間話 北国の王子カイン
カインは国の王子として生まれた。
だからといって、けして特別な生まれなんてことはない。単に父親が王であったからである。母は美しかったが、平民の出だった。カインが生まれるより前に、正妃が二人男児を産んでおり、カインは三番目に生まれた男児だった。
「カイン、お前は自由に生きるがいい」
父はカインに対し、寛容であった。特段優しいわけではないが、カインが学びたいこと、やりたいことはなんでもさせてもらえた。
カインが生まれた国は雪のやまない土地で、実りは少なく貧しい国だったが、王族であるカインは暖かな住まいと、着心地の良い服と、一日三食の食事を当然のように与えられていた。
カインの生活に不自由はなかった。
カインは己は恵まれていると理解していた。
カインの地位は第三王子であった。この国では、正室側室の区別なく、生まれた順に王位継承の順位をつけられた。カインは三番目に生まれたから、継承権は三番目の第三王子となる。母が何も持たない美しいだけの女でもだ。
正妃はカインが生まれた後、さらに一人の息子と、その翌年には娘を産んだ。男児はカインよりも後に生まれたので、第四王子となる。
他の側室も子を産んだ。どの側室の子も、平等に生まれた順番に順位はつけられた。
「カイン、お前は望むままに生きるが良い」
父は寛大であった。しかし、彼はカインに興味はなかった。
「お前は16歳を迎えたら、死ぬのだから」
◆ ◆ ◆
作物の実りの少ない雪国が富を得るためには、努力が必要だった。かつての祖国は軍事力により、財産を得た。武器の製造技術の発展、強い兵士の育成、これらがこの国の生きる術であり、民は我こそがより強い存在であろうと、活力に満ち溢れていた。
しかし、戦争が時代遅れとなってくると、国は貧しくなった。
カインはすっかり貧しくなった時代に生まれたが、しかし、戦いに身を投じてきた歴史はこの国に、"縁起を好む"性質を育んでいた。
カインは七人いた予言師のうち六人の予言師から揃って、『成人し、王となれば国を滅ぼす』と予言された。
滅びの子と称され、カインは本来であれば赤子のうちに殺されるはずだった。
すでに正妃の産んだ二人の男児がいて、カインは側室の子であるし、殺してもたいして問題はなかった。
しかし、カインは殺されなかった。七人のうちの一人だけが、占いを『恵みの子』であると解釈したからである。
ただそこにいるだけで恵みをもたらす奇跡の子であると主張した予言師の意見を聞き、王はカインを生かすと決めた。
成人となる16歳の誕生日までは。
殺しても問題がないのだから、生かしておくのもたいした問題ではないとされた。国を滅ぼす予言は成人し、王となればという但し付きだ。
しかし、万が一でも王となっては困るので、王は成人したらカインは殺すことにした。
側室の子であっても、等しく継承権を与えるのは長年続いてきたこの国家の伝統であった。寒さの厳しい国であり、そして戦いの中に身を置いてきた国が、王家の血筋を残すには、正妃の子のみに拘ってはいられなかった。側室の子にも継承権を与え、差別なく育てることが伝統であり、国教の経典にも示されている。
ただ、経典には『不吉な報せを受けた子を殺害してはならない』とは示されていなかった。
よって、カインは継承権を剥奪することはできないが、殺すことには問題がないので、成人を迎えれば殺されることとなった。
赤子には厳しい寒さのせいで、育つことなく多くの赤子が死んでいったのは昔の話だ。今はもう冷たい風を遮る立派な壁の家を建てられる。
──これは余談だが、遠く昔の方が寒さ自体は今よりもマシで、雪が降らない時期も長かったらしい。ある時期を境に、この国は猛烈に寒くなってしまったのだ。もしも、家を造る技術が発展しないままであったならば、今ごろこの国はとうに滅びていただろう。──
正妃は若い。二人の他にもまだ子を産めるだろう、側室は他にもいた。カインという尊い命一つにこだわる必要はなかった。
カインは七人のうち六人が滅びと解釈し、一人だけが恵みと解釈した予言により、生かされ、そして殺される未来を得た。
◆ ◆ ◆
カインは16年という人生を短いとは思わなかった。人はいつまで生きるか、いつ死ぬかわからないままに生きているが、自分はそのゴールラインを決められているだけに過ぎない。終わりの時がわかっていると思えば、特別その期限を短いとは思わなかった。
父である王は自分の望みはなんでも叶えてくれたので、カインはのびのびと生きた。兄二人が厳しく育てられている最中、一人気ままに国中を視察して回ったり、外国に出かけていったりした。
恵みの力とやらは、よくわからなかったが、カインが生まれてから王都の周りだけ気温が少し暖かくなり、作物の取れる量が増えたらしい。いきなり雪国に雪が降らなくなるような奇跡は起きなかったが、恵みなどないと否定するにもしづらい程度のささやかな変化があった。
しかし、16歳までは生かすと決めたのだから、恵みの子という予言が外れたと判断されても、殺されることはないだろうとカインは思っていたし、実際そうだった。
これもげん担ぎの一種である。誓いを撤回してはならない。経典にも書いてある。
南にある豊かな国には、『聖女』と呼ばれる少女がいるらしい。彼女こそ、真なる恵みの子なのだろうと思ったカインは彼女に会いに何度かその国を訪れた。
しかし、彼女は聖女であると同時に王太子の婚約者でもあるらしく、いくら隣国の第三王子といえど会わせてはもらえなかった。過保護だなあとカインは思ったが、女の子が大事にされているのはよいことだとも思った。聞けば、彼女は平民だというのだから、尚更だ。王太子はこのまま彼女を大事に寵愛すべきだろう。
なので、カインは第三王子としてではなく、物好きな成金息子の道楽という体でこの国を訪れ、そして魔族の討伐のために聖女が旅立つ噂を聞くと駆けつけた。
野次馬に紛れて遠目でみた彼女は可愛らしい女の子だった。伸ばしかけの栗色の髪は艶やかで綺麗だった。一目見て、カインはバチバチと目から火花が飛び散るような錯覚を覚えた。いや、実際に火花は飛んでいたかもしれない。
外見のことではない。彼女はとてつもなく、大きな力を持っているということだけが鮮明にわかった。
自分のなんだかよくわからないただ一人が言い張っただけの恵みの力だなんて、本当にただのよくわからないだけの何かだとこの時カインは思い知らされた。
◆ ◆ ◆
カインには時たま、不思議な出会いがあった。
「君、だれ?」
「……」
誰かに呼ばれているような気がして、足を運ぶと、誰かがいつも死にかけている。もしくは死んでいる。
森の中であるとか、山の中であるとか、遺跡の中であるとか、だいたいそんなところでいつも誰かが死んでいるのを見つける。
供養をするために、だれか心当たりのものはいないか聞いても、誰も検討がつかないという。あまりにも頻度が多いと、自分がこの変死体に関与していると誤解されそうで、カインは12歳を迎えるころにはもう自力でこういう死体は供養するようになっていた。
気づけば、国中のその死体、あるいは死体予備軍のいる場所がわかるようになっていた。これは神が己に与えた試練なのだろうかとカインは不思議だった。
どうせまた死んでいるのだろうと思いながら、カインは今日もその場所を訪れた。
カインはお供を連れ立って歩くことはほとんど無かったし、それが容認されていた。どうせ、16歳になれば死ぬからである。カインの命の価値は16歳になり死ぬことにあったので、一人で自由に動くことができた。
カインは雪が深い地域に行っても平気だった。カインは、寒さを感じたことがなかったし、どれだけ雪景色が広がろうと自分のいる場所がわからなくなることはなかった。
周りはそれを少し優れた能力に過ぎないと思っているが、カインは己のこれは異能であると察していた。ほんのささやかな恵みの力である。
昔の軍用施設か何か、だろうか。無機質な四角い建造物の中にそれはいた。
鮮やかな赤い色。薄暗い建物の中で、異彩を放っていた。
(生きている)
それは生きていた。
腹が減っているようだったので、食物を与えると、思ったよりも元気なようで勢いよく食いついていた。
初めて出会った死体ではなかった彼に、カインは感動していた。
「あなたたちは何者なのですか?」
「……たち、とは」
今まで、彼と同じ気配を辿って行くと、死体にばかり出くわしてきたことを話すと、彼はわずかばかり驚いたようだった。
「お前こそ、何者なのだ?」
「僕はカイン。この国でもっとも自由な男です」
彼は訝しげにカインを見つめていたが、やがて観念したかのように口を開いた。
「我々は魔族だ。魔力を持つ人の子よ」
カインはこの時初めて、恵みの力を持つと言われた自分のそれを『魔力』というのだと知った。
彼はシグナルと名乗った。話し出すと意外と饒舌でカインは気が合うと思った。
カインはシグナルに興味を持ち、せっせと食べ物を運んでは彼の住処に入り浸った。
シグナルは初対面こそ警戒していたが、次に会った時には穏やかな口調で話すようになっていた。
髪も目も赤く、肌は白く、顔つきは切長の瞳でやや神経質そうだが整っていた。この髪は雪の中では大層目立つだろうと思うとカインは少しおかしくて笑ってしまった。
「なぜみんな魔族は死んでいたか、ですか? 簡単なことです、魔力が尽きたからです。あなたが呼ばれた気がしたのは、あなたが魔力を持って生まれた子だから。あなたが生まれたことをきっかけに封印された魔族が目覚め始めたのです」
「僕が生まれたから?」
「この土地の魔力は著しく枯渇しています。そこにあなたが生まれたことで、刺激を受けてわずかながら魔力の濃度が増しました。それにより、魔族は目覚め始めたと推測できます」
「ふぅん」
「他人事のように聞いていますが、王族であるあなたこそ関心を持つべきです。魔力が枯れているから、この土地は暖かくならず、雪が降り続けるのですよ」
「魔力が満ちれば、土地が豊かになるってこと?」
毛布を抱えて床に転がっていたカインはガバッと体を起こした。
カインには国のことはどうでもいい。王家のこともどうでもいい。だが、生まれ育ったこの土地とそこに住む人々には愛着はあった。
小さい頃から街に降りて遊ぶことの多かったカインはそこに住む国民たちによく可愛がられていた。
予言の通り、もしも自分の持っている力でこの地を豊かにできるのなら、叶えたいとカインは目を輝かせた。
「ありがとう、シグナル。僕は16歳になるまでの目標ができたよ」
「16歳?」
「僕は16歳になれば死ぬから。教えてくれ、シグナル。どうしたら、魔力は増えるの」
この時のカインは13歳だった。
成人し、王となれば国を滅ぼすと予言された恵みの子はこうして土地を豊かにする方法を知った。
この土地を豊かにする。そのために、カインは国を滅ぼすかもしれなかった。




