第62章―3
さて、このクリミア・ハン国との戦いに何故にこのような部隊が編制されて、石田三成らが投入されているかというと。
クリミア・ハン国がローマ帝国領内に対して行う掠奪、襲撃を防ぐと共に、国境を少しでも東にすることで安全地帯を広げようとする戦略、作戦が執られることになったからだった。
ウクライナがローマ帝国領となった後のことについて、様々なインフラ整備(道路や通信網等)の整備を現地で行うことで、クリミア・ハン国の非正規兵による掠奪、襲撃行を早期に察知して、それを迎撃できるようにすると共に、地元の土地ということから土地勘があり、郷土愛溢れるウクライナ人部隊を編制して彼らと戦わせるべきだ、という石田三成が、キエフ大公にも即位した直後に上里勝利を介して女帝エウドキヤに行った提言は、エウドキヤに嘉納された。
そして、3年余りの歳月の流れは、ウクライナ人部隊を徐々に強化して、クリミア・ハン国への侵攻作戦を徐々にだが可能にするまでの実力を彼らに付けさせることになったのだ。
更には、こういった動きにもう一つの理由も加わるようになっていた。
それはモスクワ大公国からウクライナへの農奴の逃亡が頻発していることだった。
様々な伝手をたどって彼らはウクライナへ逃げ込むようになっていた。
だが、ウクライナの農地とて有限であり、既に耕す農民がいるのが常だった。
かといってウクライナに逃げ込んできた元モスクワ大公国の農奴を、モスクワ大公国に単に送り返すようなことをしては、それこそローマ帝国の鼎の軽重を問われるような事態が起きかねない。
こうしたことから、モスクワ大公国からウクライナに逃げ込んできた農奴をある程度集めては、新たな農地を開拓させて、更には新たな集落、村を設置しようと試みられるようになった。
だが、これまでのポーランド=リトアニア共和国から獲得した土地だけでは、そういった開拓の余地が足りないのでは、とローマ帝国上層部は考えたことから、クリミア・ハン国から土地を奪って、新たな開拓村を設置しようという動きまでにつながったのだ。
そして、新たな農地を開拓するとなると水利の問題が発生するのは必須だった。
こうしたことから、羽柴秀頼らもこのことに加わることになり、更には実戦経験まであることから、前線に赴くことになったのだ。
更に言えば、このクリミア・ハン国との戦争(?)の現状だが、実際問題としてドニエプル河沿岸からドン河方面へと徐々にローマ帝国の国境線を東進させつつあった。
それこそこの戦線に投入されているローマ帝国軍の将兵の多く、ウクライナ人の面々にしてみれば、クリミア・ハン国の面々はこれまでの人生において、しばしば被害を加えられてきた加害者であり、いわゆる恨み骨髄に徹する相手と言っても過言では無かった。
(以前にも述べたかもしれないが、クリミア・ハン国の面々はモスクワ大公国やポーランド=リトアニア共和国の領内に対して、しばしば掠奪行を繰り返しており、それが嫌ならば貢納をせよ、と強いて来た歴史があったのだ。
そして、その被害に遭ってきたウクライナ人にしてみれば、クリミア・ハン国の面々は断じて許し難い相手で、積極的に戦闘に加わる事態が起きていた)
こうしたことから、ウクライナ人からなるローマ帝国軍の将兵の士気は極めて高く、場合によっては農地を放り出してでも、クリミア・ハン国の面々との戦いに赴こうとする者が多数出ている現実があった。
更には、オスマン帝国の支援があるとはいえクリミア・ハン国よりも、ローマ帝国側の方が武器等がやや優れているという現実までがあった。
この背景がローマ帝国側有利の現状を引き起こしていたのだ。
全くの余談ながら、この辺りは史実のローマ共和国からローマ帝国がやっていたのを、かなり参考にして描いています。
それこそカエサルのガリア征服を始めとして、異民族の襲来を予め食い止めるために征服活動を行うと言うのが、かつてのローマ帝国ではよくあることだったのです。
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