60話 研究者ヴィスコの推察①
「アルマさまぁ〜!」
「ヴィスコ博士!」
アルマが訪れたのは、かつて王宮にいた魔族の研究者、ヴィスコのもとであった。
彼と会うのは久しぶりだったが、見るからに元気そうでホッとする。ドタバタと小走りで迎えてくれた。
「あいっかわらず落ち着きのねえジイさんだな」
「ややっ、ブリックさんも! いやあ、いつでも遊びに来てくださいと言っているのに! アルマさまと一緒じゃないと全然来てくださらないから!」
「誰が研究対象にされてるってわかってて好き好んで来るかよ! アルマに頼まれでもしなきゃ、オレ、ぜってー嫌だからな!」
ヴィスコは、魔力を体に蓄え続けるという特異体質を持った魔族であるブリックに興味がしんしんだった。ヴィスコは、研究者としては優れているが、倫理観や思いやりに欠けている部分があった。アルマはそこを好ましく思っていたが、ブリックはその点について、不快感をあらわにしていた。
(……でも、なんというか、ブリックさんってそういうタイプの人から好かれやすいって感じ、あるのよね……)
ヴィスコとブリックのやりとりを見ながら、アルマはかつて会った北国の王子のことをぼんやりと思い出していた。
ブリックは、彼とも軽妙なやりとりを繰り広げていたけれど、よくは思っていないようだった。
「ブリックさん、ごめんなさい。私、無理言って」
「なに言ってんだよ、オレが嫌だってんのはこのジイさんに会うことだけで、アルマにお願い事されたらなんでも嬉しいぜ。もっとなんでも言ってくれって」
ヴィスコに対する冷たい眼差しから一転、ブリックはアルマを振り向くと、歯を見せてニカッと笑う。
アルマは、ブリックには『聖女』が目覚めたことを伝えた。そして、『聖女』をどうしたらいいか探るために、協力をしてほしいと、お願いをした。
ブリックは『聖女』と聞くと、やや目を見張ったが、すぐに笑って頷いてくれた。
「まま、立ち話もなんですから、どうぞ中にお入りください!」
ヴィスコに促されて、アルマとブリックは研究所の中に入る。
室内は物が多く、雑然としているが、おそらくヴィスコなりのルールに則って物が散らばっているはずだ。ヴィスコはどこからか椅子を持ってきてくれて、二人はその椅子に座った。
お茶も出されたが、ブリックは嫌がって口をつけようとしない。酸味が強い、赤いお茶だった。
「さて、今日のご用件は……」
「人間と魔族の歴史について、新しくわかったことがあれば知りたいんです」
なぜ、あの『聖女』という存在が『魔王』を封印する使命を持っているのか。なぜ、そうしなければいかないのか。
それを知るヒントが、そこにあるのではないかとアルマは考えた。
「かつて、人間と魔族は同じ一つの種族であったという考察を、以前お話しましたね」
「は、はい」
「アルマさまとお話してから……あれからも、エレナ嬢とも一緒に、我々は調べ続けていたのです。そうしましたら、分かってきたことも、いくつかありました」
ヴィスコは真剣な面持ちを作り、静かに話し始めた。
「まず、同じ種族であったこと。これは、確定事項であるとします」
確定とした理由については、以前の考察とそう変わらないとして、ヴィスコはその説明は割愛した。
「彼らはみな、魔力を持っていました。しかし、過去に、生きていた人々は罪を犯し、魔力を封じられたのです」
「それも、前に博士が可能性として挙げられていましたよね」
「ええ。そして、魔力を封じられた者たちが人間として発展し、罪を犯したにもかかわらず、罰を逃れた者たちが、魔族となった……という流れのようです」
罪を犯した罰。罰が与えられたというなら、誰が与えたというんだとアルマは首を捻る。
「人間も魔族もみんな罪人、って? 当たり前のように話してるけど、それ、誰目線だよ」
同じことを思ったらしいブリックが口を挟む。
「──もちろん、『神』目線です」
ヴィスコは曇りなき眼でハッキリと答えた。
ハッとブリックは息を吐き捨て、ジロリとヴィスコを睨んだ。
「学者が神を信じるのかよ」
「信じますよ。そうでなくては、説明がつかないことがこの世の中には多すぎる。神の存在を肯定した方が、物事はシンプルに考えられます」
「……そういうのは、わけわかんねえけどよ」
ガリガリとブリックは頭をかいた。
「まあ、いいや。神サマ、ってのが、いるわけだ」
茶々を入れない方がいいと判断したブリックは苦言を呑み込んだらしい。脚を組み替えて、椅子にどっしりと座り直した。
「どうも、その神というのが、罰を与えたと考えるしかないようなのです」
ヴィスコは無精髭をいじりながら、ため息をついた。
「資料をどう読んでも、ある時突然、人間と魔族が別れているのです。これは、超常的な力の影響を信じなければ、不自然すぎる」
「……博士は、『聖女』のことはご存知ですか?」
アルマの問いに、ヴィスコは深く頷いた。
アルマが呼ばれていたような聖女ではなくて、今、目覚めた本当の『聖女』のことだ。
「ええ、エレナ嬢から聞いています。どうも、聖女が魔王を封印する使命を持っているのも、魔族が罰から逃れたためのようですな」
「聖女が、罰を与えるために……?」
「ううん、おそらく、そうでしょうなあ」
アルマは、なんとなく『聖女』とは人の世を救う存在なのだと考えていた。自分が『聖女』と呼ばれていたときに望まれていた役割が、それだったせいかもしれない。だが、ヴィスコの話を聞く限り、聖女は人に望まれて存在しているわけではない。罰を逃れた者たちに、罪を償わせるため。そのためだけに、彼女は存るというならば。
「……聖女は、人間の味方ではない?」
アルマはぽつりと、呟いた。
「そうですな。見方によりますが……。『聖女』は神の遣いという役割以外の目的は有していない、というところでしょうか……。人間たちにはすでに罰を与えているのでそれ以上彼らを害することはない、そして、人間と敵対関係をとっていた魔族こそ彼女らが罰する対象だった、というわけで、結果的に、そういう意味では人間の味方と捉えられてきたのではないでしょうか」
「……そう思われていたから、私もきっと聖女って呼ばれていたんですもんね」
「アッハッハ、もはや懐かしいですな〜! あの時のアルマさまはスカしてましたな!」
ヴィスコは声をあげて笑う。それどころか、何かツボに入ったようで、腹を抱えながらひきつけを起こしていた。
「ジジイ、クソ失礼だな」
「い、いいんです。私もその時のことを思い出すと、ちょっと恥ずかしいから、笑ってもらった方が」
「いや、アルマさまは今の方がいいと思いますよ。ええ。ただ、ちょーっと、ええ、懐かしいですなあ!」
「アルマがよくてもオレがムカつくな、コイツ……」
ブリックの舌打ちが部屋の中に響いた。
「んで、なんだよ。神サマっていうのは……なんでそんなしつこく罰を与えたがっているんだよ」
「いやー、それは、ワタシも神ではないので……」
「テメエが神じゃねえのはそりゃそうだろうが! ここで茶目っけ出すな!」
「まあ、罪人の世界など滅びてしまえ的なやつですかね」
言葉の意味に反して、ヴィスコの声は軽かった。
ホッホッホ、とヴィスコは笑う。
「なんだそれ、滅びてねえじゃん、今」
ブリックは眉をしかめた。
「エレナ嬢が言うには、魔力を持たない存在しかいない世界では、いつか世界は枯れきって滅びるだけだ……と」
「……だから、魔族を封印して、人間だけの世界にして、いつか滅びるのを待っている……?」
「まあ、もう、ここまでいくと完全に妄想の世界ですがなあ! 『聖女』がいるなら、神の声をついでに聞かせてほしいもんですな!」
散らかった部屋で、ヴィスコの笑い声だけがこだましていた。
初めて予約投稿機能使ってみます。更新ペースゆっくり進行になっててすみません…。




