11.◇
「ごめんなさい。急に訪ねてきてしまって」
エイダがシェリーを見つめながら、急な訪問を詫びた。
だが、何だか今日のエイダにはいつもの強気な様子はなく、どことなく落ち着いた、さらに言えばあまり元気がないようにシェリーには感じられた。
けれどそんな様子とは裏腹に、エイダの装いは今日も完璧で、どこにも隙が見当たらない。
今日は艶やかな黒髪を緩く三つ編みにして背中に垂らしているのだが、その所々に紅い薔薇の花を模した髪飾りを付けており、黒と赤の色彩の饗宴が目に鮮やかだ。しかも薔薇の花びらは宝石で出来ている。
今日着ている髪飾りと同じ色のドレスも昨今流行りの型のものだ。そして優雅にカップを持つ指には、先日とは別の、今度は赤い宝石のついた指輪が嵌められていた。
(すごいわね……いくら伯爵家といえども、あの宝石は素人目に見てもかなり値が張るものだとわかるわ)
先日の青い宝石も見事なものだったが、今日の赤い宝石もまた引けを取らないくらいに素晴らしいものだった。髪飾りの宝石と揃えているのが、何とも憎い演出だ。
それに、ドレス。
エイダが着ているドレスはいつも一流のデザイナーの新作で、シェリーはエイダが同じドレスを着ているところを見たことがなかった。シェリーなどは二回に一回は同じドレスを着て夜会に出席しているというのに。
エイダの実家ウィールライト家は、最近とにかく羽振りが良い。
元から自分の身なりを整えることに関して余念のなかったエイダではあったが、ここ一年程の贅沢ぶりを見ていると、シェリーが心配になってしまう程だ。
「ううん。大丈夫よ。でも珍しいわね、うちに来るなんて」
これまでエイダとは貴族街にある店で落ち合うことがほとんどだった。互いの家に遊びに行ったことも数える程しかない。
「ええ、ちょっと……あなたのことが気になって」
「私?」
エイダがシェリーをじっと見つめてくるのだが、なんだかその視線すらいつもとは異なっている。何となくだがシェリーに対する敵意が潜んでいる気がして、シェリーは落ち着かない気分になった。
(私、何かしたかしら……?)
とはいえエイダは気分屋でもあるので、実際にはシェリーとはまったく関係のないところで機嫌を損ねている可能性はあった。
「……ええ。ねえ、シェリー? あなた、私に話すことない?」
「え?」
もしやエイダはアーモンド家に起きた一連の出来事をすでに知っているのだろうか。
だとしたらシェリーが感じたエイダからの敵意らしきものは、もしかしたらシェリーに対する心配だったのかもしれない。そう、シェリーは思ったのだが――。
「……婚約話が出ている相手。その相手とはどうなったの?」
エイダが言っていた話とは、どうやらシェリーの婚約話の方らしかった。
ならば相談に移る前にまずはその話をと、シェリーはフェリクスの名を出さずに先日フェリクスと出かけた日のことをエイダに語った。
◇◇◇
話を聞き終えたエイダは今、何故かふるふると身体を震わせている。
眦も上がり、頬も上気しているようだった。話をしている最中からどんどん様子がおかしくなっているとは思っていたのだが、シェリーの話にエイダがここまで反応する理由がわからなかったため、気にはなったが話が終わるまでは静観していたのだ。
「エイダ……。どうしたの?」
エイダは見たところどうも怒っているらしいのだが、先ほどのシェリーの話の中にエイダを怒らせる要素があったとは、どうにも思えない。
けれど今のエイダは眉根を寄せ、眦をつり上げ、明らかに怒っているように見えた。
「エ、エイダ?」
シェリーの二度に渡る呼びかけに我に返ったらしいエイダは、大きく目を見開きシェリーを見つめたあと、自らを落ち着かせるように、目の前のお茶を一口飲んだ。
「……それじゃあ。その人とは上手くいっているということなのね……?」
ようやく言葉を紡いだエイダの声は、しかし普段よりも低く、若干震えていた。
「え、ええ。でも出かけたのはその一度だけだし……」
「一度だって……! いえ、何でもないわ……。でも、……ねえ、シェリー? あなた、婚約を取りやめるんじゃなかったの?」
「それは……」
シェリーは婚約を取りやめると言ってはいない。ただエイダの剣幕に押されて、「考えておく」と言っただけだ。だがエイダの中ではすでにシェリーが婚約を取りやめることになっているのだろう。エイダは少々、思い込みの激しいところがあるのだ。
「あの……取りやめると決めたわけでは……。それに、子爵家から断るのは難しくて……」
「……なあに? もしかして相手が乗り気だと言っているの?」
「そ、そういう訳でも……」
フェリクスの言動の意味を考えれば乗り気と言っても良いのかもしれないが、それをエイダに言ってしまえば、シェリーが惚気ていると取られかねない。
何だか今日のエイダは機嫌が悪いらしいので、これ以上エイダを刺激しかねないことは言わない方が良い気がした。
シェリーがどうしたものかと言い淀んでいると、エイダが座っていたソファから勢いよく立ち上がった。
「私がこんなに心配しているっていうのに!」
叫んだエイダの声の大きさに反応し、シェリーの身体が震えた。その様子を見たエイダが、慌ててシェリーに謝って来た。
「あ、ご、ごめんなさい、シェリー。……私、あなたが心配で」
「ううん、いいの……」
エイダが感情に任せて荒ぶるのは、割といつものことだ。だがその後はこうやってすぐに謝ってくれるので、シェリーとしてはエイダのそういった態度をそれほど気にしてはいない。ただもう少しだけ、感情を抑制出来ればエイダのためにもなるのに、とは思わないでもない。
「そ、それで! その人と上手く行きそうなのはわかったわ。でも……他に変わったことはない?」
「変わったこと……」
変わったことと言ってまず思い浮かぶのは、ここ最近立て続けに起きた事件だ。
「そう! 占い師の言うことを無視した人がいたらしいんだけど……その人の周りではあまり良くないことが頻繁に起こるようになったのですって。さっきのシェリーの話を聞いて、私心配で……」
そう言ってエイダは長い睫毛を震わせた。
(ああ、だから……、能天気な私にエイダは怒ったのね)
そして「あまり良くないこと」と聞いたシェリーは、無意識に唾を飲み込んだ。シェリーの周囲で起こった、あまり良くない出来事。それはシェリーもエイダに話を聞いて欲しいと思っていたことでもある。
シェリーは輝く大きな瞳でこちらを見つめてくるエイダに、ここ最近立て続けにあった出来事の話を切り出した。
「……実はね」
◇◇◇
「……ねえシェリー。それ、絶対もう一度占い師に占って貰った方がいいわ!」
シェリーの話を聞いたエイダは、それ見たことかとでも言うように大げさに驚いたあげく、そう言い放った。そして続けざま、眉を顰め、些か勢いと声量と落とした口調でシェリーに告げた。
「シェリー、おかしいと思わない? そんなに立て続けに事件が起こるなんて」
「……そうよね、でも」
確かに事件が起こったのは短期間だったが、そういうことは重なるものでもある。そしてすでに事件は起こってしまっているのだ。
「ね! やっぱりもう一度あの占い師に見て貰った方がいいわよ!」
けれどエイダはその占い師に傾倒しているらしく、今もシェリーを占い師の元へ連れて行こうと必死だ。シェリーを心配してくれるそのエイダの気持ちは嬉しいが、やはり占いに頼りすぎるのも良くないとシェリーは思っている。
「エイダ。心配してくれるのは嬉しいけど……私占いは参考程度にしようと思っているの」
「でも、すごく当たるのよ! 王家だってこの占い師の忠告を聞いて危機を逃れたんだもの!」
「そうだけど……」
「いいから! ね? もう一度だけ占ってもらいましょうよ!」
確かにアーモンド子爵家には現在不可解な事件が立て続けに起きている。邸内での盗難騒ぎ、出先での馬車の故障、使用人の怪我。どれもこれも偶然とは思っていたが、一連の出来事を不気味に思っていたことも確かだ。
「それにね……これからも何も起こらないとは限らないでしょう?」
シェリーを見つめるエイダの真剣な瞳に、シェリーは息を呑んだ。
シェリーとしては、不可解な出来事はもう終わったのだと思っていた。そんなに不幸な偶然が重なる訳がないと。
でももし、そうでなかったら――。
「わかったわ……」
エイダのその言葉が決め手となり、シェリーはもう一度だけ、エイダの誘いに乗ることを決めた。




