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番外編 ブリックと、アルマの呼び捨て事変

※二章完結後のお話

ブリック視点

「わあ! おいしそう!」


 ある日、ブリックは手土産を持って、ジェイドの屋敷を訪れた。

 アルマもジェイドも甘いものが好きだ。フルーツのタルトをアルマに渡すと、アルマは大きな目をキラキラと輝かせた。


 うん、かわいい。


「今、ちょうどお茶でも淹れようかなと思っていたんです。ジェイド様も、そろそろ家畜小屋から戻ってくるはずなので!」


 アルマに促されて、ブリックは食堂の椅子に座る。


 カインとシグナルの一件を、彼女は気にして引きずってしまってやいないかと心配していたが、ひとまず元気そうな様子にブリックはホッとする。

 アルマは「しっかりしよう」と気負いがちだが、繊細だ。本人に向かってそう言ってしまうのは失礼だろうから、言わないが、結構細かいことを気にする子だとブリックは思っていた。そういうところが好ましいと、ブリックは思うのだが、きっとアルマ本人は「自分のよくないところ」と認識してそうである。


 タルトをお皿に移して並べるアルマは楽しそうだった。

 初めて会った時よりも、だいぶアルマは素直に感情を見せてくれるようになった気がする。ブリックがアルマを見ていると、目が何度かあって、その度にニコッと笑ってくれるのも嬉しい。


「かわいいなー」

「ブリックさん、さっきからそればっかりですね」


 アルマを目の前にすると、口癖のように口から出てくる言葉も、アルマはニコニコと受け止めてくれた。困ったように笑うことが、減ったと思う。アルマはこういう笑い方の方がかわいい。


 ああ、かわいいなあと思っていると、ギイ、と玄関が開く音がした。ジェイドが戻ってきたのか。ブリックは壁の向こうの、音がした方を振り向いた。


「すまん、だいぶ汚れてしまった。何か拭くものを持ってきてくれないか?」


 ジェイドが声を張って、アルマに呼び掛ける。想像するに、家畜の世話をしているうちに汚れてしまって、このまま屋内に入るには忍びない状況なのだろう。


「は、はい! ちょっと待っていてください、……じぇ……」


 アルマは慌てて席を立ち、そして、何かを言いかけて、唐突に、アルマは固まった。目線がウロウロとして、口をもごつかせている。

 不自然なほど急に無言になって、アルマは真顔で部屋の一角に積まれている手ぬぐいを取って、食堂を出て行った。


 なんとなく、気にかかり、ブリックは食堂の扉を開けて、その後ろ姿を追う。


「……どうぞ」

「ああ、ありがとう。アルマ」


 アルマは玄関口にいるジェイドの目の前まで歩いて行って、手ぬぐいをジェイドに差し出した。


(……)


 ブリックは訝しんだ。

 なんて事のないやりとり。かもしれないが、アルマの態度は変だった。


 そそくさと食堂の中に戻るアルマと入れ替わるように、ブリックは手ぬぐいで身体を拭くジェイドの元へ歩み寄った。


「なんだ、ブリック。来てたのか」

「お前、アルマになんかしたのかよ」

「なにか、ってなんだ」

「……まさか、手ぇ出したんじゃねーだろうな」

「そんなことするわけないだろ」


 こそ、と耳打ちすれば、強めの語気で返ってくる。

 ジェイドがアルマに何かをするわけはないとは、わかっているが、それでもブリックは二人の間のなんらかの変化を感じずにはいられなかった。


「アルマ、お前のことちょっと避けてないか?」

「そんなことはないと思うが。……いや」

「……『いや』なんだよ」

「いや……俺の前じゃそんなことないんだが、お前がいるからか」

「なんだそりゃ」


 ジェイドは合点いったようで一人で納得しているが、ブリックにはわけがわからなかった。


「アルマに、様をつけずに呼んでくれと頼んだ」


「……なんかしてるじゃねーか!」


 大声が出た。


 広間と食堂の扉から、アルマがビックリした顔をしてこちらを覗き込んでてくる。たいしたことじゃない、心配するなと取り繕った笑顔で手を振れば、アルマは怪訝な顔はしたものの、特に追及せずに、食堂の中に戻った。


「なんか、じゃない。やましいことじゃないだろ」

「本気でそう思ってるのがなお悪いわ! おっ前、本当に、ほんとになぁ……」


 声を顰めながら、ブリックは唸った。上手い言葉が出てこない。


「……アルマー、オレたち、ちょっと表に出てくな。先にお土産食べててくれていいから」

「? はい、いってらっしゃい」


 ブリックはアルマに声をかけて、ジェイドを外に引っ張り出す。アルマは不思議そうな表情をしたものの、特に気にせず送り出してくれた。




 畑の近くに置かれたベンチに二人並んで腰掛けて、ブリックはジェイドを半眼でじっとりと見つめた。


 あのアルマに、自分のことを呼び捨てで呼べと言うとは、尋常なことではない。


「……で、なんだ。アルマ、呼んでくれたのか」

「呼んでくれている。たしかに、そういえば……さっきは呼ばれなかったな。気づかなかった」

「……俺の前でいきなり『ジェイド』って呼び出すのは恥ずかしいんだろうな」

「──そうなのか」

「そうなのか、じゃねーよ。本当にお前……」


 この朴念仁。何を考えているのだろうか。いや、何も考えていないのだろう。

 今もきょとんと不思議そうな顔をしている。


「……お前さ、アルマのことどう思ってんだよ」

「俺が保護してやらないといけない」

「そういうのじゃなくてさ」

「……好ましいと、思っている」

「……わかってんじゃねーか」


 何をとぼけた回答をして、お茶を濁そうとしている のか。ジェイドは長いまつ毛を伏せていた。トンチンカンなところは実際あるが、この男はそこまで、鈍い男ではない。


「今のままだと、俺に優位性がありすぎる。

もう少し、アルマと対等な関係を築いてからじゃないと、あいつの気持ちには応えられない。そう思ったから俺は……」

「待て待て待て待て。サラッとお前、何言った」

「……? なんだ、お前のことだから、察したのかと。それで俺を外に連れ出したんじゃ……」

「そこまで察せねーよ!」


 反射的に大声で返したところで、ブリックはハッとして、あることに気づく。


「……なんだ、じゃあ、対等になるために、っつって、呼び捨て……」

「そうだが」

「涼しい顔して言ってんじゃねえっての……」


 ブリックは片手で顔を覆った。


 ──応える気ないくせに、手放す気もないじゃねえかよ。


 ブリックが突っ伏していると、唐突にジェイドが口を開いた。


「なんでお前はアルマが良かったんだ?」

「あ? かわいいからだよ」

「……そうか」


 なんてデリカシーのない男だとブリックは感心した。ジェイドがいくら朴念仁とはいえ、好意を抱いている相手の想い人本人からそんなことを聞かれたら、「マウントか?」と思って遠慮するだろう。


 腑に落ちる気持ちもあれば、安心する気持ちもあるけれど、それでもブリックは幾分かはショックだったというのに。


 手で顔を覆ったまま指の隙間からジェイドの顔を覗き見れば、いつもとさして変わらない表情のジェイドがいた。こいつの顔なんて、いちいち見ても、見てなくても一緒だなとブリックは思った。

 表情の振れ幅が10点満点中せいぜい最高得点でも5点くらいの振れ幅しかないのだから。


「……ホントのとこ言うと、アルマなら一緒に死ねるかな、って思ったんだよ」


 ブリックはつい、ため息と共に本音を漏らした。


「心中願望なんてあったのか?」

「ちげーよ、寿命だよ! 今の世の中で普通に生きてたらオレ、多分めちゃくちゃ長生きしちまうけど、魔力量がハンパなくあるアルマのそばでずっと生きてたら、ちょうどアルマが死ぬのと同じくらいの時にオレも死ねるかな、って思ったんだよ!」

「そんなことを考えてたのか」


 ジェイドは少し驚いたような声を出した。

 己の中のやましさを吐露したブリックは、背を丸くしてますます突っ伏した。


「……うっせーな、わりぃか」

「そんなふうには言っていない。……そうか」

「だから、オレはわりとそういう打算なとこもあったんだよ。……くそ」

「そういうのも織り混ざった感情が普通じゃないのか? 純粋な好意だけでは折れやすくて、むしろ危険だ。打算というが、それが織り混ざることで、より強固な感情となるだろう?」

「なんでお前はたまに的を得たこと言うんだよ!?」


 ブリックが勢いよく顔を上げると、ジェイドは目を細め、微笑んでいた。

 顔の振れ幅5点程度の微笑みだ。ジェイドなりの最大得点の笑みにブリックは、ぐっと反射的に唇を噛んだ。


(たまにコイツ、お兄ちゃん顔すんだよな!!!)


 よりによって、今かよ! と思う。


「……アルマのこと、ちゃんと、ちゃんとしろよ」

「わかってる。そもそも、振られるかもしれない」

「は?」

「……俺を頼るしかない時に、俺を好きになってしまったのだから、対等な関係になったときに『なんだこんなものか』と思われるかもしれないだろう?」


 ジェイドの顔は真面目も真面目、大真面目だった。表情の振れ幅の点数は0点のまさに真顔であった。


 つまり、この男は本気でこんな世迷いことを言っている。


 ブリックはスンと眼を狭めた。


「やっぱお前、ねーわ」

「何がだ」

「もう色々……ねーわ。嫉妬心すら芽生えねーわ。アルマにそれ言ったらマジで振られるから言うなよ」

「……わかった」

「語尾にはてなマーク聞こえたぞ」


 ジェイドは片眉を寄せ、小さく首を傾げていた。こんな男に惚れてしまったアルマが可哀想だから、早くこんなやつ振られてしまえと思う気持ちと、変な思い込みは捨てて早くアルマを幸せにしてやれよという思いと、自身の淡い恋心とで、ブリックは複雑としか言いようのない心境に、「あー」と気だるい声を出しながら、天を仰ぎ見るしかなかった。


 空は青く、晴れ晴れとしていた。



 ◆ ◆ ◆



 余談だが、次にブリックが訪れた時にはアルマはジェイドのことを『ジェイド』と呼んでいた。ただし、顔を真っ赤にさせて、だ。


 かわいい。かわいかった。かわいかったけれど。


 どうせ、ジェイドが能面みたいな顔をしたまま「ブリックがいるときでも、呼び捨てで呼んでほしい」とかねだったのだろう。自分なら絶対そんな可哀想なことはさせない。アイツがいる時は無理しないでいいよ、とか言う。でも、二人きりの時だけは呼んでくれとか、そっちの方に持っていく。かわいい姿は自分一人だけのものでいいし、慣れてくれて、誰の前にいる時でも自然に呼んでくれるまで待つ。なんなら一生そのままでもいい。


 顔を赤くするアルマを見ながら、ブリックは一瞬でアルマのその姿を妄想する。かわいい。そんなアルマが見られるのなら、一生自分のものだけにしておきたい。

 それなのに、ジェイドは何も考えずに、ブリックにもその姿を見させている。


 自慢か、お裾分けのつもりか。なんなんだお前は。

 いや、何も考えていない。コイツは、そう、馬鹿だから。


 あのアルマが、呼び捨てで呼ぶだなんて相当勇気がいることだろうに。なんてかわいそうなことをさせられているんだ、とブリックは心の底からアルマに同情した。


 かわいい。すごいかわいかった。めちゃくちゃかわいかったけど。


(マーーーージでアイツはクソだな!!!)


 ブリックは内心でそう毒づかずにはいられなかった。


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『追放聖女の再就職 〜長年仕えた王家からニセモノと追い出されたわたしですが頑張りますね、魔王さま!〜』

他連載/完結済み中編作品です。

ツンツンしていた彼が私の大好きな婚約者になるまで

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