41話 ある日、森の中
「シグナルはどうせすぐまた来るでしょう。一緒にいてあげたいけど、わたし『本業』があるから帰らなくっちゃ。あとは自分で頑張って?」
エレナはくるりと踵を返す。本業──国の聖女としての活動だ。
アルマはその後ろ姿に慌てて声をかけた。
「ねえ、そういえば、魔力を分ける……って話だけど、エレナ、あなたはジェイド様に魔力を分けられないの?」
「あら、アルマはわたしの劣等感を煽りたいのかしら?」
「えっ」
クスクスと笑いながら振り向いたエレナは、目を猫のように細めていた。
「魔力の相性が悪かったら無理なのよ。わたしとお兄様は兄妹でも魔力の質は違うのよ。無理なの」
「……そう……」
飄々としているエレナだが、気のせいかもしれないが、自分と兄ジェイドとの違い、この話題になるとなんとなく感情的になる気がした。
ここでウジウジと「私の魔力なら平気かな?」とは、聞ける雰囲気ではなかった。アルマでもそのくらいの空気は読める。
「ああ、そうだ。わたしも、ひとつ伝えておくことを思い出したわ」
エレナはポンと手を叩いた。
「近々、わたし、王子さまと結婚するわ。何か、彼に言い残したことはない?」
「そう。特にないわ」
「ふふふ、でしょうね。でも、一応ね?」
忘れたままにされていても支障のない情報だった。アルマははあ、と肩をすくめる。
「最期の別れになるかもしれないし」
「お別れはもうしたつもりなんだけど?」
「あら、うふふふ。そうね」
なにかニュアンス違いがあるような気もしたが、アルマはあまり気にしないことにした。王太子殿下がどうなろうと、どうでもいい。
エレナはヒラヒラと手を振ると、今度は振り向くことなく、屋敷を出て森の中へ入っていった。
アルマはベッドで眠るジェイドを見下ろして、じっと見つめた。
ジェイドの白い顔を見ていると、長いまつ毛で縁取られたまぶたは、もう二度と開かれないのではないか。そんな気分になった。
吸い寄せられるように、アルマの手はジェイドの頬に伸びていた。冷たい。硬い頬骨の感触がした。
ジェイドの長く伸びた前髪を払い、初めて見る露わになった額に手を添える。額を出していると、普段よりも幼く見えた。
眠るジェイドを見つめ、触れていると、心臓が落ち着かなくて早鐘を打っているような気もするし、この鼓動の早さが心地よい気にも、泣きたくなるような気にもなるのが、どうにも不思議な感覚だった。
アルマはどうか、この人がいち早く健やかになりますようにと祈らずにはいられなかった。
──魔族の幸せを神に祈っていいのかはわからないが。
◆ ◆ ◆
朝、アルマが起きても使い魔のキリーも、ジェイドも目を覚ますことはなかった。アルマはいつの間にか、椅子に座ったまま上半身だけベッドで眠るジェイドにもたれかかるような形で寝ていたらしい。起きたらジェイドの胸元だったのだから、驚いた。
(ジェイド様が寝ててよかった……こんな粗相をしていたと知られたら……)
きっと、ジェイドは怒りはしないが、呆れることだろう。若い婦女子がはしたないと言われるかもしれなかった。ジェイドはいつも、アルマとの距離感を気にしてくれているようだったから、その距離感をアルマから侵しにいくのはよくないはずだと、アルマも思っていた。
(まあ最近はカイン王子対策で距離感、近かったけど……)
今思うと、あの時のアルマとジェイドは、結構のんきだったかもしれない。思い返すと、ちょっと楽しかった。
キリーも眠ったままなので、アルマは張り切って、久しぶりの農作業と家畜の世話に勤しんだ。
キリーがしっかりと水やりをしていてくれたおかげで、作物は順調に育っている。日照不足が不安だったトマトの苗も育っていた。家畜小屋に久しぶりに入ったら、懐かしい藁の香りが堪らなかった。
村でも、山羊をたくさん飼っていた。世話をしていると不思議と糞尿の臭いがキツければきついほど、愛おしさが増すものだった。それを言ったら、小さい頃昔馴染みのエルクは変な顔をしてアルマを見ていたが。
ひと段落して、アルマは空を見上げる。森の中の拓かれた一画からの景色だから、視界の端に木々の枝葉が入り込み、一面に広がる空ではなかったが、しかし、十分清々しいものだった。
(……帰ってきたなあ)
ジェイドは眠ったままだけれど、アルマはここに戻ってこれた喜びをじわじわと噛み締めていた。
問題は何も解決はしていないが、ここにいることができている。それだけで、アルマは嬉しかった。
「……ん?」
しばらくこうして外でのんびりとしていたアルマだが、誰か、人の気配を感じて身を強張らせた。
「アルマ! ホントに無事だったんだな! 安心したぜ!」
「アルマ殿! ご無事でしたね、よかった」
「……」
「誰だ、コイツ」
「もしかして、アルマ殿は、ハーレムをご所望でしたか?」
(……どう絡むか予想つかない二人がバッティングしてしまった……)
来訪者は、ブリックとカインだった。




