54話 進展のない二人と不穏の陰
2年間。アルマはジェイドと生活を共にした。
それは穏やかな日々だった。穏やかで、平凡で、なんてことのない日常の繰り返しは幸せなものだった。
ただし、アルマとジェイドの仲はほとんど進展しなかった。
(今のままで、幸せすぎてこれ以上何をしたらいいのかわからない……!)
2年前、初夏の頃。アルマは一度、ジェイドに告白して、その告白は受け入れられなかった。
ただ、アルマはジェイドのことを呼び捨てで「ジェイド」と呼ぶことにだけは慣れた。丁寧な言葉を使って話さなくてもいいとも言われているが、そこは崩せなかった。何度か試そうとしては硬直しているのを笑われて、それは免除となった。
(嫌われてはいない……のは、わかるけど)
ジェイドがアルマのことを好きになる理由が、やっぱりどう考えても、なさすぎるのだ。そもそも、人に好きになってもらうためにはどうしたらよいのだろうか。
わからない。なにも、わからない。
アルマはジェイドに親切にされて、優しくされて、ジェイドのことが好きになったが、同じことをアルマがジェイドにしてやれるのかというと、アルマにはできる見込みがしなかった。今も、アルマは居候で、ジェイドのしている畑仕事などは手伝っているものの、それだけだ。
何をすれば、自分はジェイドの助けとなれるのだろうか。
しかも、ジェイドはアルマに魔力を分けられた一件から、惜しみなく日常生活で魔力を使うようになった。ずっと「魔力が少ないから」と魔力を使わないように過ごしてきていたのに、今や積極的に魔力をどんどん使うようになり、畑の水やりなど、一瞬で終わらせてしまう。なんなら、新しく畑を耕すのにも魔力を使っている。
小麦の脱穀も魔力で風をぐるぐると操り、なにやら器用に行っていた。
「このくらいの魔力量だと、魔力のコントロールもしやすいな」
となんだか嬉しそうだった。
エスメラルダいわく、ジェイドは膨大すぎる魔力ゆえに、繊細なコントロールは苦手としていた、とのことだった。今までできなかったことが、できるようになるというのは、何歳になっても嬉しいものなのだろう。アルマはその様子を微笑ましく見ていたものだった。
しかし、どうも、ジェイドのこれは『積極的に魔力を消費しよう』としてのことらしい。
以前よりも魔力量が復活して嬉しいという感情と、こんなにたくさんの魔力はいらんという感情が、どうやらせめぎ合っている、らしい。
そのことに気づいてからは、アルマはジェイドが魔力を使う姿を、少し複雑な胸中で見ていた。自分が、無遠慮に持っている魔力をジェイドに渡してしまったからだ。
ジェイドは、自分が魔王としての力を取り戻してしまうのを、恐れている。
◆ ◆ ◆
「いらん」
「どうして? お兄さま、昔は欲しがってたでしょ?」
「それは……そうだが。今は状況も違うだろう。人間たちの手元にあるのは落ち着かなかったが、今やあの国はお前の手中だろう? なら、お前が持っていてくれ」
『契約機』を挟んで兄妹が少し揉めていた。
頑なに受け取りたがらないジェイドにエレナは首を傾げる。
「……お兄さま、もしかして、こわいの?」
「……そうだ。俺の手元にあるより、お前の手が届く場所においてある方がいい。お前が死ぬ頃には、他の魔族たちもみんな死んでるだろう」
「まあ、お兄さま。私にそんなに仕事させる気?」
エレナはくすりと笑って見せる。ジェイドは片眉を寄せ、大きくため息をついた。
「……破壊するか」
エレナが持ってきた例の『契約機』を片手に抱えて、ジェイドは真剣な眼差しでつぶやいた。
「こ、壊しちゃっていいんですか……?」
人間たちが国宝扱いしてきた、元々はジェイドの持ち物であったそれを壊す。アルマにはその価値も真価もわからないが、簡単に壊していいものなのだろうか。
「──手のつかない場所にあっても不安になる。だが、実際手元に戻ってくると……持て余す」
「はあ……」
「お兄さま、別にお城の宝物庫に置きっぱなしにしているだけでいいなら、わたしが持っておいてあげてもいいけど?」
「お前も別にコレを必要とは思っていないんだろう? ならば、壊すのが一番だ」
「ふーん。ならいいけど」
壊す気マンマンのジェイドに声をかけたエレナも、一応言ってみただけなのかあっさりと引いて、退屈そうに伸びをした。
(いいんだ……)
アルマがぽかんとしているうちに、ジェイドが練り上げた魔力の塊をそれに叩きつけた。
ダン! と鈍い音が響く。
しかし、『契約機』は壊れなかった。ただの石にしか見えないのに、ずいぶんと頑丈だ。ヒビの一つも入っていないのではないだろうか。
「わ、私も手伝います!」
アルマも加勢して、『契約機』を破壊しようとする。
だが、しかし、それは壊れなかった。
「……何だこれは、呪われてるのか?」
「い、いつ頃からあるんですか? これって」
「これは歴代魔王に代々受け継がれている魔族の秘宝だ。……いつ頃からあるかは、わからん」
「……本気でこれは、『呪われてる』説あるのでは……?」
魔力を使いすぎてその場に突っ伏したジェイドとアルマは互いに顔を見合わせて、どちらともなくこくんと頷いた。
「……厳重に、保管するしかないか……」
「じゃあ、やっぱり元あった場所に戻しておこうかしら」
一人だけ涼しい顔をしたエレナがひょいと『契約機』を拾い上げる。
「やっぱり壊せなかったわね、お兄さま。全盛期のお兄さまだったら、もしかしたら……とは思ったけど……ね?」
エレナは流し目でチラリと兄を見る。
「あーあ、お兄さまが喜んでくれると思って、取ってきたのにな?」
「すまん……」
「いいわよ。兄思いなところを見せつけられただけで結構よ」
ジェイドがバツが悪そうにしているのを、エレナは愉快そうに目を細めて見ていた。
「コレはわたしが管理しておくわ。誰もこれを使えないように」
「頼む。ありがとう、エレナ」
「……まあ、でも、お兄さま?」
エレナがじっとりと目を細め、兄を見上げた。
「いつか必ず、『その時』は訪れるわよ?」
「……わかっている」
エレナが手にもつ『契約機』を見つめながら、ジェイドの眉が苦しげに歪んだ。




