48話 起き抜けの剣呑
翌朝。
アルマが目覚めると、目の前にはジェイドの端正な顔があった。
長いまつ毛に縁取られた蒼い瞳と目とバッチリ目が合い、アルマは飛び起きる。
「……思ったよりも元気そうだな?」
「ははははい、おはよう、ございます」
慌てて後ろに手をつくと、ふわりと柔らかい。布団の感触。もしかしなくても、ジェイドのベッドの上に、アルマはいる。
(あの後、私、あのまま寝ちゃったんだ!)
「お前の部屋に連れて行こうと思ったんだが、ガンとして離れなくてな……」
「わ、私がですか」
「お前がだ」
アルマは慌ててベッドを出る。ジェイドは気だるそうに伸びをして、ゴキ、と首を鳴らした。
「……どうも俺は、お前から魔力をもらいすぎたらしい。ほとんどの魔力を俺に渡しただろう」
「わ、わかりません」
「……そういうこともある。寝ているうちに、少しは返せたか?」
魔力の受け渡しは身体接触で可能となる。夜通しくっついて寝ていたから多少は、ということらしい。
アルマに自覚はないが、しかし、慌てて身体を起こしても立ちくらみなどを起こしていないのは、おそらく、ジェイドから少し分けてもらえた魔力のおかげだろう。
「ご迷惑をおかけいたしました……」
「迷惑をかけたのは、そもそも俺だろう? 昨日も少し食べたがまだ足りん、早く朝飯を食べに行こう」
腹が空いた、というジェイドはベッドから降りて、トントンと足音を立てて、アルマの横を歩いていく。
(……ジェイド様だ!)
ジェイドがベッドから出てきた。立って、歩いている。
それだけのことなのに、アルマは胸に熱いものが込み上げてきてしょうがなかった。
二人揃って、部屋から出て大階段へと向かう。アルマの足取りは軽かった。
「……アルマ」
「は、はいっ」
廊下に出て、すぐ。少々浮かれ気味のアルマに降りかかってきたのは、聞いたことがないような冷たい声だった。ふわふわしていた気分だったはずのアルマは、凍りつくように固まった。
「なんでここにコイツがいるんだ」
「おやまあ」
地を這うような、低い声を出したジェイドが指したのは、カインだった。
「僕と、そして僕の友人がご迷惑をおかけいたしましたので。せめてもの償いとして、あなたが目を覚ますまでは、あなたに代わってアルマ殿をお守りしようとした次第です」
「お前には聞いていない。友人? お前、まさか、アルマを連れて行くためにシグナルを唆したのか?」
「とんでもない。僕の友人とはシグナル、まさにその人ではありますが、彼の行動は僕とは関わりありません」
「……アルマ」
アルマは身を小さくする。カインを見れば、ジェイドがいい思いをしないことは、わかっていた。すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
せめて、一言でも事前にカインがいることについて説明していればとアルマは後悔する。焼け石に水でも、少しはマシだったかもしれない。
「なんで、ここにこの男を置いている。関わるなと言っていただろう」
「……カイン王子は、シグナルがまた来たときのために……あと、ジェイド様の魔力が早く戻るように、と」
「その言い分を信じたのか? 騙されていたら、どうする気なんだ?」
ジェイドの声は、冷ややかで、鋭く細められた瞳に睨まれ、萎縮する。ジェイドのこんな目つきを見るのは初めてだった。
「……すみません、ジェイド様が、守ってくださっていたのに」
「……アルマ。お前は……」
呆れた声でジェイドはため息をつく。
二人のやりとりを見ながら、カインは顎に手をやりつつ、ピリピリした空気には似つかわしくない「んー」と間延びした声を出す。
「ところで、ジェイドさん、目を覚ましたんですね? おめでとうございます」
「あっ、はい」
「これで僕もお役御免ですね。眠れる魔王も起きたということで、おじゃまの王子はそろそろ帰りましょうか」
なぜ急に目を覚ましたかということに、言及されるかと、アルマはつい頬を赤くしたが、カインがそこに触れることはなかった。気にしていないのか、気づいていてスルーしてくれたのかはわからない。
「ジェイドさん、色々とお騒がせいたしました。僕の国の都合を押し付けようとしてしまい、申し訳ありません。あなたとお話しするのも、僕は嫌いではありませんでした。アルマ殿はどうか、あなたが幸せにしてくれますように」
「……」
ジェイドが怪訝な顔でカインを睨み、そしてアルマを見下ろす。
「『魔族』のこともお話を伺いたかったところですが、いいえ。諦めましょう。さようなら」
別れの言葉を告げるカインが、くるりと背を向ける。ハッとしてアルマは口を開いた。
「ジェイド様、大地に魔力を増やす方法って、何かありませんか?」
ジェイドが目を丸くし、カインも振り向いてアルマを見た。
「アルマ、お前……」
「すみません……でも」
「はあ……こいつがここにいるという時点で、だいたいわかっていた」
ジェイドは呆れ切っているようだが、先程の氷のような冷たさは少し和らいでいた。
アルマはホッとして、ジェイドの返答を期待しながら彼をじっと見つめて見上げた。
「そんな手軽な方法はない。アルマ、お前くらいの魔力を持っている人間がいるならば、お前の身の回りという限定的な条件で達成されるくらいだ」
「……はい」
「お前の故郷の村も、お前がいなくなればその効力は失っていた。お前がこの男に同情しているのはわかったが、どうにかする、というならこの男について行く他に方法はない。それも、『国』という規模は救えない」
「……」
「お前の言う解決もそういうことではないだろう?」
「ええ、まあ」
カインは頷く。
「僕はまだ存命の魔族を救い出して、彼らが土地に生きることで大地の魔力を増やしていきたいのです。僕の魔力の性質は与えることに向いていない。アルマ殿がいらっしゃらなければ、叶わないでしょう」
「封印された魔族のほとんどは死んでいる。そもそもその考え自体が破綻している」
「僕は自分の国限定ですが、魔族たちがどこにいるのか気配がわかります。いままで僕が足を運ぶと、シグナル以外の魔族はみんな死んでいましたが、中にはまだ生きている魔族がいるかもしれない」
「現実的でないことを考える」
居場所がわかる、と言った時にジェイドの眉がわずかに動いたが、しかし大きく表情を変えることはなく、ジェイドは静かに首を横に振った。
「お前が生まれ育ったその国は、俺たち魔族の時代でも枯渇した大地だった。魔族はあの地には住みたがらない。あそこは、魔族の脅威が少ないからと人間たちが喜んで住むようになった土地だ」
「……魔族がいても、あの土地の環境はかわらない、と?」
「雪が降らなくなる奇跡などは起きない。今のままでも、すぐに滅びるわけではないだろうに」
「それはその通りですね」
ジェイドの指摘を、カインはあっさりと認めて頷く。
「僕たちはこのままでも、変わらず生きていくでしょう。子も孫も、その先も、細々と」
カインの声は平時と変わらず、落ち着いたものだった。
「どうせ先のない命であれば、その『少し』でも有意義に使いたいと望んだのですが……」
カインは口元を隠すかのように手をやり、沈黙した。「そんなことは、とうにわかっている」とでも、言いたげにも見えた。
今に限ったことではないが、カインの感情は読み取りづらい。
「……アルマ」
ジェイドの声が頭の上から降ってきて、アルマは知らずのうちに俯かせていた顔を上げる。
「こいつのことはともかく、シグナルのことは……なんとかしないといけないだろう」
「……はい」
ジェイドを魔王にしたがっているシグナル。魔族の再興を目指すシグナルとは、ジェイドはいつか必ず向き合わなくてはならなくなる。
「……おい、北国の王子」
「なんでしょう」
「お前はシグナルの居場所を知っているだろう。教えろ、会いに行く」
思いがけない言葉に、アルマは驚いてジェイドを見上げ、そして次に目を丸くしたままカインを見つめた。
ジェイドの言葉に、カインが頷いて見せたからだ。




