40話 『善き友人』からの報せ
「ちょっと、勝手に入っていいの?」
「いいに決まってるでしょ、わたしは『妹』よ」
エレナは躊躇なく、ジェイドの部屋の扉を開けた。アルマはこの部屋に入ったことがない、中を覗いたこともない。
ジェイドの顔は見たいが、勝手に入っていいのか、気まずい気持ちがあった。
そんなアルマの葛藤を知ってか知らずが、エレナはアルマの手をグイグイと引っ張り、ジェイドの枕元まで導いていく。
「……寝てる」
瞳を閉ざした整った顔は、まるで彫刻のように思えた。
「お兄様は封印から覚めてからも、ずっと魔力が回復しなかったから、今回アイツに魔力を吸われたのは大打撃だったでしょうね」
「魔力が回復するまではずっと寝ているの?」
「おそらくはね。シグナルも、まさかお兄様の魔力がここまで弱っているのは予想外だったんじゃない? 本当は近いうちにお兄様をあの監禁場所に招いて脅す気だったんでしょ?」
エレナは肩をすくめて見せる。
「全く。何年がかりの計画になるところだったのかしら」
「何年って……そんなに起きないの!?」
「わたしの見立てだと、そうね」
エレナはあっさりと、事もなげに言うが、アルマは驚愕していた。
魔族の感覚だと、違うのかもしれないけれど、数年単位はあまりにも長すぎる。
「……ジェイド様、またお腹空いちゃう……」
「あら? お兄様のトラウマ知ってるの?」
ジェイドのトラウマ。封印から目を覚ますと、凄まじい空腹に襲われたが、食べるものが周りに何もなく、非常に辛かったというものだ。
本当にこのまま寝続けると言うなら、せめて、身の回りに食べ物を常に置いていてあげようとアルマは思った。
「ちなみに、さっきあなたと使い魔がしてた魔力供給。お兄様とあなたとでもできるわよ。よっぽど魔力の相性が悪かったら無理なんだけど……」
「え!?」
「お兄様に早く目覚めてほしかったら、いいんじゃない?」
「……この状態って、ジェイド様は苦しいの?」
「さあ? どうかしら?」
はぐらかすエレナは、わざととぼけているのだろう。
魔力を失っても生命に影響はないはずのアルマがあれだけしんどかったのだから、生命と直結しているジェイドは、おそらくもっと辛いだろう。
アルマを見るエレナの目がやたらとニヤニヤしているのは気のせいではないだろう。この女は、いつだってにやけているが。
「ふふ、わたしはそんな野暮じゃないわよ。いますぐにナニをどうとか急かす気はないわ」
「……なにそれ」
「まあまあ、別に。きっとこのままでも死にはしないでしょうから、安心なさって?」
含みのあるエレナの物言いにアルマは顔を俯かせる。
手を繋ぐくらいでも、魔力の受け渡しはできると言っていたから、それは後で試してみようと思う。エレナがいなくなった後で。
「ブリックにも連絡いれといてあげようかしら。あなたのことを心配してるでしょうから。多分、どこかに連絡用の宝石が……」
「え?」
エレナはおもむろに、ジェイドのベッド周りを探り始めた。
「お兄様のことだから、このへんに……あっ、あったわ」
「ちょ……勝手に開けて……」
「何言っているのよ、『妹』なんだから、いいに決まってるでしょ」
エレナはベッドのサイドボードの引き出しから、丸くデフォルメされた鳥の形に彫られた翡翠の置物を取り出した。
(この兄妹の距離感って、なんなんだろう)
「……ああ、ブリック? わたし、エレナよ。アルマは助けてきたから、今はお兄様の屋敷に戻っているわよ。……ええ」
エレナが鳥の置物をアルマに差し出してきた。
『……ルマ!』
「わっ」
「ブリックが代われ、って。手に持って話せば通じるから」
便利だなあと思いながら、アルマはその置物を受け取った。
「ブリックさん!」
『アルマ! よかった、無事だったな! 助けに行けなくてわりぃ! ジェイドもそのまんまにしてて!』
「そんな……私こそ、私がいたのに、ジェイド様を守れなくって……」
『お前のせいじゃねえよ、お前は巻き込まれた方だろ? そんなこと言ったらオレだって、タイミングが悪くてゴメンって感じだ』
「……はい」
『使い魔の……キリーだっけ? アイツ、頑張ってたから、褒めてやってくれよ。オレがついた時にはもうジェイドの介抱してくれてて、状況もアイツから聞いた』
アルマは深く頷いた。キリーを使い魔にして、日は浅いが、彼がよくできた使い魔なのはよくわかった。
『まあ、オレもまたそっち行くからよ。お前も無理すんなよ。じゃあな』
「はい、また……えーと」
「手を離せば切れるわよ」
エレナのいう通り、置物をサイドボードの上に置いて、手を離すとブリックの声は何も聞こえなくなった。
「これ、あなたが持っていてもお兄様は怒らないと思うわよ? 持ち運ぶにはちょっと重たいでしょうけど、シグナルのやつがまた来るなら対策になるんじゃない?」
「……そうかな」
「気になるなら、わたしに持たされたって言ってくれていいわ。わたしももう一個、あなたにペリドットの宝石を渡してあげたいけど、あいにくちょうどいいのがないのよね」
アルマは小さく「ありがとう」と呟いた。翡翠の鳥の置物は、手に持っていると、確かにずっしりとくる重さだ。
原理はよくわからないが、とにかく便利な道具である。ブリックといつでも連絡がとれるのは、たしかに心強かった。
「エレナはブリックさんから聞いて、私のところに来てくれたの?」
「いいえ?」
そういえば、と切り出すと、エレナは首を横に振った。
じゃあ誰が、とアルマが聞き直す前に、エレナが口を開いた。
「カイン王子が私に教えてくれたの。わたしたち、『善い友人』ですからね?」
「……」
なぜだろうか。エレナが言うと、そして相手がカインだと、ものすごく胡散臭くきこえる響きであった。
(いや、そんなことはどうだってよくって……)
『──残念ながら、あなたをここから逃すお手伝いはできそうにない』
アルマが囚われていた小さく狭い部屋の中で、申し訳なさそうに頭を振るカイン王子の姿が脳裏に浮かぶ。
カイン本人にアルマを助けることはできないが、彼は代わりにアルマと繋がりを持った人物──エレナに助けを求めていてくれていたと、そういうことだ。
小部屋の中では彼とそれなりに話をすることできた。彼の目的も聞いた。
(……カイン王子)
カインの考えていることは、アルマには相変わらずよくわからない。ますますわからなくなってきた。
だがしかし、彼は少なくともアルマにとっては『悪い人物』ではないのだろう。
アルマはそう思った。




