第217話 これからも
泥から浮かび上がるような感覚で意識が戻った。
だけど、自分の状況がわからない。
全身が痛み、記憶がはっきりしない。
俺は何をしていた。
自分の身に、何があった。
身体に上手く力が入らない。
1つわかるのは、俺は何か柔らかい物の上で寝かされているらしい。
そしてうっすら思い出した最後の記憶は、捨て身の氷魔術で天秤座を凍らせたこと。
しかし今、身体は暖かいものに包まれているのを感じる。
ようやく目を開けると、そこは知らない天井だった。
すぐに辺りを見回してみる。
すると俺の左側で見慣れた顔が、心配そうな表情で椅子に座っているのが目に入った。
そいつは、俺の目が開いたことに気が付くとすぐに「まー君!気が付いた!?」と口を開いた。
「大丈夫!?私のことわかる!?」
……いきなりうるさい。
そう思った俺はつい「寝起きなんだから、もう少し静かにしてくれ」と返してしまった。
その言葉を受けた由衣は、少ししょぼくれた調子で「……ごめん」と返事をした。
「……でも、そう言うってことは大丈夫ってことだよね」
「あぁ。全身が凄く痛いってこと以外はな」
本当に全身が痛い。
だがそれよりも気になることがあった。
「ここはどこの病院だ。俺はどれくらい寝ていた?
稀平はどうなった?他のやつは?」
俺のその言葉に、由衣は少し呆れたような声で「も~」と呟いた。
俺は思わず「何だよその反応」と返す。
すると由衣は「ここは」と口を開いた。
「星雲市の市民病院。まー君が寝てたのはだいたい……丸1日かな。
全然目を覚まさないから凄く心配したのに、目を覚ましたと思ったらすぐ他の人のことを気にするんだから」
由衣が頬を少し膨らませながらそう教えてくれた。
だが見慣れたその顔には、手当ての跡が見える。
冬の分厚い服のせいで肌は見えないが、あちこちに怪我をしているのだろう。
きっと、今は姿が見えない他の奴らも。
そう考えると、心が痛んだ。
だが、そんな俺の考えを知らない由衣の言葉は続く。
「稀平君もちゃんと元に戻ったよ。
でもなんかすぐに別の病院に転院していったよ?焔さんとあの女の子が着いて行ったけど……。
それで他の皆は大丈夫。みんなちょっとの怪我だったから、昨日のうちに家に帰ったよ」
由衣のその報告で、俺はようやくほっとした。
全員大怪我もせず、稀平も元に戻せた。
夢のような結果だ。
そして清子は帰ったらしい。
結局、あいつが何で来たかはわからないままだった。
だが、もう話を聞けない奴のことを今考えても仕方ない、
それよりも俺は、由衣の言葉に覚えた違和感が気になった。
「……まさかとは思うが1日中ここにいたのか?」
「まさか!流石にしてないよ!
……確かに、心配だったけど。でもちゃんと家に帰って、休んで、ちょっと前に来たところだよ。
ほら、だから昨日と服違うでしょ?」
由衣はそう言いながら腕を拡げた。
しかし残念ながら、俺は由衣の昨日の服装をよく覚えていない。
……だが言われてみれば、確かに違う気がする。
なので「そうだな」ととりあえず同意の言葉を返す。
……というより、目が覚めたのでいつまでも寝てる理由はない。
稀平と戦って気になることもいくつかあった。
それを纏めるためにも家に帰らないと。
そう思い身体を起こそうとする。
しかし、全身に強い痛みが走った。
思わず「いった!?」と言う声が口から漏れるほどの痛みが。
そして俺の身体は再びベッドに沈み込んだ。
その直後に飛ぶ「まー君は寝てないと駄目だよ」という言葉。
だが。
「いつまでも寝てるわけにもいかないだろ」
「まー君はしばらく入院で安静だよ?」
その言葉を受け、俺の口から今度は「……は?」という言葉が漏れた。
《《しばらく入院で安静》》。
その言葉が、信じられなかった。
だが、全身に響く痛みがその言葉が嘘じゃないことを証明している。
衝撃を受けている間にも、「なんかね」という言葉から由衣の報告は続く。
「あちこちが悲鳴上げてるんだって。
『傷が治る前にさらに傷を負ってそれが重なって……』ってお医者さん言ってた。それと栄養失調にもなりかけてるって。
まー君……やっぱりちゃんと食べなきゃだめだよ?」
由衣が痛いところを突いてきた。
身体が悲鳴を上げているのは、戦闘後に怪我の処置を怠っていたからだろう。
だが、食事が疎かになっていたのは別の理由がある。
……もう隠しても仕方ないし、話すか。
そう決意し、俺は「別に」と口を開く。
「わざと食べてなかったわけじゃない。食べたくても食べられなかったんだ。
俺は1年前、稀平を助けれなかったあの日から。食べようとすると吐き気がして食べれないときがあったんだ」
「……でも、私の家に来たときはちゃんと食べてたよね?」
「お邪魔して、ご馳走になった時は……何故か食べれたんだ。理由は分からない」
俺の言葉に由衣は「ふぅ~ん」と返事をする。
……なんか軽くないか、お前。
そう突っ込もうか迷っていると、由衣が「じゃあさ」と口を開いた。
「朝昼晩、家に来る?
前ほどじゃないけど、近いから来れるよね?」
「それは断る」
反射的にそう言い返した言葉に、由衣の「え~!?」という不満げな声が飛んだ。
「そんな嫌がることないじゃん!」
「お邪魔するのは嫌じゃない。……俺が嫌なんだよ。
そんなにお世話になると、由衣のお父さんと由衣のお母さんに申し訳ない」
「……別に気にしなくてもいいんだけどな~」
由衣が意味ありげにそう呟いた。
だが、申し訳ないものは申し訳ない。
あまり世話になり過ぎたくない。
なので俺は「何かのついでのときとかにはお邪魔させてもらう」とだけ返す。
すると由衣は「うん。わかった」と返事をした。
……少し納得いってなさそうだが、そこは気にしないことにする。
すると、由衣が今度は「あ、そうだ」と呟いた。
「なんか『別の病院から来た』って先生もまー君のこと診察したんだけど、魔力回路?もだいぶ悲鳴を上げてるからしばらくは魔術使っちゃ駄目って言ってたよ?」
その由衣の言葉に思わず、俺は左手の握りこぶしを額に当てる。
……やはりだいぶ負荷がかかっていたか。
そんな俺に由衣は「ねぇ、魔力回路って何?」と聞いてくる。
「…………それは後で説明する」
「……『後で』って、いつ」
「……俺が退院して、全員が集まれるとき。
病室だと誰が聞いてるかわからないからな」
「あ、そっか」
神遺や魔術などは本来、秘匿されるべきものだ。
誰が聞いてるかわからない場所で話していいものじゃない。
……まぁ、そういうことを教えていない俺が悪いが。
言っても仕方ない文句を、言葉にせずに処理をする。
そこにまた由衣が「……ねぇ」と話しかけてきた。
「何だ」
「……もう、どこにも行かないよね。
いきなり居なくならないよね?」
そう聞いてきた由衣の顔は、寂しそうに見えた。
さっきまで元気そうな、いつも通りの表情だったのに。
「……どうした急に」
「だって、まー君文化祭終わってからずっと変だったじゃん。
私、またいきなり居なくるんじゃないかって不安だったんだから」
そう言いながら、少し頬を膨らませる由衣。
……そうか。
俺が「いつ、いきなりこの街を離れることになるかわからない」と距離を置こうとしていたことで、由衣は不安に思っていたのか。
そんな由衣の不安を聞いて突然、罪悪感が湧いてきた。
「……悪かったな」
「ほんとだよ!」
「……でも、俺がいなくなったらメッセージアプリで通話をしてきただろ。
小学校卒業直後と違って、今はスマホがあるからな」
「あ、それはそう。絶対沢山かけると思う」
その由衣の言葉に、俺は「帰還命令や移動命令が出なくてよかった」と謎の安心感を覚える。
……ずっと由衣からの通話がかかってくるのはある意味怖い。
だがまぁ。
「今のところ、どこかへ行く予定はない。
それに、もしそうなったら次はちゃんと話す」
「良かった~~!!!
もう!!約束だからね!?次は絶っっ対、いきなり居なくならないでよ!?」
俺は由衣の圧に押されながら「わかったわかった。約束する」と返す。
……それにしても、何故何も協会からの指示がないのだろうか。
俺がこの街に来た当初の目的は果たした。
それでも、この街に堕ち星が現れ続ける。
そもそも、何故稀平は生きていたのか。
いや、生きていたことは嬉しいのだが。
それに2回目の戦闘。
あれだけの長さの戦闘でなんとか無力化できた天秤座。
流星群を2回も受けているはず。
なのになぜ、あそこまで頑丈だったのか。
……気になることが多すぎる。
物思いにふけっていると、「ねぇ~!」と声と共に、俺の目の前で掌が上下に動くのが見えた。
「何だ」
「いきなり返事しなくなるからじゃん!
……何考えているの?」
「……ちょっと気になることをな。
これも一緒に後日話す」
由衣は少し不満げに「はぁ~い」と返事をした。
だが、纏めて何かに記録しておかないと忘れそうだ。
ずっと寝ているだけなのも暇だし。
……由衣におつかいを頼むか。
そう思った俺は「なぁ由衣」と話しかける。
「なぁに?」
「お前、またお見舞いに来るか?」
「まだ何も考えてないけど……どうしたの?
まさか……寂しいの?」
少し嬉しそうな声になっている。
だが別に寂しいとは微塵も思っていない。
「違う。次来るときでいい、俺の部屋からノートパソコンを持ってきてくれないか?」
その言葉を聞いて、由衣が固まった。
……そんなにショックを受けることだろうか?
そう思っていると、「……何に使うの?」と聞いてきた。
「動けない間に今回の戦いや気になったことをメモしておこうと思ってな。
それに、お前らももっと強くなってもらわないと困る。暇なうちに考えておこうと思ってな」
「じゃあ持ってこない!」
「何でだ」
「だって身体を休めるために安静なんだよ?
考え事したら休めないじゃん!絶っ対持ってこないからね!」
突然の正論で俺は黙るしかなくなってしまった。
……全部話して、これからも一緒に戦うと決めたのは良い。
だが、こうやって毎度色々言われるのは……少し、いやかなり面倒だ。
「ねぇ!聞いてる?
休むための入院なんだからね?わかってる?」
俺を気遣っているのか、怒っているのかわからない由衣のそんな声が、静かな病室に響いた。




