第123話 無事で良かった
ぴちょん……ぴちょん……という水の音だけが、静かな地下貯水路の中に響いている。
あれから何時間経ったのか、今が夜なのか朝なのか昼なのかすらわからない。
ただ、わかっているのは。
私、水崎 日和は怪物に襲われた。
放課後、住宅街を流れる川で生き物の調査をしていた生物部の先輩と同級生、そして顧問の先生と一緒に。
川からは簡単に上がれなかったから、とっさに近くにあった水路にみんなで逃げ込んだ。
だけど怪物はその水路の中まで追いかけてきた。
一応逃げきることはできた。
でもそのときにはもう、出口はわからなくなっていた。
スマホで助けを呼ぼうと思ったけど、何故か圏外で連絡ができない。
……ここは地下だけど、そんな簡単に圏外になるのかな。
その後は見つかって、追われて、逃げ切っての繰り返し。
そして今は、一本の水路の真ん中に5人で固まって座っている。
ジャージ姿で水辺にずっといるから寒い。
身体が濡れてるのもあると思うし。
だからみんな震えている。
生物部のみんなはもう限界そう。
最初の方はと比べて、今はもう完全に口を閉じてしまっている。
顧問の大捕 亜美子先生は一応大丈夫そう。
今もずっと、周りを見回している。
でも口には出してないだけできっと限界だと思う。
最初と比べると顔色も悪いし、やっぱり口数が減っている。
もちろん、私ももう限界だった。
喉も渇いて、お腹もすいた。
何より、薄暗い地下水路でびしょ濡れ、鹿も怪物から追われているこの状況から逃げ出したかった。
だから、誰も喋らない。
地下貯水路に響くのは水の音だけ。
のはずだった。
突然、遠くから足音が聞こえ始めた。
それに人の声も聞こえる。
……でも人の言葉で話す怪物もいた。
怪物は2種類。
地下貯水路に逃げ込む原因となった蛇人間と逃げ込んでから見つかった大きな蛇。
蛇人間は2足歩行で言葉を話していた。
だから話し声と足音がするってことは、蛇人間が近くにいる。
私達は出来るだけ音を立てずに立ち上がって逃げる準備をする。
足音がだんだん近づいてくる。
私達は足音を立てないように気を付けながら、急いで逃げ始める。
そのとき。
日本語が水路の中に響く。
「ひーーちゃーーん!!いるなら返事してーー!!」
聞き慣れた声。
この呼び方をするのは、由衣だけ。
……由衣が来てる。
私の中に、驚きと嬉しさと劣等感が渦巻き始める。
思わず足が止まる。
すると、「もしかして水崎さん呼ばれてる?」と聞きながら、大捕先生が戻って来た。
「でも先生、怪物は言葉を話せるんですよ。
きっと私達を騙そうとしてるんです。ほら水崎さん、行こう」
そう言いながら、同級生の桐生さんが私の手首を掴んだ。
そして私を引っ張って、奥へ行こうとする。
桐生さんの言う通り、怪物かもしれない。
でもこの声は、呼び方は確かに由衣。
私が、間違えるわけがない。
迷った私は、動けなかった。
そうしていると突然。
私達は暗闇にはないはずの光に包まれた。
眩しくて何も見えない。
手で光を遮りながら、何とか誰が照らしているのか見ようとする。
でも誰かを確認するよりも早く、足音が近づいてきて私の手を掴んだ。
「ひーちゃん?本当にひーちゃんだよね?」
聞き慣れた声が目の前で聞こえると同時に、ようやく手を握った相手の顔が見えた。
やっぱり、由衣だった。
つまり、助かったと思って良いと思う。
私は少し安堵感に包まれながら「うん」と返す。
「……一応聞くけど、本物の白上 由衣だよね?」
間違いないと思うけど、一応聞いてみる。
私が由衣を間違えるはずはないと思ってる。
でも、今は私以外にもみんなや先生がいるから。
すると由衣は、握った私の手も一緒に激しく振りながら「いや、私に偽物なんているわけないじゃん!」と答えた。
「……それもそうだよね」
「でも本当に無事で良かった〜〜!!心配したんだから!!」
そう言いながら由衣は抱きついてきた。
……流石にやめて欲しい。
他に人もいるし、私は濡れて汚れてるし。
由衣の制服が汚れてしまう。
だから無理矢理押し返そうと思ったとき。
さらに「生物部の5人、全員いますか」という、真聡の声が聞こえてきた。
「あなた達は……」
「あぁ〜〜……生物の大捕先生ですよね。俺達、星芒高校の生徒です。訳あって助けに来ました。
……それと由衣、日和から離してあげろ。嫌そうだぞ」
「あっ……ごめんひーちゃん」
佑希の指摘で、ようやく由衣が離れた。
というか真聡も佑希も、3人とも助けに来てくれたんだ。
嬉しくないわけじゃない。助かって良かったとは思う。
でも私の心の中では、さらに劣等感と自己嫌悪が渦巻き始めた。
……私は、3人から離れようとしたのに。
でも私が悩んでいる間にも話は進んでいる。
「とりあえずここを出ましょう。出口はわかりますので」
「それと……これを」
真聡はそう言って、背負っていた鞄からスポーツドリンクを人数分取り出した。
そしてバケツリレーのように3人で私達に渡してくれる。
私は由衣から受け取った。
……これ、1番脱水に効くとかいうやつだよね。
そんな事を考えながらすぐにふたを開けて飲む。
ここに迷い込んでから、何も口にしていなかった。
喉もお腹も空っぽだった。
だからか、いつもよりも身体の中にものが入って行くのを感じる。
一気に半分ほど飲んでしまった。
でも喉の渇きが収まって、頭もだいぶ回るようになった気がした。
真聡達の会話も耳に入ってくる。
「それと由衣、智陽に連絡を入れてくれ」
「わかった。…………あれ?」
「どうした」
「……圏外なんだけど」
由衣のその言葉に、真聡は自分のスマホを取り出した。
やっぱり由衣達も圏外らしい。
それを確認した真聡は「本当にマズいかもな」と呟く。
……ホラー映画とかでよくある展開だよね。
すると、真聡は私達の方を向いて口を開いた。
「……早く出ましょう。俺が先頭を歩きます。由衣と佑希は後ろを頼む」
その言葉に由衣と佑希はそれぞれ返事をして、私達の後ろに回った。
そして真聡を先頭に私達は歩き始める。
私は1番最後に歩き始める。
なので当然、後ろに来た由衣が話しかけてくる。
「ひーちゃん怪我とかしてない?」
「……大丈夫」
「……怖かったよね。
……でももう大丈夫だから!すぐに出れるから!」
きっと由衣なりに気を遣って、私を元気付けようと考えてるんだと思う。
…………やめて欲しい。
私は3人と一緒に居たくない。
いや、居れない。
だから私はもう3人と縁を切ろうと思った。
友達を辞めようと思った。
幼馴染《あの頃》の関係を終わらせたかった。
それなのに、由衣達に助けてもらうことになった。
凄く嫌だった。
そんな目に合うのが。
……でも、3人が助けに来てくれたことがとても嬉しいと思う自分がいた。
そして由衣は、私がそんな矛盾する気持ちを抱えているとは知らずに話しかけてくる。
無視するわけにもいかないので、私はそれとなく返事をする。
何を言ってるか、頭に入ってこないまま。
するといきなり手を掴まれて、私は前に進めなくなった。
振り返ると、由衣が私の手を掴んでいた。
「ひーちゃん?大丈夫?」
そう聞いてきた由衣の目は、まっすぐ私を見ていた。
ずっと見てきたこの目。
真聡と再会して、またするようになったこの目。
最初に見れたときは安心した。
でも、今の私はこの目から逃げたかった。
私は目線を下に向けて逸らして、「何が」と返す。
「だって……さっきから返事が適当……だよ」
ちゃんと聞いていないことが、バレていた。
……なんで、こういうときだけ鋭いの。
いつもは鈍かったり、的外れなくせに。
だけど、考えてることを全部言うなんて、出来ない。
絶対由衣は、私の考えを否定してくる。
でもそれが嫌。
だから私は嘘をつく。
「……ごめん。頭が回ってなくて。」
「……そうだよね。半日ずっとこんなところにいて何も食べてないもんね。
……私こそごめん」
「いいよ。別に。」
「でも本当にもうすぐ出れるから。もう少しだから!」
そう言って由衣は歩き出した。
私も歩き出す。
会話はない。
でも手は握られたままだった。
いっそのこと、この手も離して欲しかった。
そのまましばらく、何度か曲がりながら歩き続ける。
すると突然。
前が詰まった。
先頭の真聡の「何か来てる」という声が聞こえてきた。
私も耳を澄ましてみる。
聞こえたのは何かが這いずる音。
遠くて小さくて反響して聞こえづらいけど。
……真聡、よく聞こえたね。
生物部のみんなは「また蛇の怪物が来る」と怯え始める。
大捕先生は落ち着くように言ってる。
そこに真聡の「……前からだな」という呟きが聞こえた。
「由衣、佑希。みんなを頼む」
「まー君は!?」
「ここで音の主を食い止める。お前らは別ルートを通って先に脱出しろ」
「でも!!」
「……わかった。由衣、行くぞ」
「ゆー君!?」
佑希は「こっちから行きましょう」と言いながら、来た道を戻り始めた。
先輩達や先生もそれに続く。
私と由衣が残った。
真聡はしゃがんで左手を地面について何か呟いている。
……私は、もう怪物に関わりたくない。
怪物と戦える3人にも。
だから私は、何も言わずに先に行ったみんなを追いかける。
由衣もその私の後ろを何も言わずについてくる。
逸れたくないので、少し早歩きでみんなに追いつく。
そして、1つ目の分かれ道を別の方向に曲がろうとしたとき。
何かが流れてくる音が響き始めた。
嫌な予感がして振り向く。
すると、目の前には既に大量の水が迫っていた。
私は何もできずにその水に飲み込まれた。
分かれ道を曲がることもできずに、みんなと一緒に。




