プロローグ―5
「その通りだ」
上里清はそれ以上のことを妻や義理の娘の前で言わなかった。
「「分かりました」」
妻の理子と義理の娘の愛は、それで話を打ち切った。
理子の内心はともかくとして、愛は清が言わなかった事情がかなり推測できていた。
清はようやく開発が完了したらしい反応兵器(原爆)の実験のために豪州に赴くのだ。
できる限りの手段を尽くして、日本本国政府は反応兵器の開発を秘密にしていたが、そうは言っても資金や人員等の流れを完全に秘匿することはできない。
更には苫小牧で原子炉の建設等を行っているのだ。
幾ら人が余りいない土地を選んでいるとはいえ、人の口に戸は立てられない。
それこそ4年前の織田元首相の葬儀の後で、上里家の兄弟姉妹9人が初めて逢って話したらしいが。
その時に何があったのかの詳細を清は理子や愛にさえ口にしようとしないが、口の軽い九条敬子や中院里子が雑誌記者に話した内容に基づいて書かれた雑誌記事によると、北米共和国やローマ帝国の諜報能力に織田美子や小早川道平が頭を抱え込んだ事態が起きたらしい。
それ以上のことは、いわゆるお上から差し止めが暗に出て雑誌記事にできなかったのだろうが。
愛としては、それ以上は書けなかった事情が朧気に推測できていた。
愛にしても労農党の将来の首相候補の一人になっている伊達政宗の第二秘書なのだ。
当然のことながら、色々な機密情報が耳をそばだてるだけで愛の下には入ってくる。
そういった機密情報の中で、日本が反応兵器(原爆)の開発を本格的に進捗させているという情報があったのだ。
更に義父の上里清の動向をずっと観察していれば、愛には容易に推測できることだった。
清はそれに関わっている。
そして、北米共和国やローマ帝国もそれを承知していて、対策(具体的に言えば、自分達も反応兵器の開発を図ろうとしている)を講じようとしているのだ。
幾ら愛が聡くとも限界がある。
未知の兵器の威力を具体的に愛が想像するのは不可能だった。
だが、その一方で様々な噂レベルの情報からだが、このまま行けば世界が滅ぶ程の兵器が何れは開発されてもおかしくないと愛は考えており、反応兵器(原爆)はそうなるような予感を覚えていた。
更には宇宙ロケット等の開発もある。
本当に後100年も経たない内に人類世界が滅んでもおかしくない。
愛はそう考えるようになっていた。
自分の目の前の事、それこそ日本の国内問題(その最大のことが、本国と植民地の関係をどのように処理するかという問題)だけでも、頭が痛いのに。
そして、ローマ帝国はいよいよモスクワ大公国との関係について、最終的解決を図ることに決めたという噂レベルの情報が流れるようにもなりつつある。
本当に頭が痛いことが増えるばかりだ。
実の娘でもある義妹の美子と、この夏に北米に一緒に行こうという話をしてしまったが。
自分は本当にその旅行を美子と共に楽しめるだろうか。
その最中に反応兵器(原爆)の実際の威力を知らされて、心を痛める気がする。
いや、それ以前にローマ帝国とモスクワ大公国との関係についての最終的解決の方が始まる公算大と考えるべきだろう。
もう一つの日本本国と植民地の関係は、まだまだ時間が掛かることになるのは必然だし。
愛がそこまで考えていると、理子が声を掛けて来た。
「余り考えないようにしなさい。この世は神が造ったのではないのだから」
「そうですね」
理子の言外の意味を察して、愛は即答した。
そうだ、この世は神が造ったのではないのだ。
そのために悪が溢れている、とマンダ教徒の自分は教わったではないか。
それから考えればやむを得ないと割り切らざるを得ないのかも。
養母の言葉を愛はそう考えることにした。
これで第11部のプロローグを終えて、第61章に入ります。
第61章ではローマ帝国のモスクワ侵攻を描くことになります。
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