43話 古い絵画と『内』と『外』
カインが泊まると言い出し、ブリックと一悶着があってから1週間。
カインは本当に屋敷に滞在した。ブリックは自らの魔力を吸う体質を理由になくなく帰宅した。しかし、気になるようで、この一週間のうちもちょくちょく顔を見に来てくれていた。
カインがやってきてから、カインがやらかしたことといえば、ジェイドに「入るな」と言われていた部屋にうっかり入り込んでしまったことくらいだった。
「カイン王子! この部屋はダメです!」
「すみません、用意していただいた部屋がどこだか忘れてしまって……」
ジェイドの言いつけを守っていたアルマはその部屋の扉を開けたことは一度もなかったが、アルマの知らないうちにジェイドが掃除をしたり、ちゃんと管理していたのだろう。埃もたまっていなかった。
物置部屋という雰囲気で、部屋の中にはたくさんの木箱が置かれていた。
「……アルマ殿、アレ、ジェイドさんじゃないですか?」
カインを連れて、早々に部屋を出て行こうとしたアルマをカインが引き止める。カインの指差す先には壁にかけられた肖像画があった。
描かれている人物は、三人。一人はカインの言う通り、おそらくジェイドだ。もう一人は椅子に座った若い女性で、最後の一人はアルマに見覚えがある顔だった。
(……王太子殿下に似ている気がする……)
偶然かな、と思いつつ、ついアルマはその顔を三度見してしまった。
絵の中に描かれているジェイドは、微笑んでおり、三人は穏やかな良い関係であったことを想像させられる。
「……魔力の気配がします。魔族が封印される前に描かれた絵画だとするならば、不自然なほど状態がいい。魔力で保護されていたんでしょうか?」
「さあ……とにかく、もう出ましょう。ジェイド様からここには入るなと言われてますから」
アルマも絵のことは気になったが、「入るな」と言われていた場所に長居しているのも据わりが悪い。カインの手を引いて部屋を出た。
カインもしつこくその部屋のことを気にすることもなく、アルマが彼のために用意した正しい部屋まで案内すると、それからは一度も部屋を間違えることはなかった。
「アルマ殿! ほら、昨日蒔いた種がもう目を出していますよ」
「本当だ、かわいいですね。カイン王子」
ブリックはとても心配していたが、アルマはカインと和やかに過ごしていた。
2人で畑の畝の傍にしゃがみ込んで、うふふと微笑み合う。
カインはよくわからないことを言ったり、胡散臭い立ち振る舞いをするが、近い距離で話してみると、存外素朴で優しい少年という印象だった。
──というとブリックから「まだ警戒しとけ」とチクリと釘を刺されるのだが。
「おそらく、シグナルの怪我はとっくに治っていると思うんですが」
カインは顎に手をやりながら、顔をしかめた。
シグナルはまだ屋敷には現れなかった。
カインはいつかは必ず、シグナルは現れるはずだと話した。
ジェイドは相変わらず、目を覚さない。使い魔のキリーもだった。
魔力を持った者がそばにいるだけで、影響があるらしいが、アルマ自身の魔力もあまり回復していないからだろう。
「ところで、アルマ殿ってナイフで刺されたら血が出ますか?」
屋敷の中に戻り、お茶を飲んで一服している最中にカインがさも世間話という様子で、物騒な話題を切り出してきた。
「カイン王子は私をなんだと思っているんですか……?」
「ああ、いえ、アルマ殿は僕と同じ『大地の愛し子』ということですので、どうかな、と」
「どうかな……というのは」
もしや、と思い、アルマが怪訝にカインを見つめると、カインはフムと小さく息を漏らし、やにわに懐から小さいナイフを取り出すと、自分の手首を斬りつけた。
「……血が」
出ない。そもそも、皮膚が切られていない。
カインの手首とナイフを交互に凝視するアルマにカインはすっと目を細めた。
「これは僕の護身用のナイフなんですが。ちょっと失礼」
テーブルに並べていたリンゴを手に取り、カインは先程のナイフでリンゴの皮をシャッシャと剥き、四等分に切ってみせた。切れ味に問題はない。
「何を切ってきたかわからないナイフを使ってしまいましたから」とカインは切ったリンゴは自分で食べた。
「僕は、ナイフで切られても、刺されても、怪我しないみたいなんですよね」
「……私はナイフで刺されたら、血は出ますね」
「同じ魔力を持った人間でも、持っている力は違うんですねえ」
カインはおっとりと呟いた。
「きっと、僕はシグナルやブリックさんのような魔族に近い『魔力』なのだと、自分では思っています」
「つまり、カイン王子は、身体がとってもお丈夫という……?」
「そうですね……人間の域を超える程度には、丈夫なんじゃないでしょうか……」
カインは暑さや寒さも平気だし、山道をひたすら歩き続けていても疲れを感じることはないと語った。
「でも、他人から見たら「普通の人よりちょっとすごいけど頑張ってるからそうなってる」くらいに捉われがちで、僕はあんまり『恵みの子』としては扱ってもらえなかったですね」
「わ、私よりもすごいんじゃないかと思いますが……私は魔力を使って、魔物をやっつけるくらいしかできないですし……」
「力の指向性が、アルマ殿は『外』に向いていて、僕は『内』に向いているのですよね」
カインの手がそっとアルマの手を包み込むように被さられた。アルマがカインの顔を見やると、カインは整った形の瞳を煌めかせて、真剣にアルマを見つめていた。
「僕は、きっと、危機や災害があってほとんどの人間が死ぬことになっても、自分だけが生き残るのだと思います」
「それも、大事なことだと思いますが……」
カインは王族であり、人の上に立つべき人間だ。彼が生き残ること自体が人々の希望となるはずだろう。
「あなたはそんなことが起きたら、きっと自分以外の誰かを救うことができる。素晴らしい力です」
「……そんな……」
カインはニコリと微笑む。しかし、アルマは俯いて、首を横に振った。
「私は、でも、力があっても、ここでジェイド様と静かに暮らそうと決めました。今もしもこの国が危機に瀕してもそれを救うのは、魔族の……エレナです」
「この国を棄てたことを引け目に思っていらっしゃるのですか?」
「気にしないことがない……わけではありません」
「尊い方。すみません。くだらないもしもの話をしてしまいましたね」
カインは重ねた手のひらに、グッと力を込めた。
「僕は、あなたに比べて自分は無力だと思っていたのです。誰も救えない、自分のためだけにしかならない力しかないのだと。そんな自分でも、人を救えるかもしれないなら、僕はそれをしたかった」
「……土地に、魔力を増やす……?」
「はい。僕の力は、それにもやっぱり、あまり向いていないけれど、あなたがいるのなら……。僕はあなたをお守りすることで、この力を為したい」
カインは、やはり優しい人間なのではないだろうか。アルマよりもよほど。カインの真剣な眼差しを見ていると、アルマはそう思わずにはいられなかった。
「あなたが傷つけられれば血を流すお方だとわかってよかった」
にこやかに微笑んでみせるカインの真意はアルマにはわからなかった。
アルマは『暴力』カインは『生存』に全振りしてるイメージです。
※2章ラスト部分をまとめて執筆したいので1〜2週間ほど更新ストップするかもしれないです。




