第308話 怖い
勉強机の前に座って、1人ため息をつく。
部屋の中のポールハンガーにかけてある真新しい紺色の制服は、ほとんど綺麗なまま。
私のわがままで、お父さんとお母さんに。お祖父ちゃんお祖母ちゃんに。
そして伯父さん達にも迷惑をかけて、ここまで環境を整えてもらった。
それなのに。
結局、学校に行けない自分が情けなかった。
……転校手続きのときに、怪物に出会ってしまったのもあるとは思う。
でも、それ以上に。
やっぱり、人が怖い。
未だに従兄の慎司さんとも、1対1で話せない。
……一緒に住んで、もう半年になるのに。
学校には、行きたいのに。
また口からため息が零れる。
外は4月の温かい日差しが降り注いで暖かい。
それなのに、私の心は冬の夜のように暗かった。
……部屋に居ても仕方ない。
1人でいると余計に落ち込んでしまう。
リビングに行こう。
私は廊下に出て、居間を目指す。
この家は、星鎖神社の神職である星鎖家が代々住んで来ていた家。
だから古き良き和風建築で、部屋もかなり多い。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、そして伯父さん家族が住んでいるところに私達が住んでも部屋が足りるぐらいには広い。
そんな家の廊下を抜けて、居間にやって来た。
居間ではお祖父ちゃんとお祖母ちゃん、そしてお父さんがテレビを見ていた。
お母さんは……買い物に行くって言ってた。
そしてテレビではワイドショーがやっている。
……今は見る気分じゃない。
でも1人で自分の部屋に居るのも辛い。
……どうしよう。
そうだ。
つむぎを探そう。
つむぎは、いつの間にか星鎖神社に住み着いた野良猫。
その住み着いた猫に餌をやっていたら飼い猫になったらしい。
お祖母ちゃんがそう言ってた。
きっと今日も、いつも通り神社のどこかに居るはず。
そのため、外に出ようとしたとき。
お父さんが「彩千果」と私の名前を呼んだ。
「なに?」
「さっき、今週の配布物を受け取ったんだ。
……見るか?」
学校の、配布物。
星芒高校に転校して、2年生になって一週間。
結局一度も学校に行けなかった。
だから、授業の配布物も結構あるはず。
……担任の先生が持ってきてくれたのかな。
そんな申し訳ない気持ちを抱えながら、「担任の先生が……持ってきてくれたの?」と聞いてみる。
「……いや。男の子……だった。
でも『担任の先生から頼まれたので、ついでです』って言っていた」
その言葉を聞いて瞬間、全身が冷たくなるのを感じた。
同時に、身体の力が抜けた気がした。
息を吸うのも、辛い。
でも思考はぐるぐると回る。
同年代の、男の人。
嫌だ。
怖い。
もう、あんな目に会いたくない。
あの日のことは。
あの学校のことは。
もう、思い出したくもない。
「彩千果、彩千果!」
そんな声で顔を上げると。
目の前には、お父さんが居た。
気が付くと私は居間と廊下の間の柱に手をついて、しゃがみ込んでいた。
お父さんの奥では、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが心配そうに私を見てる。
まだ身体は震えて、手足が冷たく感じる。
でも私は、「その人」と声を絞り出す。
「もう……帰った?」
「いや……神社の調査に来たらしくて、まだいると思うけど……」
お父さんのそんな言葉を聞いた瞬間。
私は、走り出していた。
実際は手足を始め、全身が震えてるから普段通りには走れない。
だけど、今出せる全力で前へ進む。
家族みんながなにか言ってるのは聞こえる。
でも、なにを言ってるか。
今の私にはわからなかった。
怖いし、もうあんな目には会いたくない。
それでも。
ううん。
だからこそ、行かないと。
自分を、守るために。
何とか玄関に辿り着いた私は、勢いのままサンダルに足を入れる。
そしてそのまま、家の外に出る。
「神社の調査に来た」とお父さんは言ってた。
でも、神社と言ってもどこにいるんだろう。
そう思いながら、玄関の柱に掴まりながら辺りを見回す。
すると、つむぎが蔵の方をじっと見ているのが目に入った。
普段のつむぎは寝ていたり、1人で遊んでいたりしている。
どこかをじっと見つめてる姿は、ほとんど見たことない。
それに、今のつむぎの姿勢は低い。
あれは猫が警戒してるときにとる行動。
……きっとあそこだ。
そんな確信を持って、私は蔵に向かって歩き出す。
いつもは全然気にしない距離。
むしろ、よくつむぎと遊んでる家の周り。
それなのに、今日はとても遠く感じる。
でも、行かなきゃ。
私は、親切にされたってお礼なんてできないんだから。
もう、あんな目には会いたくない。
その一心で、身体を押して蔵へと向かう。
よろけながら、しゃがみそうになりながら。
それでも一歩一歩、力を振り絞って蔵へと向かう。
そして、蔵に着いた私は扉に手を突きながら中を覗く。
中には手前に伯父さんが居た。
1番奥には、スーツ姿の女性。
そしてその2人の間に。
私が持っているのと同じ、紺色のブレザーを着た男の人がいた。
あの人だ。
そう思った瞬間。
「私、お礼なんて、できません!!!」
身体の底から上がってくる不快感と、身体の震えを押しのけて、そう叫んでいた。
当然、蔵の中に居た人の視線が私に注がれる。
伯父さんの「彩千果ちゃん?」と驚いたような声が飛んでくる。
そして。
紺色のブレザーを着た男の人の鋭くて冷たい視線が、私を見た。




