第054話 今だけは
からす座の上がった右足が、俺に向けて振り下ろされる。
流石にこの距離ではどうにもできない。
堕ち星の攻撃を生身で受けるのは、ほとんど死を意味するようなものだ。
だがここで俺が死ぬと、へびやからすの堕ち星は誰が倒す?
……まだ死ねない。
だったら、腕が使い物にならなくなる方がマシだ。
そう判断した俺は踵が振り下ろされる場所予測して、両手で構える。
振り下ろされる踵がスローに見え、雨音が遠くに聞こえる。
俺は星力を腕に回して、覚悟を決める。
しかし、その攻撃は俺には届かなかった。
代わりに、雨音をかき消すような金属がぶつかる音が辺りに響いた。
ほぼ同時に「真聡!何やってるんだよ!」という声が飛んできた。
俺の前には、紺のアンダースーツに紺と橙の星鎧。
平原 志郎が、からす座の踵落としを受け止めた。
からす座は志郎に掴まれる前に、バク宙で後ろに下がって距離を取る。
そして「カカカ」と笑いながら言葉を発する。
「あぁ。君が新入りの」
「新入りだからって……舐めんなよ!」
からす座の相変わらず軽い言葉に、志郎はそう返しながら距離を詰めた。
そして、志郎とからす座との戦闘が始まる。
……だが、からす座のあの強さはへび座と並ぶだろう。
そんな相手を志郎一人に任せられない。
身体の痛みもマシになって来たので、俺は力を入れて立ち上がる。
そこに、今度は後ろから「やっと……追いついた……!」という声が飛んできた。
振り返ると由衣が濡れながら、科学館から走って来ていた。
そして俺の隣に来て、「まー君大丈夫!?」と心配の言葉を口にする。
だが「大丈夫、大丈夫じゃない」と言ってる場合ではない。
俺は「ちょっと失敗しただけだ。」とだけ返して立ち上がる。
ギアは無事なので、もう一度プレートを生成するために左手を構える。
その左手を由衣が掴んだ。
そして、「1人で……無茶しないでよ」と悲しげに呟いた。
言葉とは対照に、左手を握る力が強くなっていく。
……そこまで踏み込まれると、困るんだよ。
「……何の話だ」
「私達……仲間なんだからさ……」
……それが、困るんだよ。
俺は由衣の手を振り解いて、吐き捨てるように言い返す。
「……このからす座は、他の堕ち星よりも強いんだ」
お互いに口を開かない。
雨音と鈍い雷鳴。そしてその中に、志郎とからす座が戦う音が響いている。
次の瞬間。
一層激しい金属がぶつかる音の後、志郎が転がってきた。
そして、志郎も立ち上がりながら「真聡」と口を開いた。
「あまり1人で突っ走るなよ。仲間だろ?俺達。だからもっと頼れって」
あぁ。だから嫌なんだ。
だから1人で戦いたいんだよ。
……だけど、今の俺ではからす座には勝てないのも事実だ。
……だったら。利用させてもらうしかない。
それなら策はある。
俺は「2人とも、時間稼げるか」と言葉を投げる。
「お、何か作戦があるんだな?任せろ!」
「うん。任せて」
「頼む。上から仕掛けるために一旦離れる」
そこにからす座が、いかにも退屈という声で「お話は終わった?」と聞いてきた。
「うん、終わった。
今から私達が、あなたを倒す!」
そう叫びながら由衣はレプリギアを呼び出し、いつもの手順で星鎧を生成した。
そして右手で杖を生成し、両手で身体の前で持った。
「羊が1匹、羊が2匹。嫌な現実から、幸せな夢の世界へ。眠れよ眠れ、羊の群れ!」
言葉を紡ぎ終わると同時に、杖を両手で掲げる。
すると半透明の羊が複数匹現れ、からす座に向かって突撃していく。
からす座はそれを避けようと飛び上がる。
しかし、志郎が既に間合いに入っていて、足を掴んで地面に引き釣り下ろした。
そのまま志郎はもう一度、からす座との近接戦を始めた。
志郎と戦うからす座の動きは、暴力になれてるような動きに感じた。
一方、由衣は様子を窺いながら羊を突撃させる。
その連携が取れた戦闘を見ながら、俺はその場を離れる。
念のため認識阻害魔術を使用して。
そして、急いで上に登れるところを探す。
幸い、その場所はすぐに見つけれた。
科学館の外壁を上手に飛び移れば、科学館の屋上に行けそうだ。
俺は追加で身体能力強化の魔術を使用して、外壁を飛び移って屋上へ登る。
屋上に到着して、下の様子を見る。
2人はまだ戦ってはいるが、劣勢であることは見て取れる。
……早く加勢に入らなければ。
ギアはあのときからずっと着いたままなので、プレートを生成して差し込む。
そしていつものように左手を時計回りに一周させ、左腕を伸ばして目元を隠すように戻す。
俺は1人で戦うつもりだった。
俺が全てを背負い込めばいいと思っていた。
そうすれば誰も傷つかず、悲しまずに済む。
だが、1人では出来ないことがある。勝てない相手がいる。
だから今は。今だけはあの2人に、甘えよう。
「星鎧 生装」
その言葉と同時に俺はギア上部のボタンを押す。
するとギア中心部から山羊座が飛び出し、俺の身体は光りに包まれる。
光の中で俺は紺のアンダースーツを身に纏い、その上から紺と黒の鎧を身につける。
そして光は晴れる。
ゆっくりやってる暇はない。
すぐに俺は右手に杖を生成して、言葉を紡ぐ。
「水よ。生命の源たる水よ。今、その大いなる力を我に分け与え給え。今、澱みに塗れ堕ちた星と成り、からすの座を捕らえる水の檻と成り給え」
杖先に青の魔法陣が現れる。
そして、周囲の空から落ちる雨水や周りの水溜りの水が、杖先に集まっていく。
俺はその水球を、周りの水と己の星力を使って大きく、大きく膨らませる。
すると地上で、由衣と志郎がからす座の攻撃で吹き飛ばされるのが見えた。
これ以上はマズい。
そう判断した俺は屋上から飛び降りる。
空気を切る音に交じって、途中からからす座の声が聞こえてきた。
「ところで、山羊座君の姿が見えないね?
1回やられたことにビビって逃げたのかな?」
そう言ってへらへらと笑いながら、倒れている2人に近づくからす座。
人の苦しみも、怒りも、後悔も知らないで。
俺の口から、自然と怒りの言葉が漏れた。
「そんな訳……ないだろ!
水の檻よ、からすの座を捕らえよ!」
そのまま言葉を紡ぎ、同時に俺は杖先をからす座に向ける。
杖先の水球はからす座に向かって飛び、包み込む。
そして星鎧のお陰で、身体能力が上がってるのでそのまま着地をする。
俺は続けて2人に指示を出す。
「由衣!眠りの力をこの水球に送り続けろ!」
「俺は!?」
「志郎は俺の攻撃が失敗した場合に備えて待機!」
俺の言葉を聞いて2人は動き出した。
由衣は杖を使い、半透明の羊を絶え間なく数匹ずつ生成して突撃させる。
志郎は水球から適度な距離を取り、臨戦態勢を取り続けている。
それを見ながら俺はもう一度杖を掲げ、言葉を紡ぐ。
「電流よ。人類に発展を与えし電流よ。今、その大いなる力を我に分け与え給え。今、天に満ちる稲光を呼び寄せよ。
そして澱みに塗れ堕ちた星と成り、水の檻に捕らえられし、からすの座に共に天の裁きを与え給え!」
杖先に黄色の魔法陣が現れる。
そして同時に、上空の黒い雲から杖先の魔法陣に雷が落ちた。
俺はそのまま杖先を水の檻の中にいるからす座に向ける。
激しい光、音、衝撃波が辺りを襲う。
俺は目を閉じ、防御魔術で自分を守る。
電流魔術。
属性魔術ではあるが、氷魔術と並んで他の5属より難しいとされる魔術。
中等部時代は使えなかったが星雲市に戻ってきて、へび座と戦い実力不足を感じていた。
そのためずっと氷魔術と合わせて特訓、調整を行っていた。
今回は上空に雷雲があったため、それを用いるので攻撃に用いることができた。
光が収まったので、目を開ける。
そしてまず由衣と志郎を見る。
2人は星鎧を身に着けた状態で立っていた。
どうやら俺と同じく防御魔術で身を守ったようだ。
教えておいて良かった。
一方、からす座は人間の姿で仰向けに地面に倒れていた。
どうやら、流石に効いたようだ。
そして、その手前には5つの板状のものが落ちているのが見えた。
あれは……プレートだ。
からす座は既に立ち上がり始めている。
取られるとマズい。
……俺たち3人の中で1番近いのは志郎だ。
俺は急いで「あれを回収してくれ!」と志郎に指示を出す。
その言葉を聞いて、志郎は走り出した。
からす座も同時に起き上がって、走り出す。
そして、地面に散らばっているプレートを取り合った。
しかし、からす座はすぐに後ろに下がった。
流石に生身だと星鎧の相手はマズいと思ったんだろう。
そして、「あ~あ」と呟いた。
「3つも取られちゃった。でもま、最低限必要なものは回収できたから怒られないでしょ。
また、時間があれば遊んであげるよ。今度は本気でね。それじゃあ、またね」
そう言い残して、黒服の男は再び堕ち星の姿に成って飛び去って行った。
その場には、黒い羽根を残して。
こうして、不意に遭遇した堕ち星を俺達はなんとか退けて、雨の中の戦闘は幕を下ろした。




