第62章―2
さて何故に加藤清正と加藤嘉明が、このような会話を交わしたのかという裏話をすれば、加藤嘉明は海軍の軍人なのに特別陸戦隊、海兵隊を率いてモスクワを目指すことになっているからだった。
本来から言えば、海軍が特別陸戦隊、海兵隊を編制してまでモスクワを目指す必要は無い。
だが、ローマ帝国のウクライナ侵攻の際だが、ローマ帝国海軍は陸軍に協力するために、海軍将兵の一部を特別陸戦隊、海兵隊として派遣することになった。
そして、加藤嘉明はその特別陸戦隊、海兵隊の一員として武功を挙げることになった。
ここまでならば、加藤嘉明にしても、そう屈託を覚えずに済む話だった。
だが、皮肉なことにローマ帝国のウクライナ侵攻作戦は、その後にはモスクワ大公国への進撃も見据えた代物だった。
又、ローマ帝国海軍はそれこそ欧州諸国においては懸絶する実力の持ち主である以上、張り子の虎状態でも周辺諸国に対する威圧効果は抜群のモノがあった。
そして、ローマ帝国にしてみれば、ポーランド=リトアニア共和国との戦争が一段落し、講和条約締結への路が見えるようになってくれば、モスクワ大公国との戦争の為に陸海軍の力を合わせて戦うべきだという意見が強まることになる。
だが、その一方でモスクワ大公国は、(基本的にだが)内陸国という現実がある。
(細かいことを言えば、バルト海等でモスクワ大公国の領土は海に面している。
しかし、ローマ帝国の領土から見れば、モスクワ大公国は完全な内陸国のようにしか見えないのが現実というものだった)
こうしたことから、海軍軍人の一部が特別陸戦隊、海兵隊の一員となってモスクワ大公国との戦争に投入されるという事態が起きた。
この現実に対して多くの海軍軍人どころか、一部の文官等からさえ、
「それは如何なものか。それこそ海軍軍人としての教育を受けた貴重な人材の浪費では」
という批判の声を挙げなかった訳ではない。
だが、ローマ帝国皇帝エウドキヤにしてみれば、モスクワ大公国と戦争を行い、その末に自らがモスクワ大公に戴冠するのは、それこそ至上命題の話だった。
更に言えば、ローマ帝国は事実上の専制君主国家であるという現実がある。
こうしたことから、エウドキヤがモスクワへの進軍の際に海軍の将兵のを投入せよと呼号した場合、それこそ海軍軍人を特別陸戦隊、海兵隊として陸上の戦いに投入するのを、上里勝利でさえ止められない事態が起きてしまった。
こうした背景から、海軍軍人の加藤嘉明が海兵隊を率いて陸上で戦う事態が起きたのだ。
更に皮肉なことを言えば、加藤嘉明は陸上で戦っても有能なことを、ウクライナでの戦闘の際に実証してしまったのだ。
こうしたことから、加藤嘉明は海軍軍人からなる部隊、海兵師団を率いてモスクワを目指すという何とも言えない事態が引き起こされていた。
「本来から言えば、ドネツ河からドン河流域の完全制圧を私は目指したい程ですよ」
加藤嘉明は本音を零した。
「確かにな。だが、そちらには別の部隊が派遣されている」
「そうですな」
二人は敢えて、その部隊指揮官の名前を挙げなかった。
下手に挙げると、福島正則が荒れるのが分かっているからだ。
もっとも二人にしても、色々な意味で不本意な話なのも事実だった。
ドネツ河からドン河流域制圧に当たっているのは、石田三成らだった。
更にそれに羽柴秀頼らが協力している。
配下に島左近や大谷吉継、浅野幸長らを揃えているこの部隊(基本はキエフ攻略の際に編制されたウクライナ人民兵隊から優秀な者を選りすぐり、ローマ帝国陸軍の部隊に改編されている)は、積極的な攻勢戦略、作戦は採らずにいて、クリミア・ハン国軍と戦って徐々に東進を進めていた。
舞台がロシアなのを考えれば、特別陸戦隊、海兵隊は海軍歩兵と描くべきかもしれませんが、日本由来と言うこともあって、海兵隊と記述することにしました。
尚、余談ながら、ソ連海軍歩兵は第二次世界大戦においてモスクワやスターリングラード等で実際に戦い、それなり以上の戦果を挙げたそうです。
ご感想等をお待ちしています。




