狩人の姉友 3(終)
アルコール濃度の高い時間が終わり、最後の客が帰った後に軽く店の掃除をする。閉店処理含めて一時間で済ませたら時刻は23時を過ぎた辺りになっていた。あれだけ騒がしかった店内には俺と千秋さんの二人しかいなく、どちらも喋っていない時はしんと静まり返る事さえある。
店の奥にあるプライベートスペース、つまりは千秋さんの普段棲んでいる部屋にやって来た俺はちゃぶ台の前で座ってキッチン台に立つ彼女の後ろ姿を眺めていた。先程の居酒屋装備とはうってかわって私服にエプロンと家庭的な印象を与える姿だった。
鮮やかな紅色の髪が揺れるのは炎が揺れるのにも似ている。ついつい魅入られてしまう危うさを持っていて……
「長く店をやってはいるが、お前に料理を作ったことは数えられるくらいしかないな」
「前にキャンプした時のご飯は美味しかったです」
「あー、やったなぁ。また二人で……いや、今度は百合たちも誘って行くか」
「あの時の姉さんたち、本当に悔しそうにしてたからなぁ」
とんとん、とんとん、と軽快にねぎを刻んでいた千秋さんはそれをフライパンに放ると今度は鶏肉を細かくし始めた。普段の乱暴な印象とは違う丁寧な所作で、その服装の効果もあってか結婚した後の姿を意識してしまう。やっぱり料理している女性の後ろ姿は見ててくるものがあるな……
「そうか、私がお前の家に居候する手もあるのか」
「え、千秋さんがですか?」
「仕事の時はこっちに来て、生活をお前の家でやればいいんじゃないか? 一緒にこうやって飯も食えるし、夜は一緒だし……」
「あ、夜は分かんないです。こればっかりは俺でも分からなくて」
「んーっ……」
包丁の手が止まった。
「私と結婚しろ」
「は……?」
「どうせ姉弟では結婚できないんだから私と結婚しろ!」
「身も蓋もないこと言わないでください! なんか今日は無茶苦茶ですよ!」
「うるせぇ! たまにしか会えないんだから愚痴の一つくらい吐かせろ!」
「包丁! 包丁こっちに向けないでください! 千秋さんはシャレにならないですって!」
ほどなくして鶏肉とネギには醤油、酒、みりん、砂糖で甘い味付けが施される。そうして皿に盛られて出てきたのは夜を一緒に過ごすためのまかないであった。冷蔵庫に入っていたビール2本を取り出して一緒に飲み始める。
「……はーっ」
「どうしたんですか」
「ヤリてぇ」
ぐにゃり、と千秋さんの首が回ってこっちを向く。目の焦点が定まっていなかった。
「凄く危ないこと言ってますけど……」
「どうせ私のこと好きなんだろ、だったらいいじゃねえか」
「いや、大好きですけど、でも、もうちょっと順序ってものが」
千秋さんの作った料理をいただく。醤油と砂糖の味のバランスが大変良い。しばらくこっちのことを見ていた千秋さんはビール缶を置くとそのままこっちへ這い寄ってくる。
「百合から聞いたぞ。おっぱい中毒だってな」
「あ……はい」
「そうだ、あいつから預かってたものがあっただろ。それ開けといてくれ」
あの時に百合姉から受け取った小袋を引っ張って開けると、その中にはいつも家で使っているVRゴーグルが入っていた。それで大体のことを察した俺はゴーグル片手に千秋さんの方を向くが――
着ていた服を脱ぎ散らかし、少し小さい運動着に着替えようとしている彼女の姿があった。着替えの途中だから千秋さんの胸の谷間とか下着とかが見えるようになっている。
「んー、やっぱり昔のだと小さくなってるよな……なんだ、そんなに興味あるのか」
「あり、ます、けど……そうです、これ」
「ああ、それゴーグルだったのか。丁度いい、今からやるぞ」
「わかりました」
なんとか体育着の中に胸を押し込んだ千秋さんは服装を整えた後に自分の使っているゴーグルを部屋の隅から拾う。お互いに頭に装着し、その電源を入れた。ゲームが起動した直後にログイン画面に入り、いつものように自分のアバターにアクセスする。
すると、隣に千秋さんもいる為か二人で大体同じような場所に現れた。昨日の夜見たような狩人姿の彼女はこちらの方を向くと頭の上にぽんと手を置いた。
「おお……これだよこれ」
「そりゃ隣にいますし」
「んなこた分かってる。ところで、私のこの服装はどうだ?」
「とてもかっこよくて、千秋さんらしいと思いました」
「そういうことじゃねぇ」
千秋さんは周りを確認して誰もいないことを確かめた後、隣に立っていた俺をぎゅっと抱きしめてきた。ううっ、胸元に当たっているこのやわらかい感触は……!
「どうだ? いい感じだろ?」
「は、はい……」
「ふふ、私も久しぶりにお前を抱けて満足だ。ほら、我慢しなくていいんだぞ」
「うん……」
正面から抱き合って胸元をくっつけ合いながら俺は背中に腕を回して抱きしめた。うーん、昨日感じられなかった千秋さんの匂いがする……
「よーしよし、そうだな、ここだとなんか雰囲気出ないから……場所を変えるぞ」
「あ、はい」
「後ろに乗れ。やり方は分かってるな?」
千秋さんが呼び寄せた馬に二人で一緒に乗る。そして背後から彼女のことをそっと抱き締めた。昨日にはなかった彼女の背中の感触で頭の中がふわふわと幸せになっていく……
辿り着いたのは昨日お世話になったあの小屋だった。相変わらず周りには誰もいない。
中に入るや否や、千秋さんはベッドに座って隣をぽんと叩いた。現実世界だとそこにはお布団が敷いてあるのだが、今この状況ではあまり変わりはない。
「ここ、大丈夫ですか? 宿屋は運営の監視が厳しいって聞いたんですけど」
「そりゃ宿屋の話だ。ここはあくまで休める小屋。同じことを考える奴はいるっぽくてな、そう言った奴らがする時はこういう運営の監視の薄い場所を狙うらしい」
「へぇ……え、まさか」
「お前もそのつもりなんだろ?」
ニヤリ、と笑いながら千秋さんは心の隙間に付け込んできた。
うん、そういう期待がないと言えば嘘にはなるけど……
「まあ、やるにしろやらないにしろまずは隣に来い」
「ですね」
「あーっ、お前とこうやってゲームの中でも触れ合えるなんてな、幸せだ……」
千秋さんは座った俺をもう一度抱き締めると頭の辺りに顔を突っ込んですーすーと匂いを嗅ぐ。そうしていつものようにふおおおお、と変な声を上げながら悶え始めた。
「いいよなぁ、私がお前の姉だったら毎日甘やかしてやれるってのに……」
「千秋さんがやりたいことやってるだけじゃないですかぁ」
「お前だって楽しい事やってるんだろ? ほれ、ほれ」
むにん、むにん、と千秋さんの胸が口元の辺りに押し付けられて息がしづらくなってしまう。あっ、でも息できるぞ。すぅー、すぅー……
「んむっ……」
「ふふ、やっぱりお前は甘えん坊だな」
「ん……」
息を吸うごとに鼻の奥に千秋さんの汗臭いがいっぱいになって頭に霧がかかってしまう。それだけでスイッチが入ったように頭が動かなくなって、眠くなってくる……
「ん、どうした、眠くなってきたか?」
「うん……」
「よしよし」
「ん……」
「横になるぞ」
千秋さんの胸に鼻と口を突っ込んだまま身体を横にして抱きしめ合う。誰も通らない小屋の中で二人きり、立場が上のお姉さんと一緒にいて甘やかされないことなどなく。頭を撫でられながら俺はすっかり大人しくされてしまったのだった。
「そうだ、まだ『姉貴』って呼んでもらってなかったな」
「姉貴……」
「ふふ、どうした?」
「姉貴のこと、好き」
「本当は私の胸が好きなんじゃないか?」
「どっちも好き……」
ぽんぽん、と叩きながら千秋さんは耳を優しくはんできた。
甘く痺れるような感覚と耳をいじめられる気持ち良さで意識が遠くなっていく。
「寝ても大丈夫だぞ。明日まで、たっぷり甘やかしてやるからな」
「うんっ」
「ん……はむっ、お前の耳、美味しいな……♡」
「ふぁぁ……」
背中と頭が心地よくなってついに動けなくなってしまう。
千秋さんに甘噛みされながら幸せな眠りにつくのだった……
「好きだぞ……お前のことが、世界で一番好きだからな……♡」




