67話 決断
アルマはパチパチと瞬きを繰り返し、その誤解は、訂正すべきだろうと口を開いた。
「わ、私、嫌じゃなかったですよ」
「……そうか」
ジェイドの返事は、どこか重たげである。
「お前に中途半端なことをしていると、思っていた。それなのに、ますます余計なことをしてしまったと反省していた」
「……そんな」
「……もしも、本当は……」
ジェイドの翡翠の瞳に、アルマの顔が映る。
ジェイドは何かを言おうとして、「いや」と口ごもると、小さく首を振った。
「……これは、言うべきことじゃないな。すまん」
なんとなく、言われなくても、アルマにはジェイドの言いたいことがわかった気がした。
ようは、散々言われてきた「もしも、お前の気が変わったのなら、そうしていいんだぞ」という類のことだろう。
ジェイドに対して、上から目線の言い方になるが、ジェイドの言わないことにした判断は正解であった。これを言われたら、アルマも少しイラついていただろう。
あの時、抱きしめられて、そのあと何か変わったかといえば、何も変わらなかった。まだ、アルマは告白の返事は保留にされたままだ。
ジェイドから、嫌われてはいない、と思う。でも、それだけだ。
「……ジェイドは、ちゃんとしたいんですか?」
アルマが、ふと問うとジェイドは一瞬だけ目を見張った。
「ああ」
アルマは息を呑む。ごくごく短い返事だったが、それは肯定だった。
それだけのことだけど、アルマには、それが嬉しくて、たったの二文字の言葉を胸の中で繰り返した。
ぎゅ、と手を握り締め、そして、アルマはジェイドをしっかり見つめて、口を開いた。
「私、たしかに、隠し事してました」
「……そうか」
ジェイドに、『聖女』のことを言おう。アルマは、決めた。
いいタイミングである、とも思った。今日にも、明日にも、聖女は訪れるのかもしれないのだから。
「私、夢の中で『聖女』に会ったんです」
「……『聖女』に!?」
ジェイドにしては珍しく、張り上げた声だった。大きく見開いた翠の目には動揺が滲んでいる。
「……いや、そう、驚くことではないか……。すまん」
はあ、とジェイドは大きなため息をつき、自らを諌めていた。
「それを隠していたのか。それで、なにやらコソコソと」
「すみません……」
「いい、俺を気遣ったんだろう。……ありがとう」
首を振り、ジェイドはアルマに微笑んだ。
「……いままでの『聖女』も、夢の中に入り込んでくることがあった。お前のところに来ていたとはな」
「いつも宣戦布告されてたんですか?」
「神とやらが全知全能ではないせいで、いちいち奴らが俺の居場所を探らないといけなかったらしい」
「……あと、その『神』にも会いましたよ」
「神に?」
ジェイドの眉間に深い皺が刻まれる。
そんなわけないだろうとでも言いたげである。
「え、でも、ジェイドも会ったことがあるはず……」
「なんだと?」
「『契約機』を使う力、もらいましたよね?」
「……それは、もらいに行ったが……。アレが?」
「神とは、名乗られなかったんですか?」
怪訝な表情のまま、ジェイドは頷く。
「オレたち魔族は、アレは夢の中で具現化された力そのものだと捉えていた。ヤツも、力をやるとしか言わない。そういう認識しかなかった」
神たる光の球体は、恐らく、わざと神とは名乗らなかったのだろう。何しろ、魔族に力を授けるのは祝福でもなんでもないからだ。
「……魔族達には、神にまつわる伝承って残っていなかったんですか?」
「いや、俺たちは自身が長命であるせいか、そのぶん記録はいい加減だ。ただ、神なんていうものは人間の味方だと思ってきた」
魔族は、神を殺して、その上に神を騙して罰から逃れた一族の末裔であるという話だ。魔族の間で神という存在の記録が残らなかったことは、故意的なものかもしれない。
「……そうか、しかし……『聖女』が、か……」
ジェイドは視線を彷徨わせる。曇った表情を見上げて、アルマは言った。
「私、『聖女』をどうにかしたいです。ジェイドが封印されてしまうのは、嫌です」
「……そうか」
しばしの沈黙。アルマの脚に擦り寄る魔物の鳴き声だけが、小屋の中に響いていた。
やがて、翡翠の瞳を煌めかせながら、ジェイドはアルマをしっかと見つめ、口を開く。
「アルマ、悪かったな。色々と、迷惑をかけた」
「そんなことないです」
「……結局、俺はただ屁理屈を捏ねて逃げようとしていただけだった」
魔物たちの立てる足音や、物音がうるさい家畜小屋の中で、ジェイドの声は小さく抑えられた声だったが、アルマの耳にはしっかりとその言葉は入っていった。
「シグナルにも……。アイツにも悪いことをした。魔族の復興はできなくても、アイツに夢を見させてやることくらいはできただろうに」
「……彼は、その夢の他にも、やりたいことをやれましたよ」
「……」
ジェイドは眉を寄せ、苦笑しているような、曖昧な顔をした。
シグナルが散ったあの場所には、花が咲くようになったらしい。あの国の全ての場所でそうなったわけではないが、カインは、「春が来た」と言っていた。
「アルマ、お前の気持ちにも……応えてやれずに、悪かった」
「それは……いいんです、よくないけど」
よくないけど、それは些事だ。今、この場で気にすることではない。
「もうすでに『聖女』も目覚めているなら、何を躊躇することもない。俺は『契約機』を使って力を取り戻す」
「……それって」
ああ、とジェイドの低い声が、小さく響いた。アルマはジェイドを見つめる。薄暗い中、ジェイドの蒼い瞳だけが、ぎらりと輝いているかのようだった。
「俺は『魔王』になる」




