57話 聖女の復活
「……そう、そんなことがあったのね……」
アルマはジェイドの過去を夢に見てしまったことをエスメラルダに話した。
エスメラルダは両腕を抱き寄せ、目を伏せた。
相変わらず、彼女は胸を強調する服を着ていたが、アルマもさすがに見慣れてきたし、今は彼女の胸の谷間に気を取られるような気分ではなかった。
「まあ、間違いなく、ジェイドのその当時のことを気にしているわ。ものすごく」
「……そう、ですよね……」
「アルマちゃんが来てからはマシだけど、それまでずっと露骨に『死ぬために生きてる』って感じでしたもの」
はあ、とエスメラルダがため息をつく。
「でも、アルマちゃんがそんなに気にすることではないわ。ジェイドから聞いたわけでもないんでしょう」
「……そうなんですよね」
あの夢は、アルマが勝手に見てしまっただけだ。そのことも、なおさらやましさが胸に湧いてくる。
「もしかしたら、それでアルマちゃんに告白されてもいい返事ができないのかもしれないけどね」
アルマは苦笑する。隠しても、見透されてる気がして、アルマは自分の好意と、それをジェイドの伝えたことをエスメラルダに話していた。
エスメラルダはううん、と小さく唸り、小首を傾げてアルマを見つめた。
「私、ジェイドは絶対にアルマちゃんのこと好きだと思うんだけどなあ」
「あ、あの、そういえば、エスメラルダさんって、どうして私がジェイドのことが好きだ……ってわかったんですか?」
「えっ、見てればわかるわよ」
「そ、そうなんですね……」
きょとんとした顔で返されてしまい、それが余計に気恥ずかしい。アルマが顔を伏せると、フフ、とエスメラルダは小さく笑った。
「初めて聞いた時はバッサリいかれちゃったけど、でも、あの時からもう好きなんだろうなって思ってたわ」
「そ!? そうなんですか!?」
「アルマちゃんはジェイドが初恋なのね」
微笑むエスメラルダに言われて、あまりにも恥ずかしく、アルマはゆるゆると俯いてしまった。頬が熱い。
「……そう、かも、多分、そうだと思います……」
「小さい時からお城に連れて行かれて、王子様のお相手させられていたんですもの。しょうがないわよね」
「この年で初恋拗らせてるとか、恥ずかしいですけど……」
多くの子女は16歳を境に婚姻する。アルマのように19歳になっても相手がいないというのは、変わり者扱いをされるものだった。
アルマの生まれ故郷の村では、あんな辺鄙な田舎だからか、余計にその傾向が強かった記憶がある。
「あら、そんなことないわよ! そんなこと言ったら、私なんて何百年も生きていて今ようやく初恋ですもの!」
「えっ、ダグラスさんが!?」
「そうなの! 運命の出会いって、あるのね。長生きしてよかったわ」
エスメラルダはうっとりと緑色の目を細めた。
「……ジェイドは、自分のせいで魔族が滅んだことを気にしているけれど……私にとっては、悪いことばかりじゃなかったの。封印でもされてなかったら、私はもっと前に寿命を迎えて、ダグラスには会えなかったし……」
そういえば、とエスメラルダはポンと手を叩いた。
「ブリックだって、死ぬ直前だったそうだけど封印されている間に魔力が抜けて、まだまだ生きていられるようになったし、あの子、戦場に送り込まれていた時、まだ15歳だったのよ」
「えっ」
「人間でも、15歳はまだ子どもでしょ?」
そういうことを考えると、よかったわ、とエスメラルダは繰り返した。
不意に、彼女は目をとじる。しばし、神妙な顔つきをしてから、ゆっくりと目を開いた。
「……私もね、最近よく夢を見るのよ。女の子がこっちの方を見る夢……」
緑色の美しい瞳がアルマを見据える。宝石の煌めきに似た目に見つめられると、ドキリとした。
「もしかしたら、聖女がもうすぐ目覚める。もしくは、もう目覚めているのかもしれないわ」
「……『聖女』、って……」
聖女とは、なんなのだろう。魔王とは、なんなのだろうか。
「私も、全てを知っているわけではないわ。魔王であったジェイドにすらね」
ただ、とエスメラルダはつぶやいた。
「魔王の存在がある限り、聖女は必ず目覚める。聖女はそれが役目だから」
◆ ◆ ◆
カラン! と鐘が、力強く鳴り響く。
剪定の鐘の音である。
今ここに、ある一人の少女の罪が裁かれた。
「リリサ、貴様との婚約は破棄させてもらう!」
「──はあ?」
マルルウェイデンの貴族令嬢、リリサは美しい額に深く皺を刻み込んだ。
令嬢らしからぬ声と表情を晒すリリサに、向かい合っている男性は、ハッとその醜態を鼻で笑った。
「よっぽどショックか……。まあ、せいぜい、修道院にでも入って、今後の人生は清らかに過ごすんだな!」
男は笑いながら、この場を去っていく。そんなことはどうだっていい。
リリサの頭の中を占めているのは、そんなことではない。
今、この瞬間、リリサは『リリサ』ではない記憶と、『リリサ』では知り得ない訳もわからない途方もない情報の波に襲われ、呑まれていた。
意識が掻き消えていき、代わりに、『リリサ』ではないものが覚醒していく。
『今代の聖女よ、目覚めなさい。先代は、魔王を封印しましたが、その封印は解かれました。再び、魔王を封印せねばなりません』
(そういえば、この声って、昔から……)
そうだ。もう10年か、12年か、それくらい前からたびたび変な声は聞こえてきていたが、令嬢たるリリサは声を無視してきた。何しろ、この声が聞こえてくるタイミングというのがいつも悪い。いつだって、お取り込みの最中にこの声は降ってくる。
リリサには残念ながら、信心深さは全くなかった。我が身可愛さだけで生きている女だった。自分が良ければ、それでいい。好きな男とは全員付き合い、欲しい服は全部着て、興味を失ったら捨てていって、また欲しいものを探して手に入れる。そういう人生を送ってきた。婚約破棄を突きつけてきた男は、そんなリリサを気に入らなかったようだけど、リリサだって、あんな真面目なだけの男に興味はなくて、ただ単に親が勝手に結んだ縁談だったから、付き合っていただけで、どうでもよかった。
『早く目覚めなさい。聖女よ』
もう少しリリサに信仰心があれば、これを『神の声』と認識して、もっと早くにこの声のいう戯言を聞き入れていたかもしれない。
今回も、声はお取り込み中、リリサが婚約破棄をされるなんてタイミングでやってきた。
ただ、いつもと違ったのは、『リリサ』じゃない記憶が強制的に流し込まれてきたこと。『呼びかけ』ではなくて、有無を言わさぬ『強制』だ。
そして、リリサは意識を失う。
『彼女』は何度か瞬きを繰り返し、ぼうっとあたりを見回した。
「──お嬢様、大丈夫ですか!?」
『彼女』は駆け寄ってきたリリサの従者にニコリと微笑んだ。従者はそれを見て、怯む。従者は長年リリサに連れ添ってきたが、彼女がこんなふうに笑うところなど、見たことがなかったからだ。
「ええ、ありがとう。何だか、疲れてしまったわ。早くお屋敷に戻って休みたいわ」
「は、はいっ。御者を待たせてあります!」
「ありがとう。マックス。ごめんなさい、足元がふらついて……どうか、私の手を引いてちょうだい」
「か、かしこまりました!」
この場に居合わせた、リリサを知るものは全て、騒然とした。異例のことである。リリサは従者に優しい女ではなかった。名前を呼ぶなど、あり得なかった。
この場所は教会であった。リリサは、今日、神父の立ち会いのもと、彼女が犯してきた罪、婚約者への不義理を裁かれた。
この日を境に、リリサは「悪女が今や聖女のよう」「まさか聖女様でも乗り移ったのか」と噂をされた。
事実、彼女は『聖女』というものに乗っ取られていた。
リリサ・ローエンハイムは『聖女の器』であった。
ガッ!!!と書けますように。




