31話 カイン対策作戦会議
カン、と堅い木の音が響く。小さな駒が盤面を叩いた。
「……アルマ、お前……」
ジェイドはひどく、真剣な顔を浮かべていた。
「……めちゃくちゃ、弱いな。チェス」
「う……」
3回勝負して、アルマはその全てで惨敗した。
チェスは初めてプレイしたから、ルールがおぼつかないところがあるからといった理由はあれど、大量のハンデをつけてもらってなお負けた。
ジェイドが頑張ってアルマを手引きしながらやっても勝負は全く長引かず、速攻でアルマは敗北した。
「オレも大して上手じゃない、だが……」
「……昔から、こういうゲームって苦手で……」
「……わかった」
ジェイドは抑えていた目頭から手を離し、半身を起こすと、アルマの瞳を見つめて言った。
「あのカインという男の対応は俺がする。お前は手を出すな」
「えっ?」
「……お前には、向かないだろう」
「な、なんでですか。チェスしてただけなのに、急に」
「……」
ジェイドの無言には「一手先を考えるので精一杯なのに、お前に上手い立ち回りができるわけがないだろう」という圧を感じた。
弁が立つ相手に弱い実績が、エレナの件ですでにあるアルマは、ぐうの音も出なかった。
カインは「必ずまた迎えに行く」という宣言通り、再び屋敷を訪れた。ジェイドがなんとか撃退してくれたが、きっとまた来るだろう。
カインが来るとわかっているので、ジェイドは壊れた結界をまだ張り直していない。今、張り直してもすぐまた壊されるからだ。
アルマは一日のほとんどを屋敷の中で過ごしていた。ジェイドが外に出してくれない。
うっかりカインに遭遇しないようにするためだ。畑の世話といった仕事もしないで、屋敷にずっといるのは、暇だ。
チェスをやっていたのも、暇潰しにジェイドが付き合ってくれたのだ。アルマはそう思っていたのだが、ジェイドには別の思惑があったようだ。
「なにも、チェスで推し量ろうとしなくても……」
「コレだけでそうしようと思ったわけじゃない。後押しには、まあ、なったが……」
ジェイドは目線を斜め下にやりながら、ため息混じりに話した。
「……お前はアルマじゃないと言い張るのは、あの手合いには通じないだろう。しかも、お前をここから連れ出すまでは諦めなさそうだ」
「そうですね……」
「殺すか」
「そ……えっ!?」
アルマが大声をあげると、ジェイドはきょとんと首を傾げた。
「これが一番、楽だと思うが。俺たちは人間とは関わりがないから、法は関係ない。ここは死の森と呼ばれて人が訪れることはまずない。万が一ここで死体が見つかっても魔物のせいだと思われるだけだ。王子という話だが、他国の王子がこんな場所で死んだとしたら、責任を問われるのはこの国の王族だ」
ジェイドは不思議そうな顔でスラスラとカインを殺す合理性を説明した。それは確かに、そうだが、アルマは首を縦にはとてもじゃないが振れなかった。
「……ここの出入りを唯一公認されているエレナが疑われるか。まあ、アイツならうまくやるだろうし、少し痛い目を見てもいいくらいだから構わんな」
うん、とジェイドは大真面目に頷く。アルマはぐ、と口の中に溜まった唾を飲み下してようやく声をあげた。
「私、まだ、人を殺したくはないです」
「……そうか、いや、そうだな。忘れてくれ」
(忘れられないよ!)
ジェイドの普段の落ち着いた物腰や優しさのおかげで忘れがちだが、そういえばこの男は魔族でしかも魔王で、当時は戦争なんてこともしていた男だ。
人間たちと魔族の生死観自体も、恐らく違うのだろう。
求婚を断る手段として殺害を選ぶのは、アルマには無理だった。いや、ほとんど全ての人間が無理だろう。たとえ、相手が何やら厄介そうな相手だったとしても。
「それならば、どうあってもお前はここから離れられないと納得してもらうしかない。アイツは、お前は俺と駆け落ちをしたのだと思い込んでいたが……」
ジェイドは顎に手をやり、しばし思案して口を開いた。
「ならば、つくべき嘘は、俺とお前が愛し合っているということだ。アルマ」
「……そうなりますか!?」
アルマが驚いた声を上げると、ジェイドは眉間にしわを寄せ、ばつの悪そうな表情を浮かべた。
自分でも良い案とは思っていないらしい。
「俺も、あまり駆け引きはうまくはないと言っただろう」
「……う、うーん」
それが最適解であるか、アルマには判断が難しかった。
しかし、普通に対応して諦めてくれる相手ではない、ということはアルマにもわかった。
わざわざ国境を超えて、死んだと言われている人間をここまで探しにきたような男だ。はいそうですかと諦めるとは思えない。
「アイツはお前を真に救い出すと言っていたが、それはどう思う」
「正直、よくわかりませんでしたが……」
「自分の国を救ってくれと言ったのとよくも同じ口で言うものだと俺は思ったが、お前が彼の願いを聞き届けたいと考えたのならば、それを阻みはしない」
細められた翡翠の瞳がアルマに向けられる。慈愛を含んでいるような、哀愁があるような、そんな気配がした。
ジェイドはアルマがここにいることについて、引け目を感じ続けている。その表れなのだろう。もしも、カインと共に行くことがアルマの意思ならば、と考えているのだ。その方がアルマのためになる可能性を、考えてくれている。
なんでこの人はこんなに真面目なのだろうとアルマはなぜか胸がチクリとした。
「ここを出て、彼について行きたいとは……全然、思いませんでした」
「そうか」
素直に思った通りに告げると、ジェイドは表情を和らげて、ふっと微笑んだ。
「すまん、念のために聞いておくべきと思った。お前の意思がそうならば、俺はお前がここにいられるように、尽くそう」
ジェイドの低音の澄んだ声が、真っ直ぐにアルマに向けられた。あまり抑揚のない話し方のはずなのに、ジェイドの声はなぜだか、優しく響くように聞こえた。
(今、そんな場合じゃないのに)
「……アルマ? どうした」
「い、いえっ、あの、あ、ありがとうございます!」
(なんで私、ドキドキしちゃったんだろう)
真摯な言葉とその声が、耳から離れてくれなかった。
「アルマ」
「は、はい」
「これからも、基本的にはお前は屋敷の中にいてくれ。不便な思いをさせるだろうが、万が一のことがあるかもわからない。畑や家畜のことは心配するな」
ジェイドは言いながら、椅子から立ち上がり、机の向かい側に座っていたアルマに近づいた。
「……アルマ。あの男に、俺たちは愛し合っていると思わせないといけない。そのために、俺はお前に触れることがあるかもしれない」
「え、ええと、はい」
「お前が嫌だと思う触れ方は、しないようにしたい。どういうのなら受け入れられるか、これは許せないとかを、教えてほしい」
「う、ええ……!?」
ジェイドの目は、真剣だ。いつだって、ジェイドは真面目で、冗談など言わない。これも当然、ジェイドは大真面目に言っている。
「な、なんでもいいですよ」
「なんでも……って、そんなことはないだろう。肩を触られてもいいが、腰を抱かれたら嫌だとか、手を繋ぐのはいいが、キスをされるのは嫌だとかあるだろう」
「こっ……キ……?」
ジェイドの真面目さに、殺される。アルマはそう思った。
「お前が思い描く愛し合う男女の理想もあるだろう。あくまで演じるだけのわけだが、偽りだとしてもお前が心地よいと感じていなければ到底あの手の輩には信用されないと俺は思う」
「な、ないですよ?」
「……何かあるだろう。いってくれたら、俺もそのように振るまうように努力する」
これはものすごい恥ずかしいことではないか。アルマはさっきとは違う意味で顔を赤くして、胸の鼓動を早めた。
「あ、あの」
「なんだ」
「さ、さっき言っていたのって、必要があれば、キスもするってことですか」
「? ああ、例に挙げたな。もしもそれが適切な場面があって、お前の許可があればする」
「……ジェイド様って……」
もしかしたら、女性には慣れているのだろうか。アルマは訝しんだ。
「複雑な顔をしているな、お前が望まなければ、けしてしない」
「……はい」
アルマは居た堪れなくて俯いた。顔から煙が出ているかもしれない。
「い、いちゃいちゃしてみせるのは、もう決まりなんですね?」
「いちゃいちゃになるかはお前次第だ。お前のいいようにする」
「え、ええと、その、カイン王子に我々は、駆け落ちをしたんだと! それが真実だと思わせることで、撃退する! という方針は決定的なんですね!?」
「他にいい案が思い浮かべばその限りではないが……」
息絶え絶えのアルマとは違って、ジェイドはのんびり首を捻りながら「うーん」と唸った。
「……何をしても、あの男が納得する姿が想像つかん。正直、殺す以外の解決策が思い浮かばない」
「……もう、それでいいです……」
「ころ……」
「いちゃいちゃの方で!」
そうか、と短く答えるジェイドはやはり、どこかきょとんとしていた。
「まあ、これでも最終的には強行策をとられるかもしれないが……やれることはやってみよう」
「強行策……」
「誘拐もあるかもしれないぞ」
まさか、と思うが、可能性は否定できない。アルマは頷いた。
ジェイドは自分を守ろうとしてくれている。それなら自分も、その気持ちに報いたい。
アルマはぽつりと、疑問を漏らした。
「なんで、彼も魔力があるのに、私が必要なんでしょうか」
「……お前の故郷だが、あそこもお前がいなくなったら大地が痩せていったんだろう?」
ジェイドは少し言いづらそうに目を伏せて、アルマの故郷の話を持ち出した。
「たとえ一人、膨大な魔力を持った存在がいても、その恩恵のある範囲は狭いし、ひとたび離れれば続いていかないんだ。力を持つものは多ければ多いほどいいということじゃないか?」
「……はい」
わからない。彼の目的は、自分の生まれ育った土地を豊かにすることだというのは、偽りはないだろう。だが、どうしたらその目的は遂げられるのか、そのためにどうしてアルマが必要なのかがわからない。
「アルマ」
思案に耽っていたアルマは、呼ばれて慌てて顔を上げた。そう遠くない位置にある碧の目とかち合う。
「頬に触れられるのは嫌か?」
「頬なら……別に……」
先程の話の延長か。なんで急に頬を指定したのだろうかと不思議に思いながら、首を振ると、スッとジェイドは手を伸ばしてきた。
細長い指が、頬に触れる。
「……さっきから気になっていたんだ。熱いぞ、熱でもあるんじゃないか?」
「へ、あ、あの」
ジェイドの手は冷たくて、心地よかった。
「……こ、これって、カイン王子がいない時も、なんですか?」
「いや、これはただ、お前の頰がずっと赤いから気になっただけだが……いきなり触ったら失礼だろう」
ジェイドはアルマの反応に不思議そうに返したが、少ししてからハッと目を大きくして、しばし逡巡した後に口を開いた。
「……すまん、特に理由も何もなく、触られるのは嫌だったな」
「いえ、あの、全然……頰くらい、全然……」
俯きながら、チラリとアルマが目だけでジェイドを見上げると、ジェイドの頬もほんの少しだけ赤くなっていた。
恋愛進行度20%
しばらく更新間が空いてしまってすみません!
また今日から更新頑張ります。




