44話 お供えもの
今日の昼ごはんは採れたてのソラマメと、クリームチーズを挟んだサンドイッチだ。ソラマメはしっかり塩茹でをしたので、しょっぱさが食欲をそそる。なかなか良い出来栄えだ。
「……ジェイド様、どうぞ」
ジェイドが眠るベッドのサイドボードに、朝に置いておいた平ぺったいパンと角切り野菜をゴロゴロいれたオムレツが乗った皿を回収して、持ってきたサンドイッチと入れ替える。
ジェイドは眠ったままだったが、アルマはいつジェイドが目を覚ましてもいいようにせっせと食べ物を運んでいた。自分たちが食べるのと同じ朝昼夕の食事と、いつでも食べられるような果物やビスケットなどもベッド周りにふんだんに置いた。
「うーん、控えめに言って、お供え物……」
「えっ?」
「いえ、アルマ殿はお優しいなと」
いつの間にかカインが廊下から部屋の中を覗き込んでいた。コホンとカインが咳払いをする。
「彼は目を覚ましませんね」
「ブリックさんが言うには、前に倒れた時は動けないけど意識はあって、3日くらいで元通りになったってことらしいですけど……」
「……エレナは数年単位でこのままかもしれないと言っていたそうですね。その通りなら僕は彼が起きる頃には死んでますね」
ニコニコと笑いながら話すカインに、アルマはどう返すべきか悩んで曖昧に苦笑した。縁起でもないが、カインの身の上はこのままだと、実際そうなる。
「まあ、彼がずっと寝ていた方が利点もあるのでは? シグナルもさすがに、魔力切れで眠っている男を魔王にはできません」
部屋の中に入ってきたカインは、ジェイドに近寄って、鋭く目を細めながら彼を見下ろした。
「僕とアルマ殿がおそばにいるのが、どれだけ効果があるのかわかりませんが……個人的には彼ともお話ししたいことはいろいろあったんですが、数年後じゃ僕は死んでるなあ」
「カイン王子は『僕は死ぬ〜』って、それ、言いたいんですね」
「アッハッハ、今のうちじゃないと言えませんもんね」
堅い表情を一転させて、心底愉快という様子で笑うカインにアルマは「やっぱりこの人ちょっと変だなあ」と思わずにはいられなかった。
「ちょっと、思ったんですけど、魔王って「なる」とか「ならない」ってものなんですか?」
前々から思っていた疑問を口にすると、カインはきょとんと首を傾げた。
「僕はシグナルからはそう聞きましたが……そんなにおかしなことですか? 人の王だって「なる」ものじゃないですか」
「うーん……それはそう……ですね?」
「キー」
「ああ、違いますよ。僕は君のご主人様をいじめているわけではないですからね?」
そもそも、ジェイドは過去、魔王だったわけだが、今の状態のジェイドは魔王ではないということになる。『魔王』の定義が謎である。
アルマがいまいち腑に落ちずに眉間に皺を寄せていると、カインの肩にとまっていたキリーがカインの頬を小さい足でげしげしと蹴り始めた。
カインは大して気にもせず、ニコニコとキリーの頭を撫でているが、依然としてキリーの機嫌は悪い。
「キリー、カイン様は痛みにお強いけど、あんまりそんなことしないで」
「キーッ!」
アルマの指示も気に食わないらしく、キリーは威嚇音を止ませることはなかった。
キリーはつい昨日、目覚めたばかりだ。そして、目を覚ましたキリーは主人のアルマではなく、カインにくっついていた。
というのは、ブリックから「カインが変なことをしないように張り付いていろ」と指示が下ったからである。キリーはその指令を遵守していた。
アルマが攫われた時に、後始末をしてくれていたキリーは自分の手助けをし、労ってくれたブリックに懐いているようだった。そして、カインのことは気に食わないらしい。
カインはキリーの小さな手足で事あるごとにパンチキックされていたが、それに動じることは一切なかった。ナイフで刺されても何事もない人物に小動物のパンチキックは無力だった。
ブリックはほとんど毎日通ってきてくれた。よっぽどカインが変なことをしないかが不安らしい。そして、いつシグナルが訪れるかも警戒しているようだった。
「ご安心ください。次にシグナルが来たら、僕が盾になりますから」
「カイン王子も魔力を吸われたら危ないんじゃ?」
「どうも、僕はちょっぴり抗体みたいなのがありますから。シグナルの情もあるんですかね? 僕からはあまり魔力を吸わないようにしているかも? 僕が身代わりになっている間にアルマ殿がピピッ! と殺ってしまえば……」
「殺していいんですか!?」
「はい。シグナルはいい友人ですが……しょうがないですよね?」
「私に振られましても……」
少し、デジャヴ感がある会話だった。同じ人間であるはずのカインまでこんなことを言うのだが、もしかしたら自分の方が甘ちょろくて異端なのだろうか。
いや、自らの死をネタに気持ちよく笑う王子の死生観など、こんなものかとアルマはカインの枠を『人間』から少しズラした。
「まあまあ、僕はシグナル対策のためだけにブリックさんから滞在許可されましたからね! ちょっとシグナルが殺される覚悟くらいはしとかないと!」
「……いいのかなあ」
噂をすればなんとやらで、そこでちょうどブリックがやってきた。ブリックは気を遣っていつも飯時を外した時間に来てくれていたが、茹でたソラマメを余らせていたので差し出すとニカッと歯を見せて笑って喜んでくれた。
「しょっぱいのうまいな、ありがとう」
「お塩入れすぎたかなって思ったんですけど、これくらいでもおいしいんですね」
アルマも一緒になって摘んで食べて、二人で笑い合う。ブリックはいつも1時間程度滞在して、帰って行く。魔力を吸う体質ゆえに、遠慮をしてくれているのだ。
「今日もシグナルは来ない、か」
ブリックが眠るジェイドを見ながら呟く。
「まあそのうち来ますよ。ああ見えて、慎重な男ですから、機を窺っているのでは?」
飄々とした様子で言いながら、カインは豆をつまんだ。
「……てめえはシグナルが殺されてもいいって、本気で思ってんのか?」
「アルマ殿や、ジェイドさんからしたら、その方がよいだろうなとは思っています。そして、今の僕はアルマ殿の味方ですので」
「ほんっと胡散臭えな、キリー、おまえはコイツしっかり見張っとけよ」
「キー!」
キリーが小さな手と羽根でバシバシとカインを叩いた。
カインは全く気にしたそぶりもなく、顎に手をやり、考え事に夢中になっているようだった。
「まあ……でも、正直、僕はジェイドさんが魔王になるのを拒む理由がよくわかりません。魔王が君臨し、魔族が増えて、大地に魔力が増えるのならば、それは人間にも恩恵があります。逆にもしも、このまま魔族が死に絶えていけば、それこそ世界は枯れ果てるのではないですか?」
カインは自国のように魔力の枯れた国がなくなるのであれば、魔族が増えても、魔族に支配されても構わないという考え方らしい。魔族と人間とで共存ができるというのは前提条件だろうが。
ジェイドに縋るシグナルも、『人との共生』を語っていた。詭弁か、真実そう思っているのかはわからないが、それができるのであれば、魔族、魔王の復活は是であると、二人は主張しているわけだ。
できるのであれば、だが。
「そういいことばっかじゃねえんだろ。都合よくいかなかったから、人間は魔族を封印したんだろ?」
「ジェイド様は……封印されるのは、多分一番嫌がってますもんね……」
初めてジェイドに会った時のことを思い出す。アルマが人間の来訪者だと気づいたジェイドは真っ先に『封印』されることを恐れた。
もっと正確に言うならば、封印明けの空腹がトラウマらしいから、今の状態もジェイドにとっていいものではないだろう。目が覚めたとき、どれだけ腹を空かせているだろうか。
ジェイドの身の回りの食物を切らしてはならないとアルマが気合を入れ直していると、その横でブリックが、真剣な表情でカインに向かって人差し指を突きつけていた。
「おまえの言ってることは全部シグナルの受け売りだろ。シグナルが間違えたことを教えていたとしたら、どうすんだよ」
「わかっています。幽閉され育てられたシグナルに与えられた知識は、魔族が剪定した都合のいい情報のみ。彼が知らない都合の悪い事情も、あるのでしょう。彼はきっと僕に嘘を語らないと信じているが、しかし、彼が本当に知らないことや、彼が真実と思っている嘘も存在するのでしょう」
「……わかってて信頼してんのかよ」
「どうせなら、良い夢を見たいでしょう?」
カインはブリックから目線を逸らし、ふと目を細めたかと思うと、すぐにばっと顔をあげ、にこやかな笑みを浮かべた。
「うーん、しかし……ブリックさんは、ぜひ臣下に欲しい男ですね! あなたはとても真面目で慎重だ!」
「やめろ。しかも、てめえはどっちかというと『個人主義』のヤロウだろ」
「あはは、バレてます?」
カインはわざとらしく笑い声をあげて、頬を掻いた。
「僕を王にしようとしなかった父は正しいですよ。僕は王に向いている人格ではない! ちょっと博愛すぎますしね!」
「その自己評価のポジティブさはなんだよ」
カインが胸を張り、ブリックはそれを半眼で見てため息をついていた。
なんだかちょっとやりとりが微笑ましく思えて、アルマは顔を綻ばせる。それがブリックの目に入ったようで、ブリックは片眉を歪ませた。
「アルマ、なんだよ。そんなしげしげと見て。ちょっとニヤニヤしてるのかわいいけどよ」
「あっ、すみません」
相変わらず、ブリックはちょこちょこ「かわいい」という言葉を挟んでくる。さすがにアルマもブリックからの「かわいい」は口癖のようなものだと慣れてきて、言われるたびにマメな人だなあと思うようになっていた。
「二人とも、会話のテンポがよくって、意外と相性がいいのかな……って」
「よくねーよ、コイツは誰相手でもペラペラ喋るだろうよ」
アルマが正直に告げると、ブリックはないないと手をヒラヒラと振って否定した。
「……生まれ持った力ゆえにか、育った環境ゆえにか、偶然かはわかりませんが、なんとなく僕、シグナルとブリックさんに似たものを感じてしまうんですよね……」
「やめろ、マジ、嬉しくねーから」
胸の前に拳を握り締め、顔を俯かせたカインがそっと呟くのを、ブリックは顔を歪ませて一蹴した。何かと図太いカインがそれを気にするわけもなく、あははと楽しげに笑っていた。
(シグナルとカイン王子もこういう感じだったのかな……?)
ぼんやりと、シグナルとカインの関係に思いを馳せていると、それを看過したのか、ブリックが片眉を寄せ、苦い表情を浮かべたブリックがそっと釘を刺す。
「アルマ、あんまり余計なことを考えるなよ。お前はそういうのしんどくなるタイプだろ」
「は、はい」
「……あー、クソ。なんだかんだ、オレ、ああしろ、こうしろって言っちまうな」
ボリボリとブリックが頭を掻く。
「お前はさ、根が優しいし真面目だから、何やっても後悔することも多いんだろうけど、あんま気にすんなよ。自分で考えて、決めて、やったことなら、それだけで“えらい“んだ」
「……えらい?」
「アルマ、苦手だろ。自分で決めて何かするの。それやっただけ、えらいからいいんだよ」
「苦手は……苦手ですけど、でも、それでよくないことになったのなら、やっぱりそれはえらくないんじゃ……」
「いーんだよ、そんなことは」
そろそろと上を見上げて、ブリックの顔を伺うと、ブリックは大きく朗らかに笑ってくれていた。眩いばかりの笑顔に面食らって、アルマはつい反射的に顔を下げてしまう。それでもブリックはぽんぽんとアルマの頭を撫ぜてくれた。
「シグナルのことも、ジェイドのことも、コイツのことも、そう難しく考えるな。どうにもでもなるし、どうにもならないことはどうにもならないし、結果のことは、あんま考えんな」
「……はい」
「……あー、指図してえわけじゃねえのに、そういう言い方になっちまう。やっぱオレ、こういうのうまく言えねえや。わりぃ、アルマに頼られるまでは黙っとくわ」
ブリックは優しいと思う。アルマは考えを押し付けられているだなんて、全く思わないのになあと思いながら、ブリックの大きな身体を見上げた。
ブリックは、アルマが優柔不断であることをよく知っている。彼は洞察に優れている。頭の回転や、物事の判断も早いと思う。見習いたいと、憧れる気持ちがアルマにはあった。
ブリックの三分の一くらいでいいから、気が利いて、自信があって、行動力のある自分になりたいとアルマは思った。
「……なんかちょっといい雰囲気になってませんか? そういうのって、僕の役割では?」
「てめえはずっと黙っとけ」
(これくらいのキレが私にも欲しい……!)




