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45話 早く目覚めて欲しいなら

 ジェイドは未だ、目を覚ます兆候はない。


 アルマの魔力を吸い取っている使い魔キリーが目を覚ましたということは、アルマ自身の魔力はかなり回復してきた、ということだ。

 実際に身体はかなり楽になっていた。全快とは言わないが、小康状態を保っている。


 今日もアルマは用意したご飯を眠るジェイドのそばに置いておき、ジェイドの部屋を後にした。


 そこで、屋敷の扉が開く音がした。

 ブリックだろうか、と二階の廊下から吹き抜け越しに覗くと、そこには艶やかな黒髪を揺らした美女がいた。


 アルマが「あ」と声を漏らすと、上を見上げた彼女と目が合い、微笑みを浮かべる。


「ごめんなさい、アルマちゃん。来るのが遅れてしまって」

「……エスメラルダさん!」


 アルマは階段を駆け降りて、エスメラルダの元へ小走りに向かった。


「エレナもブリックも、教えてくれないんだものね」


 私は嫌われ者ね、とエスメラルダは小首を傾げ、ため息をついた。


「あれ、でも、じゃあなんで……」


 てっきり、エレナかブリックのどちらかがエスメラルダにも知らせてくれていたものだと思っていた。


「……なんだか嫌な予感がしてね、占ってみたの。そうしたら、ジェイドとあなたが倒れているのが見えてきて……」


 エスメラルダは神妙な面持ちを浮かべ、ぎゅうと両腕で自分を抱くような姿勢をとりつつ、アルマをジッと見つめた。


「私は……もう大丈夫、なんですけど、ジェイド様が魔力を切らしたまま、目を覚さなくて」

「……ごめんなさい。本当に、来るのが遅かったわね。トラブル自体はもう、全部終わってしまったのかしら?」

「まだ、解決はしてないです。シグナル……という魔族が、ジェイド様をもう一度魔王にしようとしていて、私とジェイド様の意識を奪って、私を人質にジェイド様を脅そうとしていたみたいなんですけど」


 アルマはかいつまんで、経緯を話す。エスメラルダは、美しい顔を哀しげに歪めながらアルマの話を聞いてくれた。


「やっぱり、そういう魔族がいたのね。わかってはいたけれど……」

「ごめんなさい、私……」


 エスメラルダに言われていたのに、ジェイドを守れなかった。


 後悔と謝罪の言葉を口にしようとしたその時、大階段から足音が響いて、アルマは口を閉ざして、上を見上げた。


 カインだ。アルマたちと目が合い、カインは階段の途中で足を止めて、しげしげと二人の顔を眺める。

 エスメラルダも眉をしかめ、頭上のカインを見上げていた。


「……あなたは、あの時の……」

「おや、美しい人。どこかでお会いしましたか?」

「……あの時はあまり顔を見せてくれなかったからわからなかったけれど、あなたが……そう」


 カインはとぼけた様子で首を傾げたが、対してエスメラルダはじっとカインの顔を見つめると、苦々しく顔を歪めた。


「アルマ殿、僕は畑でもみてきますね。お客人とごゆっくり」

「あ、はい。ありがとうございます」


 カインはにこやかに微笑み、すれ違い様に会釈をして軽やかな足取りで屋敷の外で出て行った。


「エスメラルダさん、カインと会ったことが?」

「……いえ、ちょっと後悔しただけ」

「はあ……?」


 いまいち返事になっていないエスメラルダの言葉に首を傾げつつも、アルマはエスメラルダをジェイドの寝床まで案内した。



 ◆ ◆ ◆



「……ジェイド、やっぱり昔と全然違うのね。魔力が全然回復していないわ」


 眠るジェイドを見るや否や、エスメラルダは頭を振る。


「そうなんですか……」


 アルマは魔力の量というのが、うまく知覚できなかった。アルマが人間だからだろうか。ジェイドのそばにいて看病しているつもりではあるが、実際に彼がよくなっているかはまるでわからなかった。


 エスメラルダの口からハッキリと「回復していない」と聞かされて、アルマはガッカリと肩を落とした。


「アルマちゃんがそばにいるのに、こんなに回復が遅いなんて」

「エレナは、数年くらいかかるかもって……」

「そうね、放っておいたら……それくらい、かかるかも」


 しん、と部屋の中が静まり返る。ジェイドの寝息さえ聞こえない。

 エスメラルダは緑の瞳を潤ませて、ジェイドを見つめていた。あまりにも美しい横顔に、アルマは昔見た聖母の絵画を思い出した。


「……エスメラルダさんだったら、ジェイド様に魔力を分けることってできますか?」

「え?」

「エレナが……自分はお兄様とは違うから、魔力の受け渡しはできない、って言っていて。でも、エスメラルダさんならどうかと……」


 エレナが語ったジェイドとエスメラルダの共通点、『魔王の素質』。それを持っているエスメラルダならばとアルマは考えた。

 エスメラルダは少し驚いたような顔をしていたが、しかし、アルマが思った通り頷いた。


「……そう。ええ、私の魔力なら、ジェイドに分けてあげられる。元々、そのためにここに来たの」


 エスメラルダはそっとジェイドの手をとって、握りしめた。白く、しなやかで美しい手のひらだ。従姉弟というだけあって、二人は手の形も似ているように見えた。


「でも、それではきっと足りないわ。私はもともとの魔力量も少ないし……」


 エスメラルダはジェイドに魔力を注ぎながら、ぽつりぽつりと口を開いた。


「ジェイドは、ちょっと特別なのよ。もともとの魔力の量は、とんでもなかったの」


 エスメラルダは長いまつ毛を伏せる。


「魔王だった時のジェイドは、自分の魔力で全ての魔族を支配していた。魔力の糸で縛り付けていたの、だから、ジェイドが封印をされたら全ての魔族がまとめて封印されることになったのよね」

「あ……だから、なんですね。なんで、みんなが一斉に封印されたのか、不思議でした……」

「ちょっと、規格外でしょ?」


 魔力の糸を通じて、全ての魔族が封印されるに至ったということだろう。ジェイドの力もすごいが、その『封印』の力も、規格外だ。いったい、どんな人物が、どのようにしてそんな力を発動させたのだろうか?


「まさに、魔王になるために生まれてきた子どもだった。私は見ていて、ちょっとかわいそうだったわ」


 物憂げな横顔に、アルマは胸が痛んだ。エスメラルダとジェイドはよく似ていたが、横顔はとくにそっくりだった。


「……ごめんなさい、エスメラルダさん。私、ジェイド様を守れなくて」


 ぽつりと、アルマは思いの丈を吐露する。あまりに胸が痛くて、重々しくて吐き出さずにいられなかった。


「……私は弱いです。魔物を倒すことには慣れていたのに、魔族とどう戦うべきか分からなくて、アッサリ負けてしまいました。力だけじゃ、ダメなんですね……もっと私に、なんとしてでもジェイド様を守る決意があれば……」


 エスメラルダは眉を下げ、慈愛に満ちた瞳でアルマを見る。俯くアルマの肩を抱き、赤子をあやすかのようにトントンと叩きながら、エスメラルダは口を開いた。


「アルマちゃん、それなんだけどね、私がジェイドのことを守ってくれ、って言ったのは……こう……物理的な意味じゃないのよ」

「ぶつり……てき……」

「心の方を、支えてあげてほしいなと、そう思ったの」

「ぶ……ぶつ、物理的、でなく……?」

「アルマちゃん、なんか、物理にこだわってない……? 気のせい……?」


 ぼんやりと言葉を反芻するアルマに、エスメラルダは心なしか口元がひきつっているようだった。


 こほんと咳払いをして、エスメラルダはアルマにしとやかに微笑んでみせた。


「ねえ、アルマちゃん。ところで私、思ったのだけれどね。あの日一緒に水晶で見たアレって、結構当たってない?」

「アレって……あの、とんでもないアレですか?」


 ええ、とエスメラルダは浅く頷く。


「カイン王子と出会って、ブリック……と同じ体質のシグナルに攫われて、エレナに助けられて……」

「……当たっていると言えば、まあ……。ブリックさんはこじつけっぽいですけど」

「まあ、未来視なんてそんなものだから……」


 エスメラルダは苦笑する。

 予知は解釈が難しいし、てんでデタラメな場合も多い。

 

「ジェイドがアルマちゃんのことを花嫁……って、結婚したら世界平和になるとか……」

「いやあ、それは……さすがに……」


 あの浮かれたトンチキ夢を真に受けることは、アルマには難しかった。


「でも、でもよ? 要素は当たっているかも」

「……当たっている……としたら、どこが……どうしたら……?」


 エスメラルダに言われて、アルマは真剣に考えてみるが、アレが今後当たるような未来がまるで思い当たらなかった。


「……アルマちゃんは、ジェイドのことが好き?」

「え?」


 エスメラルダにこの問いをされるのは、二回目だ。


 しかし、今このタイミングで、急に問われる意図が分からず、アルマがきょとんとしていると、エスメラルダは眉を下げ、苦笑を浮かべた。


「アルマちゃんがジェイドに早く目覚めて欲しいと思うのなら、私、いいと思うのよね」

「え、えーと、その、キ、キスですか。魔力補給の」

「ええ。ジェイドは……まあ、怒るかもしれないけど……」

「……ジェイド様は嫌ですよね、そりゃ」

「ごめんなさい、そっちじゃないの。怒るっていうのは……魔力を回復させた、ってことにね……」


 顔を俯かせるアルマにエスメラルダが慌てた様子で声をかける。

 

「怒るんでしょうか……」

「……ジェイドは、消極的な自殺願望があるから」


 それは、わかる気がする。


 シグナルとのやりとりでも「俺を殺せ」と言っていた。積極的に死のうとするわけではないが、ゆるやかに死に向かおうとしている気配がジェイドにはあった。そもそも、この屋敷で暮らし続けているのも、そうなのだろう。畑を耕して、数は少ないが家畜を飼い、自給自足で生きて死ぬ。誰から知られることもなく、生きて死ぬことをジェイドは望んでいて、この生活を選んでいたような気がする。


 アルマという異分子の存在も、アルマは人間だからジェイドよりは早くに死ぬ。ジェイドがゆるやかに死んでいく計画に、アルマの存在は支障なかったのだろう。


 だから、ジェイドは自分を受け入れてくれたのだ。

 アルマはそう思った。


「このままでも、エレナが言った通り、数年もすれば目は覚ますかもしれない。もしかしたら、死ななくてもずっと寝たままかもしれないけど、ジェイドにとってはその方が望ましいでしょうね」


 エスメラルダの言葉に、アルマも頷いた。

 恨みを持った同胞に殺されて死ぬことは、ジェイドの望みの一つなのだろうと、あの日のシグナルとのやりとりで察せられた。


「でも、アルマちゃんはこのままじゃ、寂しくない?」

「えっ」


 アルマは目を丸くして、エスメラルダを見る。


 思いがけないシンプルな言葉に、アルマは驚いていた。


 一緒に住んでる奴が寝たままじゃ寂しいから、起こす。


「そういうので、やっていいんですか?」

「いいんじゃない? だって、アルマちゃんの一生は短いんだし」


 エスメラルダの声はあっけらかんとしていた。さっきまで物憂げな表情でジェイドを見つめていたのとは打って変わって、なんだかニコニコとしていた。


「あの、このお話と、さっきの質問って、つながってます?」

「そのつもりだったけれど……。いいじゃない、一石二鳥。ジェイドも起きて、もしかしたら、アルマちゃんがジェイドと結ばれたら、世界……救っちゃうかもー? とも思って」

「それは……さすがに……」

「うまくいくといいな、って思うけれど、そううまくもいかないかしら」


 ないと思う。が、ニコニコしているエスメラルダに、そんなにつっけんどんに返す気にもならなかった。


 そんなことで世界が救えるなら、すごいなあと思うが、しかし、さすがにそんな風にはならないだろう。

 ──救えるというなら。カインの願いである魔力の枯れた故郷を魔力で満たす願いを叶えてあげたいと、脳裏には過った。しかし、あまりにも現実的じゃない。


「アルマちゃん、私は応援しているわ」

「は、はい」


 何を応援するというのだろう。そう思わなくもないが、アルマは反射的に頷いた。

 エスメラルダはアルマの手を取り、にこりと笑った。美しい手のひらが、力強くアルマの手を握りしめる。


 アルマはジェイドをチラリと横目で見て、そして、エスメラルダにはバレぬようこっそりとため息をついた。


(……エスメラルダさんも、私ならジェイド様に魔力を分けられる前提で話してたな……)


 『魔王の素質』があるジェイドとエスメラルダ。素質がなく、ジェイドに魔力を分けられないエレナ。


(私もジェイド様に魔力を分けられるなら、それって私にも『魔王の素質』があるってことになるんじゃ?)


 気になりはしたが、そのことが今すぐ何か重大なことに関わるわけではない。アルマはそのことはすぐに思考の端に追いやった。


 それよりも、何よりも。

 

(ジェイド様を、起こす、かあ……)


 エスメラルダに言われる、その前からずっと、アルマがいま一番何よりも悩んでいることは、目の前で眠り続けている男のことだった。

◆どうでもこぼれ話

エレナとブリックはエレナはわざと、ブリックは無意識にエスメラルダを避けてて伝えるのを忘れてました(伝える発想がなかった)


エレナもブリックも、エスメラルダの器用さや要領の良さが好きではありません。苦手寄りの嫌いという感情です。

反対に、不器用で要領悪くもがきながらも善性を失いきらずになんとか生きている人が好きなので、エレナもブリックもアルマのことが好きです。


二人は多分現代にいたら推しドルが被ります。同担拒否タイプではないのでライブ後にデ○ーズとかでアフターしてます。そういう感じです。

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他連載のご紹介

他連載/完結済み中編作品、本作の没設定からサルベージして書いたものになります
『追放聖女の再就職 〜長年仕えた王家からニセモノと追い出されたわたしですが頑張りますね、魔王さま!〜』

他連載/完結済み中編作品です。

ツンツンしていた彼が私の大好きな婚約者になるまで

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