは思うけど、こういうのは目が多い方が安心だし」
「分かりました」
小督の娘を想う言葉に、愛は寄り添った。
「それにしても、男の子が欲しいものね。未だに男の子が産まれないのが、何とも言えなくて」
更に小督は小声でそっと嘆いた。
愛は小督に体ごと無言で寄り添った。
下手に言葉にできることでは無かったからだ。
小督は男児、徳川家の跡取りを産みたいと望んでいるが、3人の子は全て娘だ。
結婚して10年が経とうとしているのに、娘ばかり3人が生まれているとは。
子どもが産まれるだけに、却って小督の内心では辛さがいやますのだろう。
愛はそう考えて、小督に寄り添った。
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