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第五十八章<私の毒舌な婚約者9>

 しばしの間、ぼんやりとそんなことを考えていれば。

 

 「あっ!父様!父様ってどこにいるんですか!?」

 

 突如として上げられた、リリアーネ嬢の叫びが耳を貫いた。

 ルークに対して怒りを見せた時でさえ冷静だった彼女がここまで取り乱したことに驚きを覚え、まじまじと彼女の顔を見つめてしまう。

 

 一拍後、我に返ったリリアーネ嬢はハッとした表情をして、サッと視線をそらした。

 アレンはそれに気づかないふりをして、簡潔に答えを述べる。

 

 「ルミナス公爵は既に自宅まで送っている」

 

 「はい?」

 

 間髪入れずに、そんな反応が返ってきた。

 先ほどと対照的に、ころころと変わる表情が面白い。

 そんな感情をおくびにも出さず、アレンは淡々と補足を入れた。

 

 「ルークに国交一時停止を言い渡す前に送らせた。もう着いているだろう」

 

 「それは…ありがとうございます。」

 

 軽く頭を下げ、素直に礼を述べるリリアーネ嬢に対して、

 

 「気にするな」

 

 と、それだけを返す。

 それだけだった、筈なのに。

 

 宝石のような彼女の瞳が、こぼれんばかりに見開かれた。

 それに続いて――

 

 自身の口角が、上がっていることに、気づいた。

 

 ……自分は、笑うことができるのか。

 

 最初に出てきた思いは、そんなもので。

 続いて、最後に笑みを浮かべたのはいつだろうかと、記憶を手繰る。

 その記憶はとてもあやふやで、明確に思い出すことができなくとも、それがかなり以前のことだと知った。

 

 それゆえに、自分が笑っているということ自体に戸惑いすら感じる。

 

 ただ、それが目の前にいる美しい令嬢のおかげだということは、驚くほどすんなりと頭の中に入ってきた。

 

 そしてふと、リリアーネ嬢がアレンのことを凝視していることに気づいた。

 それだけで、心臓がドクンという音を立てて、必要以上に大きく鳴る。

 

 どうすればいいのか、さっぱりわからない――否。このまま、こうしていたい。

 

 お互い、微動だにせずにしばらくの間、見つめあっていれば、馬車が止まった。

 どうやら、着いたようだ。

 

 馬車から軽い動作で飛び降りたアレンは、リリアーネ嬢へと、スッと手を差し伸べる。

 おそるおそる重ねられた手をギュッと握って、彼女を馬車から降ろした。

 

 出迎えに出ていたルミナス公爵に目礼すれば、軽く頭を下げられた。

 隣に佇む侍女も、同じように頭を下げている。

 

 そんな二人を横目に見つつ、アレンはリリアーネ嬢に向き直った。

 

 「今日は、いろいろとありがとうございました。」


 開口一番礼を述べてきた彼女に、どんな言葉を返そうか、少しばかり悩み――本音と悪戯心をないまぜにした、そんな思いを返す。


 「また、日を改めて迎えに来る。」

 

 アレンが自分に婚約を打診したなどとは露程も知らないリリアーネ嬢は、表情を変えぬまま大きな当惑を抱いていることだろう。

 そんな彼女が、父親からその話を聞いてどんな反応を示すのか――少々恐ろしいが、同時に愉快な気分になった。

アレンsideも次で終わりに……なるといいな……

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