第285話 白髪の生徒
聞こえた悲鳴。感知魔術で視えた小さな黒い靄。
その正体が何であれ、異常事態であることには間違いない。
焦りながらも、俺は春休みの誰もいない校舎内を駆け抜ける。
誰もいないので走ってもぶつからないし、階段を飛び降りても怒られない。
そのため、恐らく普通のときよりも早く校舎の外に出れた。
そのまま足を止めず、黒い靄が見えた方向にある駐輪場に急ぐ。
そして、辿り着いた駐輪場では。
2人の女性が、1体の人型の澱みに襲われていた。
1人は俺と同じぐらいの年齢で、星芒高校の制服を着た女子生徒。
もう1人は正装と普段着の間ぐらいの印象を受ける服装の女性。
……この時期に、保護者面談なんてあったか?
いや、今はそれどころじゃない。
女子生徒は恐怖からか、足に力が入らないらしい。
もう1人の女性、恐らく母親に掴まりながら何とか逃げている状況だ。
そして、澱みの方が移動速度が速い。
早く助けないと。
だが大流市の事件の影響で、テレビやSNSの話題が怪物や鎧人間で溢れている今。無暗に星鎧を生成したくない。
……澱みの1体ぐらい、星鎧なしでもなんとかなる。
そんなことを考えてる間に、俺は2人の女性のすぐ近くまで距離を詰めていた。
まずは走る勢いそのままで、2人を追い抜く。
そして魔力を込めた右足での回し蹴りを、澱みに叩き込む。
その一撃は綺麗に入った。
蹴りを受けた澱みは吹き飛び、自転車が1台もない駐輪場の自転車止め用の鉄ポールに激突する。
静かな駐輪場に、鈍い金属音が響く。
一方俺は着地した後、女性に2人に視線を移す。
そして「怪我はありませんか」と声をかける。
すると、女性が「は……はい……」と答えてくれた。
だが恐怖と困惑を感じてるような表情に見える。
女子生徒に至っては、俺の方を見ずに母親の背中に隠れてしまっている。
顔すら見えない。
……まぁ、見慣れてないと澱みでも怖いか。
そう思っていると、女性が「そ、それより」と口を開いた。
「白髪の男の子が、まだ!」
端的で、全容が見えない言葉。
だが口にした以上、何か意味があるはずだ。
状況から推測すると……この2人を澱みから庇った人間がいるってことか?
そんな考察をしているそのとき。
視界の端で、先程吹き飛ばした澱みが起き上がったのが見えた。
流石に魔力を込めた蹴り一撃では消滅しないようだ。
……いや、それは後だ。
とりあえず、俺は「とにかく」と口を開く。
「早く逃げてください。
その白髪の男の子も俺がなんとかします」
「わ、わかりました」
女性は震えた声でそう言った後。
女子生徒に何か言葉をかけながらも俺が来た方向、通用門の方へ逃げていった。
一方、俺は視線を澱みに戻す。
澱みはよろよろと俺に近づいてきて、飛び掛かって来た。
俺はそれを右足を引いて、半身で避ける。
目標が消え、俺の目の前に倒れ込む澱み。
そんな澱みを、俺は右足で蹴り上げる。
澱み再び吹き飛び、駐輪場の自転車止めとなっている鉄ポールに、今度は仰向けに激突する。
恐らく、このまま戦っても負けることはない。
しかし、倒すには時間がかかる。
やはり早く仕留めるなら、少なくとも魔術を使う必要がありそうだ。
だが、誰か見ているかわからない。
非現実的な力を使っていると見たぐらいではバレないように使う必要がある。
そうなると……。
考えながらも、辺りを見る。
もちろん、澱みからは目を離さず。
すると、駐輪場の屋根の鉄製の梁が目に入った。
これだ。
俺はすぐに梁に掴まり、身体を前後に揺らす。
同時に「風よ、我が右足に集え」と言葉を紡ぐ。
右足の制服の裾が、身体の揺れとは別で荒ぶり始める。
そして、3回ほど体を揺らしたとき。
澱みがゆっくりと起き上がった。
俺はその起き上がった澱みの頭らしき部位に、風を纏った右足の蹴りを叩き込む。
遠心力で、さらに勢いづいた蹴りを。
回転しながら、派手に吹き飛ぶ澱み。
そのまま駐輪場の向こう側にある、学校の敷地を囲む壁に激突した。
そして、黒い靄を放ちながら消滅していく。
一方俺は、既に梁から手を離し、着地をしていた。
消滅を確認した後、すぐに辺りを見回す。
見た限り、澱みも人もいない。
だが、先程女性は「白髪の男の子が、まだ!」と言っていた。
来た道にはいなかった。
そうなると、正門側だろうか。
そう考えながらも、俺はすぐに走り出す。
そして校舎と駐輪場に挟まれた角を曲がり、正門側に出る。
すると、そこには。
確かに白髪の、俺と同じ星芒高校の制服を着た男がいた。
そしてその背中の向こうには、もう1体の人型の澱みも。
……とりあえず澱みを消滅させないといけない。
俺は走りながらも、小声で短く言葉を紡ぐ。
「風よ、我が右手に集え。この世に蔓延る澱みを吹き飛ばし給え」
すると俺が着ている深い青のブレザー、その右の袖がぱたぱたと荒ぶり始める。
次に俺は「避けろ!」と白髪の男子生徒に向けて叫ぶ。
すると、男子生徒が振り返った。
そして驚いた表情と共に左側に移動していく。
澱みの正面が空いた。
俺はそのまま間合いに入り、風を纏った右手を振りぬく。
一撃が、綺麗に入った。
澱みは派手に10mほど吹き飛び、地面に落ちるた後に消滅した。
辺りを見渡すも、他に澱みの姿も気配もない。
……これで全部だろうか。
そう思いながらも、俺は左後ろにいるはずの白髪の男子生徒の方を向く。
同時に「怪我は?」と聞きながら。
「あぁ。ないよ。助けてくれてありがとう」
にこやかにそう返してくる男子生徒。
だが俺は、その男子生徒に違和感を覚えていた。
白髪という目立つ髪色。
一度見たら忘れないはずだ。
それなのに、俺はこの男子生徒に覚えがない。
他学年なのだろうか?
そこに「どうかした?」という声が飛んできた。
意識を戻すと、男子生徒はまっすぐ俺を見ていた。
……ここは、素直に聞いてみるか。
「いや。君に、覚えがないなと思って」
「あぁ……そうだろうね。
僕は去年1年間、そんなに来れてなかったからね」
男子生徒はサラッとそう答えた。
去年1年間……何か病気や家の都合があったのだろうか。
だが、初対面相手にそこまで踏み込まない方が良いだろう。
そう判断した俺は「つまり、新入生ではないのか」と聞いてみる。
「そうだね。気分的にはまだ1年生だけどね」
「……2年生か」
「そう。2年生。
……あぁ、まだ名乗ってなかったね。僕は竹津 朔、君は?」
素性に謎が残るが、同学年と自称する竹津 朔。
……名乗っていいのだろうか。
いや、ここで名乗らないのは不自然だろう。
それに竹津 朔からは魔力も澱みの気配も感じない。
……問題ないだろう。
そう判断した俺は「陰星 真聡だ。同じく春から2年生だ」と返す。
「同じなんだ。じゃあ、またどこかで会うかもね」
……本当に同学年ならばな。
いや、それより今は聞くべきことがある。
俺は「そうだな」と返してから、その疑問を口にする。
「さっき駐輪場で怪物に襲われてる親子に出会った。
そして『君がいる』と言われて正門前に来た。
怪物はさっきので全部なのか?」
その疑問を受け、竹津が固まった。
顔は俺の方を向いているが、視線が外れてどこからを見ている。
……もしや、今さらになって俺が澱みを消せたことに違和感を持たれたか?
そう思っていると、竹津は「そっか」と呟いた。
「庇ったのは良いけど、1体逃げられたから気にしてたんだ。
あの子とお母さんは無事なんだね」
「あぁ。無事に逃げられた」
すると、竹津は「それなら良かった」と呟いた。
……あの一瞬の間はなんだったんだ?
そう考えていると、竹津が今度は「でも」と口を開いた。
「怪物をあんなに吹き飛ばして倒してしまうなんて。凄いんだね、陰星君は」
……結局突っ込んでくるのか。
不自然にはなるかもしれないが、ここはできるだけ上手く誤魔化すしかない。
俺は思考を全力で回しながら「それは」と口を開く。
「ここ数カ月。特に最近は怪物の話をよく聞くから、自衛ぐらいはできるように努力してた。
まさか上手くいくとは思ってなかったが」
とりあえず、言い切った。
しかし、竹津は何とも言えない表情から口を開かない。
……俺は嘘が下手かもしれない。
思わず出そうになるため息を堪える。
そこに、竹津は「そうなんだ」と呟いた。
「頑張ってるんだね。陰星君は」
「……別に。ただ、できることをやってるだけだ」
「それでも凄いよ。そんな君と、知り合えてよかった」
別に、褒められることじゃない。
それより俺は、竹津がいまいち何を考えてるかわからない相手だと感じていた。
しかし、俺がそんなことを考えてるとは気が付いてないのか。
竹津は「もう少し話してたいんだけどね」と呟いた。
「もう帰らないと。
もし陰星君さえ良ければ、また会えた時にお話しできたら嬉しいな」
その言葉の最後に「またね」と言い、竹津は正門の方へと歩き出す。
俺はその背中を「また、会えたらな」と返して見送る。
その後、竹津の姿は正門を出て行き見えなくなった。
……本当に、なんだったんだろうか。
竹津の話を信じるなら。
1体だけとはいえ、生身の人間が澱みの足止めをしていたことになる。
そもそも、なぜ外縁結界と内部結界に守られているはずの学校内に澱みが?
……いや、以前にも学校内に澱みは現れていたし、堕ち星も侵入されていた。
そうなると……結界に問題が?
というか、何故竹津は澱みに襲われて無事だった?
あの女性2人はなぜ襲われていた?
…………わからないことが多すぎる。
思わず、口からため息が漏れる。
だが、ここに居て考えていても仕方ない。
「とりあえず……戻るか」
そう呟いて、俺は一番近い校舎への入口へ向かって歩き出す。
目的は鞄の回収と、タムセンとの合流。
しかし、戻ったときには既に。
作業は終了していた。




