72話 そして封じられる
白い白い閃光。魔力が光となって放たれる。
かつて、アルマは王太子レナードにこう請われたことがあった。
『お前も聖女と名乗るなら、光の球を出したり、悪しきものを消したりしてみせろ』
アルマは大抵のことは魔力を使ってすることができたが、彼が求めるようなことはできなかった。そしてアルマは彼から「なんだ、お前、本当は聖女じゃないんじゃないのか?」と言われた。
その時は悲しいし、少し悔しい気持ちもあったが、しかし、今思えば、彼の指摘こそが正解だった。
アルマは聖女ではなく、そういった力を持つものが、『聖女』なのであると。
(御伽噺も、全てが嘘ではなくて、事実があってそこから生み出されているのよね)
かつてあったことは、歴史の中で消されてきた。だが、いくつかのことは今も残っている。聖女の伝説などの御伽噺は、歴史に操作されることなく、残ってきてしまったものなのだろう。
ただ、この『聖女』は人間を守るためではなくて、魔力を持つものを全て消え去らせて世界を滅ぼそうとしている神の遣いだったわけだけれど。
御伽噺の精度など、その程度のもので、だからこそ、消されることなく今まで生き残ってきたのだろう。
そんなことを、思い出しながらアルマは立ち上がり、今まさに力を取り放とうとしている『聖女』に対峙した。
──右手に、『契約機』を握り締めながら。
「……我に従え我の糸より縛られよ……」
「──!」
なんで、お前が。リリサの大きな瞳が、片目だけいびつに歪む。
さきほど、エレナからジェイドに手渡された『契約機』は偽物だった。本物は最初からアルマが持っていた。
『契約機』はアルマにも使える。『聖女』──彼女が仕える神からその力を授かっていたのだから。
しかし、彼女はきっと、その性質上アルマは軽視し、ジェイドに執着するだろうと踏んで、この作戦を取ったのだ。ジェイドは囮だった。
リリサの魔力の重圧に、身体はうまく動かないけれど、全く身動きが取れないほどではなかった。神いわく、アルマは神の領域にこそは至れてないが、至っていたかもしれない存在だった。神から、アルマがその域までいっていれば、こんな『聖女』などわざわざ使わないとまで言われたのだから。実際どちらの方が強い魔力を持っていて、魔力の量がどちらのほうが多いのかなどはわからないが、立ち向かうには十分な素質はあるはずなのだ。とにかく、アルマは気合を入れてリリサの魔力の支配に歯向かった。
対して、リリサの反応は遅れた。魔王の封印するために魔力を解放し、練り上げるのはきっと神の遣いたる彼女でも極度の集中を要するのだろう。その分、アルマやエレナを抑える魔力も弱まっていたのかもしれない。そのおかげで、アルマは十分、『契約機』をリリサに突き付けるところまで走ってこられた。
アルマは神に与えられた『契約機』を操るための術式を唱え、振り向いたリリサの額にそれを叩きつけた。
「うっ……」
女はよろめき、閃光の眩さが和らいだ。アルマはぐ、と『契約機』を握る力を強めた。
『聖女』と契約を交わし、彼女の魔力を再び封じる。神がかつて裏切った人たちに行った罰と同じことをするのだ。アルマは、リリサの魔力に抵抗されているのを感じながら、歯を食いしばった。
「う……!」
「……大地の愛し子、せっかくなら、神様側についてればこんなよくわからない苦労しなくて、済んだのに」
痛いほど歯を噛むアルマに対し、リリサには無駄口を叩く余裕があった。
「知ってます? 自分よりも魔力の量が多い相手を従えることはできない……って」
「……っ!」
アルマはリリサを睨んだ。ハッキリと敵意を抱いて何かとこうして対峙するのは久しぶりだ。この国の人間に聖女と呼ばれて魔物を退治して回っていた時以来だ。
まさか、本当の聖女とこうして闘り合うとは思ってもみなかったけれど。
「はーあ、存分にナメてくれましたね? おかげさまでこの好機になってるわけですけどぉ」
『契約機』による契約ができなかった。『聖女』を支配することは、できなかった。
「私は神の遣いだ、って言ってるじゃないですかあ。それを神の持ち物を借りているだけの人間や魔族が、神の力に上書きできるわけ、ないでしょ?」
しかし、それでも今、彼女の魔力の閃光は止んでいた。
彼女が行使しようとしていた魔王の封印。そのための魔力の解放は中断されていた。
契約は拒まれたが、彼女の魔力に干渉することには、成功していた。
アルマの『契約機』による支配を拒んだリリサは、アルマに向けて大きな光の球を投げつけんと振りかぶった。
「……オラァッ!」
「はぶっ!?」
と、その高く上げた腕は大きな手のひらで一掴みにされ、彼女の身体は宙に浮いた。
「ずいぶん楽しそうだなぁ、『聖女』!」
「げ、げえっ、魔力吸い!」
「ボクもいまーす!」
「は? 魔物? ……吸魔蝙蝠!」
「──ブリックさん! キリー!!!」
ブリックががっしりと彼女の華奢な体を後ろから抑え込んだ。背の高い彼に持ち上げられて、リリサの足は浮いたままだ。
羽根をはためかせてキリーがその身体を検分するように周りを飛び回る。
「コイツの魔力、吸うんだろ!?」
「ボクも、本当は主人以外の魔力なんて吸いたくないけどー、頑張って吸いまーす。吸ったらご主人様に渡しまーす」
「魔力吸い共……!」
ギリ、とリリサは歯軋りする。今日見た中で一番、悔しそうな顔をしていた。
ブリックは、ジェイドと魔力の糸で繋がっていた。ジェイドが再び魔王の力を取り戻すには誰かを魔力の糸で縛らなければならなかった。
ジェイドに『契約機』を使われる時、ブリックは「死にたくなったらお前に魔力やっちまえば死ねるから便利でいいや」と言って笑っていた。
「……ありがとう」
「ばーか。これが一番いいだろ」
ジェイドはそれに眉を僅かに下げながらお礼を言う。ブリックはそれを鼻で笑う。
二人は『契約機』を使った時とまるで同じやりとりを繰り返していた。
ブリックが『聖女』から吸い出した魔力をそのままジェイドに流し込んでいるのだろう。うずくまっていたジェイドは、いつのまにか立ち上がり、いつもの涼しい顔をして、『聖女』を見ていた。
「アルマ。これは別に直接身体に叩きつけないでも効果を発揮する。神や俺がいちいち全世界の人や魔族の身体にハンコを押して回っていたと思っていたのか?」
「あ、なんか、こう、そっちのが効きそうな気がして」
「まあ、そういうまじないは大切なことだな」
ジェイドはふと柔らかく微笑んだ。そして、アルマから『契約機』を受け取る。ジェイドのひんやりとした、大きな手のひらがアルマの手を包み込んでいた。
「……俺が、やり方を見せてやる」
ジェイドは、碧い瞳を煌めかせた。そして不敵に、ニヤリと口角を上げて、笑うのだ。
「ジェイドに回してなけりゃ五分でパンクしそうだな、コレ。えげつねえ」
「神様の魔力まずいですー」
ブリックたちが魔力を吸い上げれば吸い上げた分、『聖女』は弱体化し、そしてジェイドとアルマに魔力が回る。
「俺に従え、俺の糸で縛られろ」
ジェイドが『契約機』に、その膨大な魔力を注ぎ込む。
ブリックに抱え上げられていたリリサだが、ブリックがその手を離せば、リリサはがくりと膝をついた。しかし、まだその眼はジェイドを睨んでいる。
「……神の遣いといえど、所詮は人間の身体だ。神は赦したその罪、俺がもう一度罰を与えよう」
「……!」
カッと『契約機』は光を放ち、リリサの身体を包み込んだ。
「ジェイド……」
「『契約』はできている。あとは、コイツの……『聖女』の意思とやらがどうなるかだが……」
「ぐ……っ、魔王……!」
身体を弱々しくゆらめかせながらも、『聖女』は憎々しげにジェイドを睨むのをやめなかった。
ジェイドの契約、魔力の糸にすでに縛られているだろうに、『聖女』はジェイドに向かって唾を吐く。
まだ、その身体の『聖女』の魔力を封じることはできていないのだろう。
「はっ、これだけ一生懸命やってもらって悪いですけど、この身体をどうにかしたところで、私は次の依代に行くだけ……! そのたびこんな用意周到なこと繰り返すつもりだったらご愁傷さまでした……!」
「いらん心配をするな、これが最後のつもりだ」
「……へえ?」
リリサの煽りにも動じず、ジェイドはただ淡々と彼女を見下ろした。
「『聖女』はすでに魔力を持っているものには乗り移れない」
「……!」
「人の持つ魔力を解放するだけ……ならば、いくら神の器に適した身体だとしても、神に匹敵すると言われたアルマよりも膨大な魔力を持ち合わせていることなどないだろう?」
リリサは青い目を目一杯に開く。まさか、まさか。という顔だ。まだコイツらは何かをする気なのかという、その顔である。
「つまり、その魔力は神の貸し物というわけだ。そして、神の意思……『聖女』の意思は、魔力そのものに宿っているのではないか。そう仮説を立てた」
ジェイドが『聖女』に仮説を語り終えると、ブリックに振り向いて頷きを見せた。ブリックも、同じように頷いてそれに応える。
「エスメラルダ!」
ブリックが彼女の名前を呼び、何かを投げた。
今まで身を潜めていたエスメラルダはサッと物陰から現れ、両手でそれを持ち、抱える。──水晶だ。
エスメラルダは自身の力は大したことがないと言う。だが、彼女は器用で、魔力を他の媒体に移すことができる。
それが、自分以外の他の人物の魔力でも、だ。
「だから、お前の魔力を宝石に移しかえたら、お前、どうにかなるんじゃないか?」
声は冷ややかで平坦なものだったが、アルマがふとその顔を覗き込むと、ジェイドは翡翠の瞳を無垢に輝かせていた。
(あ、これ、ちっちゃい子が虫の脚もぐ時の顔だ……)
かくして、ジェイドの期待通りに『聖女』は水晶にへと封じ込められた。
令嬢リリサ・ローエンハイムはくったりと地に伏し、意識を失っているようだった。




