51話 ご報告申し上げる
アルマたちはその爆発を空の上から見た。
「……っ」
アルマはひゅっと息を呑む。ブリックは眉間に皺を寄せていたが、ジェイドは、表情が読み取れない真顔を崩さなかった。
轟音と閃光で頭がクラクラとする。衝撃により、雪崩が起きた。
上空から見る限り、近くに村もなく人の気配がないことが救いである。これに巻き込まれたら、常人であれば呆気なく死んでしまうだろう。
「オレもああなる予定だったんだな……オレ、そういえば老衰で死ねんのかな……。すげえ時間かけて魔力溜め込んで最後はああなるのか……長生きしたくねえんだけど……」
ブリックは眉を寄せながら、大きくため息をついた。
「か、カイン王子は」
「あの男は死なないだろう」
ジェイドが短く答える。ぐ、とアルマは唾を飲み込んだ。
「俺たちの住むところに戻ろう」
ジェイドの低く、落ち着いた声。アルマは目を閉じた。
◆ ◆ ◆
「はー、さすがに疲れましたね。あ、冷たいお水を一杯いただけますか?」
「……図々しいな、お前ぇはよお!」
ダンッ! とテーブルにコップを叩きつけてブリックが叫ぶ。コップの中の水が飛び散り、アルマの頬にも飛んできた。冷たい。
「いやー、大変でした。まさか、3日であの山脈越えをすることになるとは……。でも、幸い我が国としては珍しく雪がやんでいたおかげで助かりました。新記録ですね」
「てめえの国なんだから、そのままいりゃよかったろ」
「僕、来る時に正規の手段でマルルウェイデンに入国しちゃいましたから……ちゃんと正規の手段で帰らないと。なので、舞い戻って参りました」
「……普通は無理だと思うんですけど……」
しかし、この柔和な見た目の男は『普通』ではなかった。
アルマの記憶が確かなら、先日、爆発の只中にいたはずだし、あそこはとても登れるとは思えない山脈に阻まれた隣国であったはず。それなのに、カインはケロッとした顔でジェイドの屋敷に上がり込み、悠々とくつろいでいた。
正直、ちょっとぞっとするが、アルマは自分も他人のことは言えない、と思い直した。
「あれ? ジェイドさんはいらっしゃらないのですか?」
「アイツは街に買い出しに行ったよ」
「……なんで、それでブリックさんがここにいるんですか?」
「テメエが言うんじゃねーよ!」
「ギギギギギー!」
ブリックがバンと机を叩き、そしてキリーがきりもみ回転しながらカインにぶつかっていく。アハハハと笑いながらカインはそれを受け止めていた。
キリーはあの日は屋敷で留守番をしていた。アルマたちが帰ってきたときは、仕事をこなすために人型に変身していてパタパタ走り回っていた。
アルマの魔力も回復して、キリーも安定して魔力の供給を受けられるおかげか、たまにキリーは人型でお手伝いをしてくれるが、基本的には本来の小さな蝙蝠の魔物の姿が楽らしい。
「でも、またカイン王子とお会いできてよかったです。私、あれが最後の別れなのかと……」
「ふふふ、ご報告をせねば、不義理かと思いまして」
カインはパチリとウインクして見せた。
咳払いをして、カインは一転、真剣な眼差しでアルマを見つめた。アルマも居住まいを正して、その瞳を見つめ返す。
「僕の望みは叶えられました。さすがにあの土地全てを魔力で覆うには到底至りませんが、それでも」
カインの望み、魔力の枯れた土地に魔力を与えること。
シグナルが体内に溜め込んだ魔力は爆発によって、あの地にばら撒かれた。
「アルマ殿、あなたがシグナルの命乞いをしてくださったおかげです。彼がエレナにトドメを刺されていてはこうはなりませんでしたからね」
「……シグナルは」
アルマはぽつりと口を開く。
「カイン王子は、シグナルが自分と同じタイミングで動き始めたことは知らなかったと仰っていましたが」
「ええ。……気になるのですか?」
怪訝な顔をするカインに首を振って、アルマは顔を上げた。
「シグナルは、カイン王子がもうすぐ死を迎えるから、動き出したのでは?」
「おや」
アルマがカインを見つめながらそう言うと、カインはきょとんと瞬きをした。
「それに、パンク寸前になったら国境を超えて移動していったのだって……」
「そうだといいですね。彼にも、自分の意思があったのなら」
アルマの言葉を最後まで聞かず、途中で遮るようにカインは言った。アルマが目を丸くしてカインを見ると、いつもと変わらない調子で、にこりと微笑む。
それを見て、アルマは口をつぐんだ。
「ああ、ところで、もう一つ、言いたいことが」
カインはアルマに身を寄せた。カインの背は、そんなに高くはない。アルマよりもほんの少し高い位置にある頭を下げて、アルマの目線と高さを揃えて、にこりと微笑む。
「……アルマ殿は、ジェイドさんのことが好きなのでしょう?」
「えっ!?」
そっとカインが耳打ちする。アルマがバッとカインを振り向くと、彼は唇に人差し指を当て「しー」と身振りした。
アルマはそっとブリックの方を横目で確認する。ブリックはキリーと遊んでいた。こちらのことは気にしていない。
「わかります。僕は、アルマ殿が思うよりもずっとアルマ殿のことを見ていますので」
「そ、その……」
「僕は、あなたが王宮に囲われていたときのお姿を見てきました。あなたはそこから逃れることができましたが……逃れた先でも、まだ、何かに縛られているのではないかと思っていました」
あの時、ジェイドに口付けをした時に観念したはずの感情であったが、あらためてハッキリと名状されてしまうと、アルマは素直にうんとは頷けなかった。
赤い顔で口をパクパクとさせていると、カインはおかしそうにクスリと笑った。
「あなたは王宮にいた時、何かにずっと怒っているような、呆れているような、諦めているような、そんなお顔をされていました。でも、今のあなたはその時の印象とは、全然違いました」
すう、とカインは一拍置いて、また口を開いた。
「自罰的、優柔不断、ネガティブ、ちょろい……」
「えっ」
「根暗で奥手」
「な、なぜ急に悪口を!?」
「いえいえ、それがアルマ殿の素なんだろうなあ、と」
くすくすとカインは笑う。全て、自覚していることを刺されてアルマは居心地悪く頬を両手で抑えた。
「アルマ殿にとってはジェイドさんと一緒に暮らすことが、幸せなのですね」
「……はい」
「あなたがあなたらしく、生き生きと過ごせるのならば、それは僕にとっても喜ばしいことです」
彫りの深い、ハッキリとした二重の瞳を煌かせて、カインはアルマを見つめていた。
「僕はあなたのファンですので」
「……私、それがちょっとよくわからないのですが」
「ふふふ、お気になさらず」
カインはなぜだか愉快そうに笑っていた。
「まあ、そんなわけで。僕はあなたが幸せならいいのです。求婚は取り下げいたします」
ぱん、とカインは軽く手を叩く。アルマがそれをぱちくりと瞬きしてみていると、カインは一歩、アルマから距離をとって後退り、深々と礼をした。
「……なので、お騒がせいたしましたが、以後は心穏やかにお過ごしいただければ……と。その旨ご報告に参りました次第です」
頭を上げたカインの表情はにこやかだった。「ああいう経緯ではありましたが」と前置きして、カインは言葉を続けた。
「アルマ殿に僕の国を見ていただけてよかったです」
カインの表情はいつもだいたい、笑っている。微笑みを絶やさない人だった。何があろうとも、常に自分のペースは崩さない。そういう人物だったが、今のカインのこの笑顔は、今まで見てきた中で、一番『自然な笑顔』に見えた。
「……話、終わったのかよ?」
部屋の隅でキリーとじゃれていたブリックがのそのそとアルマたちに近づいてくる。
「おやおや、ブリックさん。お気をつかってくださっていたのですか?」
「うるせえな、別にてめえのためじゃねえよ。アルマがお前のこと気にしてたから気が済むまで茶々入れねえようにしてただけだよ」
ブリックがチッと舌打ちする。
カインはこの報告をしにきただけで、長居する気は元々なかったらしい。出された一杯の水を飲み干すと、すぐに屋敷から出て行こうとした。
「僕は、あの国がもう少し暖かくなればいいと思った。雪の降らない季節も欲しいと。もっとたくさん、いろんな種類の作物が作れたらいいと。でも、僕はこの雪景色を愛してもいます」
去り際、カインは独り言のようにぽつりとアルマにこぼす。
「……でも、カイン王子。……ということは、あなたは……」
「はい。予定通り、16歳の誕生日に死にます」
幾度か、すでに繰り返したこのやりとり。
だが、アルマは初めて彼から「16歳になったら死ぬ」と聞かされた時とは、違う思いを胸に抱いていた。
「……でも、カイン王子。私、どう考えてもあなたが易々と死ねるとは思えないんですが……」
「あっ、痛いところを突きますね? でも、きっと、僕は殺されなければなりませんから。僕の国の在り方としては。ええ、きっと。毒殺でも、断食でも、溺死でも、なんとしてでも、頑張ってもらいましょう」
「……」
グッとカインは拳を作って、気合を入れていた。なんとも言えず、アルマをそれを複雑な胸中で見つめることしかできなかった。
最後に、カインは丁寧に礼をして、屋敷から去っていった。
カインの姿が、森から見えなくなって、ブリックがぽつりと呟く。
「……アイツ、死なねえんじゃねえかな……」
(……死ねなさそうだな……)
次話で2章完結です。




