71話 捕らえられた聖女
「はい! というわけで、捕まえてきた『聖女』ちゃんがこちらになりま~す!」
「ううううっ!!! 屈辱!」
でん、とエレナに縄を引っ張られて現れた金髪ロングヘアーの美女。彼女が、今代の『聖女』ということだった。
(夢の中で会った時と容姿が違うな?)
夢の中では、彼女は白銀の髪をしていた。夢の中の彼女は、精神体だったから、だろうか。今の姿は依代となった少女の姿なのだろう。
美しい女性だ、しかし、妙に激しそうな気性が感じられてアルマは少しだけ怯んだ。
「ちゃんと『契約機』でわたしの従僕になるようにしたから大したことできないわよ。やっぱり神、死んでるから影響力大したことないわね」
「強がりですね! 魔力持ってる魔族のくせに、魔力なしの人間と変わらない使い方して、恥ずかしくないんですかあ?」
「やだ、その恥ずかしい魔族の女に恥ずかしい使い方されて恥ずかしい目に合っているどうしようもない神の遣いがいるなんて」
「ぐうっ!」
エレナはわざわざこの『聖女』を自ら迎えにいった。アルマはあくまで『リリサ』という令嬢を連れて行く体をとるのだと思ったら、エレナは彼女を『悪魔に乗り移られた哀れな御令嬢』という設定で、『契約機』による契約付きでひきずってきたのだった。
「単なる御令嬢相手に色々したら、ほら、角が立つじゃない? 悪魔に取り憑かれているくらいがちょうどいいのよ」
「それは……まあ、そうかな……」
これから、アルマたちはこの『聖女』を、『契約機』の力を持って追い出せないかを試す。
アルマは、再びマルルウェイデンの王宮を訪ねていた。ここはエレナの私室で、誰も入ることは許されていない。先日、ここに来た時はアルマとジェイドはエレナの客人として訪れたが、今回はエレナの手筈によって、夜中にお忍びで入り込んでいた。
しかし、アルマはふと不安になって、横にいるジェイドを見上げ、聞いた。
「……ジェイド、この人本当に『聖女』なんですか? 前の人もこんな感じで……?」
「……いや、こうではなかったと思うが……」
先代の彼女を夢で見た時はもう少しお淑やかに、人を思い描く『聖女』らしい女性だった。
「この人、神の遣いのわりに言葉にありがたみないですよね」
「依代になった体の精神に影響されるんですぅ!」
「それで軽薄な口調……」
「つくづく、センスないわね。やっぱり死んでるだけのことはあるわ、神」
「不敬なっ。あなたたちの祖先が神を殺さなければこうはなってないんですからねっ」
リリサの甲高い声がキャアキャアと耳に響く。
元となったリリサは、自由奔放で、男好きで金遣いが荒く、己以外の誰かを顧みることは一切ないような御令嬢だったという話だが。その身体に神の遣いたる『聖女』が結びつくと、こうなるのか。
アルマはなんだか、呆気にとられていた。
(……もっといい神の器って、なかったのかな……)
そんなことを考えている場合ではないのだが、アルマの脳裏についそんなことが過ぎる。
自分も、かつて聖女と呼ばれたが、このような彼女らの存在から由来された呼び名であったかと思うと、少し複雑な胸中であった。
「魔力を持ってるし、ちゃんとそれも上手に使えていたわ。この娘が『聖女』で間違いない。さあ、お兄様」
「うむ」
エレナがジェイドに『契約機』を手渡す。
ジェイドはそれを手に持ち、しばらく眺め、それから縄で括られている『聖女』リリサに歩み寄った。
『契約機』によって、神の意思で解放された魔力を再び封じるために。
──そして。
「……!?」
突然、アルマは膝をついた。無論、自分の意思ではない。
急にガクンと身体の力が抜けた、空気が重い。身体全身が空気に押し潰されそうだった。
「這いつくばった方が楽ですよぉ?」
リリサの、甘ったるい声が響いた。
アルマがなんとか、顔だけはあげると、そこには口角を吊り上げて美しい顔を歪ませて笑う『聖女』リリサがいた。彼女の身体を縛っていたはずの縄は、いつのまにか消え去っていた。
ジェイドとエレナもまた、アルマと同じように、まるで空気の圧に押し潰されているようにその場に蹲っていた。
「……私のなさけな~い演技、どうでしたぁ? 油断しましたあ? まさか、本当に『聖女』がこんな情けなくって恥ずかしくって、ちょろい奴だなんて、思って無いですよねぇ?」
『聖女』のイメージからは程遠い軽薄な女の声でリリサは言う。
「そう、わたし相手にもわざと力負けしてみせた……ってことかしら?」
「アハハ、あったりまえじゃないですかあ。神に遣わされた存在が、劣化魔族に魔力で劣るわけないでしょ?」
エレナが静かに問いかけると、リリサは余裕たっぷりに微笑みながら答えた。
「ずうっとあそこに閉じ込められてたら何にもできないですもん。エレナさんが来るって言うからこれはチャンスと思ったんですよぉ、で、なんでわざわざエレナさんが私のところまで来るかって言ったら……こういうことしかないですもんねぇ?」
リリサは邪悪に笑い、ジェイドを不敵な目で見下ろした。
「私を『契約機』で契約し直そうと? 神からもらった権能で? ……精一杯考えたら、まあそこに行きつきますよねえ」
「よく喋る女だな、聖女」
ジェイドが片眉を吊り上げながら聖女を睨む。ニンマリと聖女は笑みを深めた。
「そうしたら、私、ぜーったいジェイドさんと対面しますよね? でもぉ、それって……私にとっての大チャンス、なんですよ!」
つまり、彼女が言いたいことはこうだ。
わざと捕らえられて、魔王ジェイドが目の前に自らやってくるそのシチュエーションを待っていたのだと。
ジェイドはリリサの魔力の重圧に、蹲ったまま動かない。
リリサはわざとらしくゆっくり歩き、ジェイドの頭をガンと踏みつけた。
「あなた達が神を騙して殺して、だから、あなた達も騙されてヤられるくらいが、おあいこでいいですよね?」
「それをやったのは先祖だろう。神というならとっとと滅ぼせばいいものを、ずいぶんと気長なんだな」
「そうですよぉ、神には時間の感覚はないですからねえ、最後はぜーんぶみんな滅びちゃえばそれでいいんです」
ジェイドの頭をグリグリと踏んでいたリリサだったが、ふと足を離し、その場にしゃがみこんで地に伏しているジェイドの顔をしげしげと覗き込んだ。
「……前の身体の時も思ったけど、ジェイドさんって本当に見た目はいいですよねえ、なのに魔王だなんて、惜しいものです」
「相変わらずふざけた女だ」
「えー、でも、ジェイドさん、昔、私に惚れてましたよね? あれあれぇ? 今、返事してあげましょうかぁ?」
ジェイドの眉間に深いシワが刻まれる。表情があまり変わらないジェイドが、わかりやすく不快感をあらわにしていた。
「そういう事実はない」
「えっ? あ、はい」
そして、アルマに向かって端的に呟いた。
その様にリリサが大声をたてて下品に笑う。
「なんなんですか? ジェイドさんって、魔王のくせに『聖女萌え』とかなんですかあ? 一緒にそばで暮らしてたらすぐに好きになっちゃうとか、笑っちゃう」
「勘違いも甚だしい。こんな奴に一時は信頼を抱いていたことが恥ずかしい」
「アハハハハ、大丈夫ですよ。これから、そんなことは忘れちゃうくらい長い眠りにつくんですから──!」
アルマの肌がビリビリとあわだった。彼女が、とてつもなく大きな魔力を練り出したのが分かる。
彼女自身が眩く輝き、やがてその輝きが部屋中を覆った。真っ白な閃光が、空間を支配する。
あまりの眩しさと、放たれた魔力量の強さに、アルマは目を細めたが、しかし、けして閉じることはなかった。
今この場で、目を閉じるわけにはいかないのだから。




