70話 偽聖女VS本物聖女②
「こ、これは、貴様がやったのか!?」
「いけませんよ。ご令嬢を『貴様』となんて呼んでは……」
リリサを囲んでいる兵たちもまた、身体の自由を奪われていた。足腰にどれだけ力を入れても、彼らは前進も後退もできないようだった。このような状況だが、エレナは興奮する兵たちにやんわりと注意した。
「こ、この力、確かに……この娘もまた……『聖女』……?」
ぽつりと、誰かが息を呑みながら呟く。
──しかし、この国の人間というのは、あまりにも物を知らなすぎる。自分たちが持っていない力を少し持っているだけですぐに『聖女』だなんだと言い出すとは。長年に渡る王家による純朴教育にエレナは恐れがいった。最終的には王家自身すら純朴に支配されて単なるボンクラに成り下がっていたし、面白いにも程がある。
リリサは身動きができない兵士のわきをスススと通り抜け、エレナと真正面から対峙した。
「みなさん! 私がこの偽りだらけの女王を暴いて見せましょう。……それっ」
「あら?」
そして、エレナに向かって人差し指を突きつけ、大きな光の球をエレナにぶつけた。それが攻撃を意図していないことは分かっていたエレナは特に避けもしなかった。
「……なっ、え、エレナ様が……!」
「あの耳……角……! あ、あれは、なんだ!?」
(……そういうこと)
光の球に包まれたエレナの頭には大きな角が生えていて、そして耳は長く尖っていた。舌で触って確認すると、犬歯が尖り牙のようになっていた。
(人が想像する魔族らしい姿に、私を変えた……ってわけね)
エレナは冷静に分析する。もちろん、これはエレナの本来の姿というわけではない。魔族は別に身体的特徴としては人間との差異はない。しかし、長い歴史の中で魔族の定義を失ってしまった人間たちには、エレナを『魔族』と思わせるのに効果的な姿だった。
「うそだろ……エレナ様が、魔族……?」
「あの光……。俺たちを動けなくした力、たしかに、彼女は奇跡の力を持っている……!?」
「ま、まてよ、昔、アルマ様もエレナ様を魔族って仰ってたことがあるだろ」
「えっ、じゃあ、もしかして、エレナ様って本当に……」
「アレはアルマ様が魔族と繋がってたんだろ?」
「馬鹿、あれは王太子殿下の勘違いで、本当はアルマ様は国の未来を案じて提言していただけで、アルマ様は最後は死の森に自分の身を捧げて亡くなられたんじゃないか……」
ざわざわと、リリサの屋敷の一角をざわめきが埋め尽くした。動揺、懐疑心、期待、失望。エレナはそれらの感情の揺らぎを感じると、身震いした。
茶番だけれど、気持ちいい。
「ほうら、見ましたか? これがこの女の正体。この女は魔族である身を隠し、聖女を名乗り、王子をたぶらかし、時間をかけて取り込み、王家の人間を殺し、女王の座を奪ったのです!」
「そう……それが、神様のおっしゃっていたこと?」
「ええ。だから私、あなたに会いたかったの。自分の罪で裁かれる前に、あなたを裁けるだなんて……僥倖だわ! 素晴らしき機会をありがとう!」
ざわめきの中心で、エレナはそっと瞳を伏せた。
リリサは勝ち気な顔でそれを眺める。
「みなさま、ご安心ください。この私、リリサは神なる『聖女』の力をいただきました! この魔族を捕らえ、罰しましょう! この国のことは、これからは私がお守りします!」
白々しいことである。リリサは国を守る気などない。世界の滅びを待つだけの死んだ神の遣いであり、彼女の使命と目的は魔王の封印だけで、それを遂げたあとのことなど、この女の頭には全く無い。
リリサは、エレナの訪問をまさに好機と判断したのだろう。人の肉を借りている以上、ある程度はその肉に定められた事柄に従う必要がある。リリサの場合は、このリリサという令嬢が罪を犯して謹慎中の身であることに、ある程度従わなければならなかった。よって、リリサはいつこの屋敷を出て、速やかに魔王を封じにいけるか、機を探っていたことだろう。
馬鹿なことだ。聖女として国を守り、今は女王という身分になってエレナを、こんなお粗末なやり方で『魔族』だと思わせて、あろうことかそれを踏み台にして自分は『聖女』として自由を手にしようなどと。
エレナはふう、とため息をつき、静かに、ゆっくりと彼女に近づいていった。
「……そうなのね……。ああ、かわいそうな人」
リリサが顔を歪ませる。魔力によって、彼女はエレナを抑えようとしていた。
しかし、エレナとていつぞやかの『聖女』によってなされた封印の長い年月を、自前の魔力だけで生き抜いてきた魔族である。魔王の素質こそなかったが、魔族の中でも伝統と格式高い最強の系譜を持つ家の生まれであり、あの魔王ジェイドの実妹であった。
リリサの魔力を跳ね返して、リリサに歩み寄るエレナ。あと数歩、というところでエレナは魔力で練った風を彼女に叩きつけて、仰向けに倒れ込ませた。そして流れるような動作で馬乗りになり、彼女を見下ろしてエレナは微笑う。
「なに──っ」
ポン、とエレナはそのリリサの額に判を押した。
「はっ、はあっ!?」
リリサは淑女らしくない間抜けな大口を開いて、素っ頓狂な声を上げた。
対してエレナは可愛らしく小首を傾げてそれに応える。
「あら? ご存知ない? この国では罪人にはこれを押すのよ?」
「ちょ……っ」
エレナの小さな手には、国宝である聖器具『契約機』が握られていた。
そして、リリサのつるりときれいな額には『契約機』による判がしっかりと押されていたのだった。
「ああ、かわいそうな『リリサ』。悪魔に取り憑かれてしまったのね。でももう大丈夫よ」
エレナは仰向けに転がったまま動けないリリサの頭を腕に抱き、優しく頬を撫でた。
ちょうどその時、窓から光が差し込んだ。
「なんと神々しい……」
「まさに、この方は……聖母だ!!!」
さっきまでエレナを「本当に魔族なのではないか?」と懐疑心を抱きかけていた面々が、今度はさながら絵画の聖母像のようだと、声を震わせる。
「あなたはわたしに逆らえない。裁きの時が来るまで、おとなしくしていなさい。みなさん、悪魔に取り憑かれた乙女は危険です。この娘が解放されるまで、王宮にてこの私が見守りましょう。連れて行きなさい」
「……ちょっと、ふざけないで……ッ」
エレナが押した判により、エレナに逆らえなくなっているリリサはただもがいた。
エレナは、他に試した時よりも『契約機』の効力が弱いなあと感じていた。彼女が神の遣い、『聖女』だからか。この『契約機』の使い方を神から授かっている人物であれば、もっと強い強制力を得られるのだろうか。考えてエレナはついにやけてしまった。
この女に自分は封印なんてものをされて、その間の人の歴史を見逃したのだから。その女を支配できるというのはわずかながらその溜飲が下るというものだった。
「あ、そうだ。この変な角と牙と耳、戻してくださる?」
「……ッ」
リリサが歯軋りする。それと同時に、ぼふっと音を立てて、エレナから角は消え去り、耳も元の丸い形に戻った。
「うんうん、牙も戻ったわね。あれじゃあご飯が食べづらそうで困っていたのよね」
エレナの姿が戻ったことで、兵士たちも安堵したようだった。
「よ、よかった。あれは、悪魔の魔術によるまやかしの姿だったのですね!!!」
「エレナ様が魔族なわけないだろ! あの人は今までずっと俺たちの国を守ってきたんだ……!」
「エレナ様の予知夢はまた当たったのですね……!」
「ばか、お前当たり前だろ、エレナ様は本物の聖女だぞ!」
女王であるエレナが、謹慎中の罪人に会いに行くことは異例なことである。
それが許されたのは、エレナが「予知夢」をしたからだ。
罪人リリサ・ローエンハイムは悪魔に取り憑かれている。今すぐ聖女である私が行って保護しなくては大変なことになる、と。
(ふふふ、わたし、予知夢ができない落ちこぼれなのになあ)
近衛兵が持て囃す声にニッコリと応えながら、エレナはひとりごちた。




