第62章―18
そして、この大規模な医学のうねりによって、欧州の医学界は疫病が発生した場合は疫病で亡くなった患者については火葬にすることで疫病の蔓延を防ぐべきだ、と訴えるようになったのだが。
ここで猛反発したのが、キリスト教の聖職者達だった。
(というか死後の復活を信じるユダヤ教を始めとする世界の一神教徒全てに通じる大問題だった)
遺体を火葬にするのは、死後の復活ができないことになり大問題だ、と彼らは訴えたのだ。
そして、遺体を火葬にした場合は、聖職者の多くが自分は葬儀を執り行わないとまで公言した。
こうしたことから、欧州で火葬が広まることは暫く無かったのだが、次に起きたのがローマ帝国の復活と東西教会合同へとつながる大きな動きだった。
ローマ帝国を復興させたエウドキヤは、10歳までモスクワで幽閉生活を送っており、まともな宗教教育等を受けてはいなかった。
そして、エジプトで様々な教育をエウドキヤは受けたのだが、当然のことながら、その教育は日本の知識に基づくところが大きかった。
又、この当時のエジプトは多宗教の空気に満ちていた。
オスマン帝国からの半独立を果たし、税制についての独自性を認められていたエジプトでは、ジズヤが無い等の理由も相まってユダヤ教徒が集うようになっていた。
又、当然のことながら、エジプトはイスラム教徒以外にコプト教徒が従前からそれなりの規模で住んでおり、日本人を始めとする仏教徒も商売等の為にそれなりの規模で滞在していた。
更に言えば、仏教徒等のために公式の火葬場がエジプトにはある現状まであった。
(尚、21世紀現在でもイスラエルやギリシャといった国々に公式の火葬場は無いようです)
こうした空気の中で育ったエウドキヤは東方正教徒ではあったが、厳格な信徒ではなかった。
ローマ帝国を復興させ、東西教会の合同という夢を抱いてはいたが、究極は現実主義者になった。
だから、国民を疫病から守るためには、時として疫病患者の遺体の火葬も止むを得ないと考えた。
とはいえ、それこそ宗教に関することである。
更に上里勝利を始めとする
「カエサルの物はカエサルに、神の物は神のに返しなさい」
という言葉を象徴とする政教分離の主張も帝国政府上層部では強く、エウドキヤが如何に女帝であるとはいえ、東西教会に対して火葬を是認するように強制はできなかった。
だが、そういった状況を変えることがあった。
イエズス会の一部が暗躍した偽ドミトリー皇子擁立の一件が生じさせた余波の一つといえるが、偽ドミトリー皇子擁立でエウドキヤが激怒し、ローマ教皇の任免権をローマ帝国が握るとまでローマ教皇庁を恫喝したことは、ローマ教皇庁を震撼させた。
少しでもエウドキヤの機嫌を取ろうと、予てから医学界が求めていて、エウドキヤも支持していた疫病患者の遺体の火葬について、ローマ教皇庁が是認する態度を執ることにしたのだ。
更に実際にこの当時の欧州においては、疫病が重大な脅威となっていたこともあり、これをきっかけにして、東方正教会でも総主教が集まった会議で、疫病患者の遺体の火葬を認めて、聖職者が葬儀を執り行うことが是認されることになったのだ。
この9月15日時点でモスクワにいる兵や民の3割以上が疫病で倒れる惨状とあっては、それこそ少しでも効果的な疫病対策は必要不可欠としか言いようが無いことで、そうしたことからボリス・ゴドゥノフはモスクワ市の降伏を最終的に決断した。
更には、ローマ帝国軍は、それこそ遺体と血と排泄物等で溢れかえったモスクワに入城して、モスクワにいる人々の救援活動を急いで行うしかなく、そのために日本や北米共和国にまでも援助を乞う事態が引き起こされた。
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