第62章―19
まずはモスクワ市民に対するローマ帝国軍等の救援活動から描くと。
「取り敢えずはモスクワ市の疫病患者の治療、それからノミやシラミの駆除を行わねばならない」
そう言った判断がローマ帝国政府から下されて、日本や北米共和国に至るまで協力が求められることになり、それに呼応した様々な救援活動が展開されることになった。
現実問題として十万人単位の疫病患者が、現在進行形でモスクワに溢れているのだ。
これに対する様々な救援活動を行った為に、ローマ帝国軍の進軍が完全に止まる事態が起きた。
(本来の予定では、ローマ帝国軍はモスクワを攻略した後、すぐにエウドキヤのモスクワ大公位継承の即位式を執り行う予定だった。
それにより、ローマ皇帝はモスクワ大公も兼ねる存在であるとして、何れはシベリアや中央アジアまでもローマ帝国軍を進撃させていくつもりだったのだが、モスクワ市民への様々な救援活動を行う間に冬が到来したのもあるが、翌春までローマ帝国軍は基本的に動きが取れない事態が起きた。
又、エウドキヤが疫病にり患しないように、更に下手に現状でエウドキヤのモスクワ大公継承の即位式を行っては、モスクワ市民等から大反発を受けるとも考えられたことから、モスクワの疫病が収まるまでは、どうにもローマ帝国軍、政府が動けない、エウドキヤのモスクワ大公即位式等は以ての外、としか言いようが無い事態が起きたのだ)
ともかくモスクワ市民等への救援活動については、それこそこの当時に世界第三位の超大国と言えたローマ帝国と言えど、自国だけで緊急対応するのは不可能な話だった。
こうしたことから、日本や北米共和国等から、様々な物資が提供されて人員も送り込まれた。
例えば、まだ開発、実用化されたばかりといえるテトラサイクリンを始めとする様々な抗生物質までもが、モスクワの疫病患者には投与された。
(遥か後世において、この時の抗生物質投与は完全な緊急避難措置だとまでいわれる程だった。
それだけきちんとした治験が行われることなく、抗生物質が患者に投与されたのだ)
諸外国から駆けつけた医師や看護師も、モスクワの疫病患者の治療に奮闘することになった。
とはいえ、これだけでは疫病の更なる蔓延が阻止できない。
そうしたことから、DDTを始めとする殺虫剤、農薬が積極的にモスクワにおいては散布され、それによってノミやシラミの積極的な駆除が行われることになった。
(尚、これについても遥か後世では議論が引き起こされることになった。
実際にこの殺虫剤、農薬散布によってノミやシラミが激減して、疫病の蔓延阻止が果たされたのは間違いない事だったが、その代償として様々な環境汚染、具体的には大幅なガン患者の増大等が起きたのではないか、という指摘、批判が起きたのだ。
そして、この議論は後々になるまで結論が出ない話になっている)
ともかく、そうしたことに軍医や衛生兵以外の一般の兵士までが、モスクワ攻略に当たったローマ帝国軍の将兵からは投入される事態となってしまった。
幾ら軍人として上官の命令には基本的に黙って従え、と指導教育されていても勘弁してほしいと多くの将兵が考えざるを得ない事態としか言いようが無かった。
福島正則は予てからの身内と言うこともあって、加藤清正に正直に愚痴らざるを得なかった。
「理屈は分かるというか、モスクワ市民を救え、と言われれば、全くもってその通りとしか、言いようが無いのは自分でもわかる。だがな」
それ以上は流石に福島正則とて、どうにも口に出せなかった。
加藤清正は黙って、福島正則の肩を叩いて目で語った。
「自分も全く同じ想いだ。だが、どうしようもない」
福島正則も無言で肯いた。
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