第61章―1 ローマ帝国のモスクワへの進撃準備
新章の始まりになります。
1600年春、ローマ帝国の女帝エウドキヤは、モスクワ大公国(ロシア帝国)との関係についての最終的な決断を下さざるを得なくなっていた。
モスクワ大公国は、エウドキヤにとって本来の祖国といえる存在である。
何しろエウドキヤの実父はイヴァン雷帝と呼ばれるモスクワ大公イヴァン4世なのだ。
そして、エウドキヤ自身も約10歳になるまでモスクワで生まれ育った身だった。
だから、本音としてはモスクワ大公国を平和裏にローマ帝国に併合して、自らの統治下に置きたいと願っており、そのように政治工作等をエウドキヤ(とその部下達)は行ってきたのだ。
だが、現実はそういったエウドキヤ(とその部下達)の努力が無駄だったことを示していた。
尚、このような状況に陥る以前に、エウドキヤにとっては最大の望みの綱というか、自らの考えが通ると考えた根拠があった。
それは何かというと、エウドキヤからすれば同父母兄になるフョードル1世(イヴァン雷帝の死の直後にモスクワ大公に即位した)に子どもがおらず、更には自分以外には表向きは1591年以降に生きているフョードル1世の兄弟姉妹や甥姪が絶無になっていたことだった。
(細かいことを言えば、フョードル1世やエウドキヤの姉になるアンナが、1600年時点においても生存してはいる。
だが、アンナは前田慶次と相思相愛になった末に表向きは死んだことにして、自らはエウドキヤ付きの元侍女だと言って、前田慶次と結婚生活を送っていた。
尚、前田慶次とアンナの間に実子はいない。
ともかく、そういった背景事情もあって、エウドキヤ及びその子しかフョードル1世の兄弟姉妹や甥姪はいない事態が起きていた)
さて、1591年に何があったかというと。
フョードル1世の異母弟ドミトリーが薨去するという大事件があったのだ。
そして、これは数々の疑惑に塗れる薨去でもあった。
この1600年当時、エウドキヤらのローマ帝国に届いている情報によれば、ドミトリーは表向きは事故死、実際には暗殺されたという噂がモスクワ大公国内で流れている状況にあった。
表向きはドミトリーはまだ9歳であって、友人らとダーツ遊びをしている最中にてんかんの発作を起こして、自分でダーツ代わりに投げようとしていたナイフをうっかり自らの喉に刺してしまったことによる事故死だが、実際には全くのねつ造だ、フョードル1世の妃の兄ボリス・ゴドゥノフが、フョードル1世の崩御後に自らがモスクワ大公に即位しようとして暗殺したのだ、という噂が流れたのだ。
(尚、この背景だが、フョードル1世の死の原因を調査したのは、ヴァシーリー・シュイスキーを団長とする調査団であり、その調査報告書によれば事故死ということになってはいる。
しかし、その調査団を派遣したのは、軽い知的障害のあったフョードル1世の摂政になっていたボリス・ゴドゥノフだった。
更にドミトリーが薨去し、フョードル1世が崩御すれば、自らが最もモスクワ大公に縁が近い存在だとして、モスクワ大公位に即位しようとしているという野心家だという噂が絶えない存在だったのが、ボリス・ゴドゥノフなのだ。
こうした背景から、このような背景のある調査団の報告は信用できない、真実はボリス・ゴドゥノフがドミトリーを暗殺して、事故死を装ったという噂が流れることになった。
最もドミトリーは確かにイヴァン雷帝の息子ではあるが、7番目の結婚から産まれた息子で、東方正教会の当時の教会法では3回目以降の結婚は正式とされないことから、大公位継承権を認められておらず、それこそボリス・ゴドゥノフが暗殺する必要がなかったのも事実ではあり、歴史の完全な闇に真実は閉ざされている)
フョードル1世やエウドキヤの異母弟のドミトリーの死の真相については、この世界では完全に闇の世界の儘ということでお願いします。
(この世界は史実準拠ですし、それにドミトリーの死の真相については私が調べる限り、どうにも分かりかねて、闇の話としか言いようが無かったのです)
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