62話 優しい人
ブリックに担ぎ込まれて、グリフォンの背に乗って、しばらくして。
アルマはブリックの大きな赤褐色の目を見つめていた。ブリックは、はあと大きなため息をつく。
「悪かった。でも、どー考えても無駄だろ、あのジイさんが知りたいことまで気にしてたらキリがねえ」
「……はい」
「あと、フツーにオレがもう限界。神だとかなんとか、めちゃくちゃだ」
ブリックは頭を抱えた。アルマもその気持ちはわかるので苦笑した。
「ごめんなさい、付き合ってもらって」
「ん、それはいいんだ。わりぃな、堪え性なくて」
「ブリックさんに連れてきてもらえて、助かりました! ありがとうございます」
ブリックはニコ、と笑うと、アルマをしげしげと見つめだして、再度ため息を漏らした。
「……しかし、顔、かわいいな」
「あ、顔、近かったですね」
アルマが身を引くと、ブリックは残念そうに眉を寄せた。
「なんだ、別にいいのに。オレのこと見てるアルマ、かわいかったのによ」
「もう、またそんなこと言って」
「オレはアルマといたら、大体アルマかわいいなとしか思ってねえよ」
ブリックの言葉はまっすぐで、嘘がなさそうであるのがアルマを困らせた。二年間の付き合いがあって、「かわいい」と言われることに慣れてはきたけれど、いまだにどう返すのが正解なのかはわからない。
「ありがとうございます」と返すと、ブリックはニッと笑みを深める。彼は、赤褐色の瞳にアルマをうつすことは、やめなかった。
グリフォンが空を切って飛ぶ。風に煽られて、アルマの長い髪が舞った。
その姿を目で追いながら、ブリックはぽつりと口を開いた。
「ジェイドにはまだ言わねえのか」
「……はい」
「そっか」
『聖女』が目覚めていること。自分が夢の中で彼女に会ったこと。
いつかは伝えるが、いまではない。猶予はまだあるはずだ。
しかし、いつ伝えるかも、決めておかなければならないだろう。
ヴィスコから、昔の歴史のことも聞けた。『聖女』の手から、ジェイドを救うための手立てはどうしたら見つかるだろうか。
ある程度のところで見切りをつけたら、ジェイド自身と相談して、対応を決めるのがいいだろう、と思う。
「アルマ、オレに話してくれて、ありがとう。お前はえらいよ」
唐突に褒められて、アルマはきょとんとする。
「オレができることなら、なんだって手伝ってやる。ちゃんと、オレを頼ってくれてありがとう」
「そ、そんな。お礼を言うのは私の方で……。なんで、お礼なんですか?」
「そんなん、嬉しかったからに決まってんだろ」
ブリックは大きな目をゆっくりと狭めて笑った。
「ま、て言ってもオレがやったことなんてただの運び屋だからな。『聖女』がどんなモンで、どうしたら抑え込めるかなんか、オレにはわかんねえし。でも、こういう時にアルマがオレを思い出して、頼ってくれたことが嬉しかった」
「ブリックさん……」
ブリックの、真摯な言葉がアルマの胸をうつ。じいっと彼の瞳を見つめていても、ブリックはアルマから目を逸らすことなく、穏やかに目を細めたまま、アルマを見ていた。
強い風がふく。ブリックの、高い位置で結い上げた硬い毛質の髪が風に揺れていた。
「なんで、ブリックさんはそんなに優しいんですか?」
「はあ? 優しいか、オレ?」
「優しいです、優しいって思います。私は……」
「お前にそう思われているのは悪い気はしねえけどな」
ずっと前から思っていたことを、口に出してみると、ブリックは怪訝な様子だった。ブリックほど、優しい人をアルマはそう知らない。
悪い気はしない、と言った彼ははにかんでいた。
「どっか行きたかったら、いつでもオレに言ってくれよ。いつでも飛んでいくし、どこにだって連れてってやる。……まあ、飛ぶのはコイツなんだけどよ」
言いながら、ブリックはグリフォンの背を撫でた。
「グリフォンくんも、すごい懐いているし、私の使い魔のキリーもブリックさんをすごく慕ってるみたいで。やっぱり、ブリックさんは優しいんですよ」
「ハハ、それならいいけどな。そういうのは、悪い気はしねえから」
このグリフォンとブリックは、長い付き合いらしい。ブリックの魔力を吸う体質から、常に行動を共にしているわけではないらしいが、それでもグリフォンは必ず彼の元に帰ってくるというのだから、その間にある信頼関係が確固たるものであることに疑いはないだろう。
「でも、誰にでも優しいわけじゃねえからな」
「そんなこと言って……」
「……だから、お前やジェイドができないことがあるなら、オレがやってやる」
え、とアルマは目を見開いた。笑っていたはずのブリックが、真面目な顔をして、アルマを見据えていた。
「オレにとったら、アルマもジェイドも、大事だ。オレにできることなら、なんでも手伝うから」
「……」
「今日みたいにさ、ちゃんと頼ってくれよ」
ブリックは、優しい声色でゆっくりと喋った。
だが、アルマは、ブリックが言いたかったことの本質を、わかっていた。できないこと、非情な手段を選ぶことがあれば、ブリックがやってやると、そういうことを彼は言っていた。
ブリックは優しいと、アルマは思う。
「……はい」
小さい声でアルマが答えると、ブリックはニコリといつもの気安い笑みを浮かべた。
そして、ぽつりと口を開く。
「……アルマ、ジェイドに惚れてんだろ」
「えっ」
「えっ、ってなんだよ」
「だ、だって……えっ?」
「マジでその反応かよ」
どうしていきなり。どうして気付かれた。アルマは困惑していた。
呆れたようにブリックがため息をつく。
「ば、バレバレってやつですか」
「ま、そんなとこだな」
「……エスメラルダさん〜……」
「なんで急にアイツの名前が出んだよ!」
「つ、つい……」
エスメラルダにも、アルマが自覚する前から恋心に気づいていた旨を告げられたばかりだった。そのせいで思わず口からこぼれ出てきてしまった彼女の名前に、ブリックは眉を顰める。
「……それは、いいんだよ。で、だ。そうなんだろ」
「そう……って」
「悪ぃんだけどさ、お前の口から聞きたい」
アルマが目をパチリと瞬きしていると、ブリックは眉根を寄せたまま軽く口角を上げて笑んだ。
その表情が、どうにも真剣に見えてしょうがなくて、アルマは素直に言おうと、頷き、軽く彼を見上げながら、答えた。
「……はい、す、好きです」
「……」
アルマが、ブリックの目を見て告げると、ブリックはいままでずっとあった眉間のしわを解き、わずかに瞳が揺れたが、しかし、何も喋って返してはくれなかった。
「……おう」
無言が続いて、アルマが不安に駆られだすころ、ようやくブリックは重い口を開いた。
「頑張れよ」
「……はい」
ニッと笑って、一言激励してくれたブリックに、アルマは深く頷く。
「まあ、こっちの方は手伝いはできねえけど、応援はしてやっから」
「わっ」
ブリックの大きな手のひらがにゅっと伸びてきて、アルマの栗色の髪をぐしゃぐしゃにしながら頭を撫でた。ブリックに、こんなことをされるのは初めてだ。ブリックは大柄な体躯の持ち主だが、いたずらにこんなことをする人ではない。
だが、大きな手のひらは暖かくて、髪の毛をかき乱されても、不思議と心地よいとアルマは感じていた。
ぐしゃぐしゃにしてくる腕の向こうにあるブリックの顔はなかなか覗けなかったけれど、「ハハハ!」と笑う声だけは、大空の上でよく聞こえて、響いていた。
いつも読んでくださってありがとうございます!
書いたり書き直したり消したり繰り返していてなかなか亀の歩みですが、ラストに向かってがんばっていきたいと思います…!




