第一話⑦
「…………みつきくん……、ゆめ、じゃなかったんだね……」
彼女が再び目を覚ましたのは、もうすぐ夕方の時間に入ろうという頃。
「起きれそう?」
「……うん」
紗香さんは上体を起こした。
その様子もかなり無理をしているってわけではなさそうだったから、体温計を渡して少しその場を離れた。
戻ってきた時には計測が終わっていて、37.9と結構高めだった。
「ホットポカリ、飲めそう?」
「……うん。ありがとう」
若干戸惑いつつもマグカップを受け取った紗香さんは、ちびちびと口をつけ始めた。
「親には連絡した?」
「……ううん」
「……そっか」
「……うん。二人、たぶん今頃新婚旅行中だから」
「――」
でかい声が出そうになったけど、既のところで留まることができた。
ってことは何か? 二人がほとんど帰ってこなかったのって、その新婚旅行の時間を作るために働きまくってたってこと?
……馬鹿じゃねえの。いや、まじで。
「……まぁいいや。見たとこちょっとは食えそうだね。プリンとおじやどっちがいい?」
「……悪いよ」
「食べられないなら別だけど、遠慮する権利はありませんので悪しからず」
ということで、おじやを作ってみた。
まぁお手軽で動物性たんぱく質とかミネラルとか色々摂れる、病人食の代表格だからね。
無理せず少し残してしまったけど、ほとんど食べることができた紗香さんはすぐに眠ってしまった。
まぁ俺が汗を拭くことはできないし、本人にさせるのもどうかと思うし、仕方ないから頭とか首だけを拭くに留めて経過を見る。
結局その後一度起きただけで、ほとんどすることはなかった。
まぁずっと彼女の部屋にいたわけじゃないから、俺が居合わせた限り、の話なんだけどさ。
翌日、熱は37度の微滅まで下がったけど、当然登校は見送り。
俺は病院に付き添って、家まで送り返してから登校した。
明らかに社会人じゃないせいか病院では周囲の視線がすごかったけど、疚しいところはないので開き直ってやった。
まぁ、開き直ったからって特に何をしたってわけじゃないんだけどね。
で、信也とか赤城さん、それと教えてくれた紗香さんの友達に(連絡はしてるだろうけど)一応無事なことを伝えたりして、学校が終わるのと同時に男神宅に直行。
後日改めて親と一緒にお礼と謝罪に伺う旨を伝えつつ、お礼を言って男神宅を後にして、家路についた。
そして帰宅して向かったのは、紗香さんの部屋。
「ただいま」
「おかえりなさい」
体を起こそうとするのを手で止めたけど、彼女はそのまま起き上がる。
その様子や顔色を見るに、送った後もちゃんと寝ていたみたいだ。
「もうだいぶ良さそう?」
「うん」
買ってきたポカリやプリンを差し出すと、紗香さんはプリンをとった。
鞄や上着を自室に置いてから紗香さんの部屋に戻ると、彼女は食べかけのプリンを両手に抱えたまま、ベッドに座っていた。
「……気分悪い?」
「……ううん。そうじゃなくて……やっぱり、一人は嫌だなって」
それは……どう答えるべきだろう。
迷い、言葉をすぐ返せなかった俺に、紗香さんは言葉を続けた。
……痛ましくも見える、苦笑を浮かべて。
「……このお家、広いよね。前住んでたマンションも、お母さんと二人で暮らすには十分広かったけど、ここまでじゃなかった」
確かに、家に来た友達に金持ちと誤解されるくらいの大きさはある家だ。
「だから、なのかな……。一人でいるのが、前よりずっと辛かった……。一人でする食事も、一人で過ごすことも、一人で勉強したりすることだって……全部、慣れてたはずなのに」
それは――、と何かを言いかけて、俺は口を噤んだ。
だから、部屋に響くのは、紗香さんの声だけ。
彼女の、自嘲するような色を含んだ、言葉だけ。
「一人で食べてると、一緒に食べてくれた人の表情が浮かんで、味気なかったんだ。……コーヒーの香りで、一緒にのんびりした時間を思い出して、寂しかった。勉強する時に音楽をかけて……楽しかった時間を思い出して、苦しかった……辛かったんだ」
「……そっか」
彼女の声は、震えていた。
それでも涙は流さず、彼女は言う。
「だから……すごく、後悔した」
俯き、頭を垂れて……許しを請うように。
「光毅くんが嫌なことする人じゃないって、途中から気付いてたのに……、お母さんに酷いことする人じゃないって、わかってたのに……! 意地になって、騙そうとして……っ」
やっぱり、俺の態度も彼女を追い詰めていたみたいだ。
そんな後悔の念が湧いた俺の意識を引き戻す、
「……本当に、ごめんなさい」
紗香さんの、謝罪が聞こえた。
「……紗香さん」
「ごめんなさいっ……」
「紗香さん」
「っ」
顔を上げようとしない彼女に、はっきりと届くようにもう一度声をかけると、彼女は身体を揺らした。
罪悪感から、だろうか。
それでもこちらに目を向けない彼女に、俺は問いかける。
「それは、何に対して謝ってるの?」
「それは……光毅くんに、失礼なこと、したから……」
「それなら、謝る必要なんてないよ」
え、と顔を上げた紗香さんは、目を見開く。
その後者の驚きは、俺の顔を見て、その言葉が本心だってことが伝わったから――だったら嬉しい。
そう、それは今の彼女の様子を見て心変わりしたわけでも、彼女を追い詰めてしまったことに対する、自責の念に駆られたからでもない。
「ごめん、言葉が足りなかった。確かに、試されたことは不快に思ったよ」
「なら……」
「でも、ムカついたりはしなかった」
どう違うんだよ、って信也辺りには言われそうだけど、そのまんまだから仕方ないじゃないか。
「試されたことは嫌だったけど、怒ってたわけじゃないんだ。……俺は男で、女じゃないから、紗香さんが感じてた危機感とか、危機意識とか、本当の意味で理解はできないと思う。……でも」
それでも、だ。
「納得はしてる」
「……納得……?」
反芻する紗香さんに、「そう」と肯定を返す。
「仕方ないことだった、って思ってる。あの時も言ったと思うけど、紗香さんを否定する気はない。悪くないって思ってる」
悪いとしたら、これまでの糞野郎どもだ。
演技をしてでも確かめられずにいられないと、そこまで彼女を追い詰めた糞馬鹿野郎どもだ。
「……でも」
言うことは言った。
そう思って反応を待っていた俺に紗香さんがしたのは、問いかけ。
「でも、ならどうして光毅くんは、家を出て……」
「それはほら、イタズラってバレるとお互いバツが悪くなったりするじゃん? だから、ほとぼりが冷めるまで、距離置いといた方がいいかなって。お互い家にいたんじゃ、気まずくなるし」
これで納得してくれただろうか。
チラと覗き見るようにして伺った紗香さんの表情に見えたのは、驚きと、
「……じゃあ、結婚は」
ほんの僅かな、安堵だった。
まぁ、そこを気にするのは、ある意味当然のことだと思う。
そのために体張ったようなもんだし。
……でもなぁ。
「あー……、わかんないかな」
「……?」
本気で分からない風の彼女だけど、これもまぁ仕方ないのかもしれない。
人間、口に出さなきゃ伝わらないことなんて、山ほどあるし。
でも、まぁ、改めて言おうとするとなんか気恥ずかしいわけで。
「……これからもよろしく。紗香さん」
言葉を告げて、一拍の間。
その時間で、ようやく理解したらしい紗香さん。
俺は、やっと彼女の素顔を見たような気がした。
後日、親父と紗香さんが帰宅。
紗香さんからの報告で上手くいっていると思っていたらしい二人は、本当に新婚旅行に行っていたらしい。
ということで、
「何考えてんだ糞ジジイ!!」
俺は親父の顔面をぶん殴った。
「俺を信頼してんのかヘタレだと思ってんのか知らねえけど! その子の親になろうって人間があんな条件飲んでんじゃねえ!!」
勢いのままぶっ倒れた親父は、ムクリと立ち上がって俺を見据える。
「……その通りだな。非があることは認める。叱責も受けよう」
だが、と親父の鉄拳が顔面にめり込む。
「親に向かってその口の利き方はなんだ!!」
「それと……これとは!! 話が、違え!!」
倒れそうになる足を踏ん張って、その反動でもう一発ぶん殴る。
「その通り、別の問題だ! 叱責であれば甘んじて受け入れるが、その物言いは許さん!!」
「受け入れるって奴の態度か!!」
「キレる度に醜態を晒して、社会に出てから困るのはお前なんだぞ!!」
「そう簡単にキレるかぁ!!」
と、散々ど突き合った結果、
「私も同意したのだから同罪ですが、輝光さんもいい大人なんですから、暴力ではなく言葉で解決すべきです」
「……はい」
「私が言っちゃいけないかもしれないけど、ダメだよ光毅くん。社会的には暴力を振るった時点で負けなんだよ?」
「……うす」
ドン引きした彼女たちに説教されて、女性陣の勝ちみたいな感じで終わった。
……まぁ、どっちみち殴り合いは俺が負けてたからいいんだけどね。
第一話終了です。
本当は⑥と⑦の間に紗香視点の話を入れる予定でしたが、光毅視点に統一することにしました。
因みに、風邪をひいた理由。
お風呂上りになんとなく光毅の部屋に行き、音楽をかけてボーっとする+気温の低下→湯冷め
+精神的な衰弱
=フルコンボだドン!




