30話 恵みのある土地
「……エレナ、彼女は真実を言っていたようだな」
ふうとため息をつきながら、独り言のようにカインが呟く。
(エレナ? エレナが手引きをしたということ? ……なんで他国の王子が、ここに?)
アルマは困惑していた。
エスメラルダの水晶に、たしかに彼の姿が浮かんでいた。これから先、出会うことがあるかもしれないとは言われたが、その通りになるとは。
あの水晶で見たものと同じ眼差しで、カインはアルマのことをじっと見つめていた。
彼がここに訪れる理由も、エレナが手引きした理由も、そのどちらもわからない。北国の王子の彼との繋がりがわからない。
痛いほどに感じていたカインの視線が、アルマからジェイドに移る。
「となると……この男が駆け落ちのお相手……ということか……」
ぶつぶつとカインは聞き取りにくい声で呟く。
(駆け落ち……?)
アルマは眉をひそめるが、聞き間違いかもしれないし、よくわからなかった。
カインはアルマに視線を戻し、目が合うとニコリと笑顔を見せた。
「急な来訪、どうかお許しください」
「え、ええと、はい」
「僕の名前はカインと言います。どうしても、あなたに会いたくて、ここまで追いかけてしまいました」
「わ、私? ですか?」
カインはとても恭しく、礼をした。アルマは戸惑う。そして、僕はただの一般人ですとでもいいたげな自己紹介だが、「ザムクールの第三王子のカイン様ですよね?」と指摘すべきか否か、アルマは迷った。
「……僕、あなたのファンなんです」
「は、はあ……。……えっ?」
深い二重の瞳をうっとりと細め、カインは嘆息した。白い頬がほんのりと赤く色づく。
耳慣れない単語にアルマはポカンとしていた。
ファン。ファンとは。
アルマは作家でも歌手でも劇のスタァでもなんでもない。一体何のファンなのか、わけがわからなかった。
「街ではあなたが亡くなったと聞いて……僕、信じられなかったんです。ああ、生きておいでで、本当によかった……」
「え、えーと」
「──人違いじゃないのか?」
カインが一歩近づくたび、アルマは後ずさった。
たじろくアルマの前に、ジェイドがサッと割って入る。
カインは熱のこもった表情から一転、冷たく目を伏せたように見えたが、すぐにニコリと微笑んだ。
「いえ、いえ。この僕が敬愛する聖女アルマ殿を見間違えることなど」
「敬愛ゆえに、似た女性であればそのように見えてしまうだけでは? 面識があったわけではないのだろう?」
「あなたこそ、随分と他人に対して失礼なことを言われる。どのような方か存じ上げませんが、さぞ狭量なお方なのでしょうね」
口調こそ丁寧だが、アルマに対する甘やかな声とはまるで違う突き放すような話しぶりにアルマはまたもポカンとする。ジェイドもいつになく、厳しい喋り方をしていた。
「聖女アルマは死んだ。何処の馬の骨か知らんが、生者に死者の面影を重ねるなど愚かなことをする」
「あなたこそ、生きている人間を死んだと言うなんて、"呪い"でもかけたいのでしょうか?」
ジェイドの片眉がぴくりと動いた。呪いというキーワードに反応したのだということはアルマにもわかった。
ジェイドは、その言葉を嫌っている。
「アルマ殿、僕はあなたの事情を知っています。あなたは、この国においては亡くなられたとも理解しております。ご無礼を承知で、どうしても僕はあなたにお会いしたかった」
カインはジェイドを無視して、アルマに話しかけた。
「……あの、エレナから、聞いたんですか?」
「っ、こら!」
「その通りです、ああ、すみません、先ほど声に出しておりましたか?」
つい、反応してしまったアルマにジェイドの声が飛ぶ。カインはアルマから応答があって嬉しそうだ。
「エレナ嬢も、あなたを守るためになかなか話してくださいませんでしたが……僕のことを信頼してお話ししてくださったのです。ご事情は存じ上げております。どうか、あなたさまがたも僕を信じてくださると嬉しいです」
小首を傾げながら友好的に微笑むカインに、ジェイドは不信感をあらわにしていた。カインもそれをわかっていて、あえてアルマだけでなく、『あなたさまがた』と言ったのだろう。
ジェイドが警戒するのはわかるが、カインがジェイドを挑発する目的はよくわからなかった。
己のファンと名乗った彼は何者なのか。いや、恐らくは北国の王子であるが。
「あの、カイン……王子殿下、ですよね?」
おずおずと口にすると、カインは目をパチクリとさせ、そして苦笑した。
「……驚いたな、僕をご存知でしたか?」
「私、一応レナード様の婚約者だったので……姿絵を拝見したことがありました」
「ああ……そういえば、そうでしたね。あなたは、あの愚かな王太子の元花嫁でした」
カインの顔が苦々しく変わる。
他国の王子がハッキリと『愚かな王太子』と口にしたことにアルマは面食らうが、ジェイドもアルマもそれを聞いたところでどうにかするわけがないので、それをわかってのことだろうか。
しかし、あからさまな嫌悪にアルマは驚いたし、ますます困惑した。
「あの愚かな男から逃れられたことは大変喜ばしい。おめでとうございます。ご苦労なされましたね」
「は、はあ……どうも……?」
「あなたが、予定通り僕の国に来てくれたら、もっとよろしかったのですが……まあ、それは、いいでしょう」
カインは何故か、ジェイドをちらりと見ながらそう言った。
「アルマ殿、僕はこのために参上いたしました」
ジェイドはずっとアルマの前にいて、カインを阻んでくれているのだが、そんなことは気にしていないとばかりにカインはその場に跪き、アルマに向かって手を伸ばした。
「アルマ殿、どうかこの僕、カインと結婚してください」
「……は?」
求婚された。
アルマは固まったが、ジェイドも呆気に取られているのが見てわかる。
カインはアルマの反応は気にしていない様子で、凛とした声で語り始めた。
「僕が生まれた国はとても貧しい国です。雪が絶えることなく降り続ける実りのない国、貧しさゆえに人々が常に争う国、騙り暴力窃盗が生きる術という人間が育つです」
北国ザムクールのことだ。四季のあるマルルウェイデンとは異なり、ザムクールは常に雪が降っている。育つ作物は限られていて、毎日の食料にも悩む国民が多いと聞く。
国土は広いが、ザムクールに住む民は少ない。
「僕はその国で最も貧しい家に生まれました。負債はいくらあるかもわからないほどです。全ての国民から借金をしている家です」
カインはまるで一国民のように話すが、これは──国の借金の話だ。
「僕に愛国心はありませんが、生まれ育った土地に愛着はあります。もう少し、良い国にしたいとは思っています」
アルマは、顔を上げたカインと目があった。
とても意思の強そうな目だ。彼の整った目の形は、目を引く。目力があるというのだろうか、惹きつけられる。
「北国ザムクールを、実りある土地に生まれ変わらせるため、僕はあなたを求めて、こうして会いに来ました。聖女アルマ殿、どうか、僕らをお救いください」
カインは熱っぽく、懸命に話す。再度、頭を下げた。
「……あなたの生活の全てを保証しましょう。聖女アルマとして死んだあなたに、新たな名と身分を。僕の国で最も優しく豊かな街での暮らしを約束します」
カインの口上はこれで終わった。アルマは返事をしなかったが、カインは跪いた体勢を解いて、立ち上がり、アルマには微笑み、ジェイドには不敵に笑ってみせた。
「見ていればわかります。駆け落ちとはいいますが、あなたたち二人に男女の関係はないのでしょう?」
「は……?」
今日は何度ポカンとすればいいのだろう。
なぜ、唐突に男女の関係に言及したのか。
駆け落ちとは。
アルマとジェイドが駆け落ちをしたことになっている?
(……この人、エレナに騙されてる!)
呆然としつつも、アルマはカインの勘違いの原因だけは察した。
「……あなたには、彼以外の選択肢がなかっただけのこと。僕があなたを真に救い出すと、ここに誓いましょう」
カインは凛とした声で宣言した。
「今日のところは、これで退散いたしましょう。また、必ずお迎えに参ります」
カインはそう言うと、キザすぎるほど丁寧な礼をし、去っていった。
◆ ◆ ◆
「……とんでもないやつだったな」
カインの背が見えなくなってすぐ、ジェイドがげんなりとため息まじりに呟いた。
「な、なんだか、なにか、色々言ってましたね」
「いろいろ言われたわりに、随分と呑気じゃないか」
ジェイドはため息をつく。
「だって、なんだか、あまりにもいきなり色々言われたものだから、現実味がないというか……なんというか……」
「……アイツは警戒すべき男だ。王子といわれていたが……まあ、それよりも気になる点はある」
「気になる点?」
おうむ返しするアルマにジェイドは眉を吊り上げて見せた。
「アイツは結界を破壊したんだぞ、アイツも魔力を持っている人間だ」
「……あっ」
ジェイドに言われて、アルマはようやく気がついた。
魔力持ちの人間、彼もまた『大地の愛し子』であると。
……己も『大地の愛し子』であるならば、なぜわざわざアルマを求めてくるのか、アルマには謎だった。
私生活の都合により次回更新遅れるかもしれません。がんばります。




