16話 選んだ居場所
「……! アルマ、いい、ごめん! いや……アルマ! 逃げてくれ!」
「エルク……」
「ごめん! 早く行って! 大丈夫だ!」
「エルク、ごめん……!」
エルクはアルマの姿を見て、何かを思い出したかのようだった。とにかく、早くこの場から離れろと言い始めた。
アルマが傷ついていることに、気がついたのだろう。しかし、アルマは腰は抜け、足がすくんでしまっていた。その間にも老人が叫びながら、暴れる。エルクのためにも、早く逃げなくちゃと思う。だが、体が動かない。
魔物の群れと対峙しても、へっちゃらだったのに、おかしいな、とアルマは思う。
アルマはこの村のことを信じたかった。村長のことも信頼していた。だからだ。
「──アルマッ!」
バン! と勢いよく、扉が開かれた。
鮮やかな濡羽色の黒髪が目に入る。ジェイドと、ブリックがいた。
「……ブリック!」
「おうっ」
ブリックがエルクの加勢に入る。ブリックの体躯はとても大きい。老人の身体を掴み上げると、後ろから抱きかかえたまま持ち上げた。空中でじたばたともがくが、ブリックは余裕の表情だ。全力で老人を抑え込んでいたエルクはその場にうずくまり、肩で息をする。
「オレが抑えとく! ジェイド、アルマ連れて出て行け!」
「頼む──アルマ、行くぞ!」
ジェイドがアルマの手を掴む。しかし、腰の抜けたアルマはそれでも立てなかった。
整った眉をしかめ、ジェイドはその場に屈み込んで、やおらアルマの腰を掴み、抱き上げた。
◆ ◆ ◆
村長の暴れている声や音は、家の外にも響いていたようで、村長の家を遠巻きに眺めている村人が何人かいた。
ジェイドは人目を避けようと、村の中心から外れた方へと、アルマを横抱きにして小走りで駆けていく。
「──アルマ、すまなかった!」
人気のない林になっているところまで辿り着き、開口一番、ジェイドは謝罪を口にした。
そして、アルマをそっと下ろすと、向き合って頭を下げてきた。
「ブリックの言う通りだった。お前に、何も言わずに勝手に話を進めようとしていた。すまない」
「そ、そんな、顔をあげてください」
「しかも、お前をあんな目に合わせてしまった。合わせる顔がない」
あたふたしながらも、アルマはジェイドのつむじを見下ろした。顔を上げてくれる気はないらしい。
「お前のことをよく考えず、安直に、生まれ故郷に帰ってはどうかと提案し、連れてきてしまった。大切な故郷の思い出を良くない形で上書きしてしまって申し訳ない」
「ほ、本当に、いいですから! それに、村に帰ると決めたのは、私ですし!」
「俺は、お前は居場所を奪われて、選ぶ余地もなく俺のところに来たのだと考えていた。だから、もしもお前が人の世を捨てずに済むのならば、その方が良いと思った」
「ジェイド様……」
「……故郷のことを思い出しているときのお前は、故郷が恋しいという顔をしていたしな」
ジェイドの提案が全て、彼の優しさからくるものだというのはよくわかっている。だからこそ、それを責める気などないのに、ジェイドがひたすら謝ってくるものだから、アルマは困ってしまった。
「お願いですから、お顔をあげてください。私に申し訳ない気持ちがあるのでしたら、私のお願いを聞いてください」
「……む……」
懇願し、ようやくのっそりとジェイドは顔を上げる。眉をひそめ唇をぎゅっと噤んでおり、端正な顔は物憂げであった。
「むしろ、私の方が申し訳ないです。せっかく連れてきていただいたのに、お騒がせしてしまって……」
「いや……あの老人にも、悪いことをしてしまった。俺が期待を抱かせたばかりに、妄執を煽ってしまった」
「それは……ジェイド様のせいではないですから」
アルマは苦笑する。
村長があんな風になるだなんて、誰も予想できなかっただろう。アルマもエルクも驚いた。
──アルマが城に行くことを決めたのは、村長なのだろうと思う。村の利を天秤にかけ、アルマを行かせたほうが利があると、そう判断した。
しかし、アルマがいなくなったので作物の実りが悪くなったとエルクが言っていた。困ったこともたくさんあったのだろう。
この6年間で村長は悩み、苦しみ続けていたのだと思う。きっかけを与えたのは、ジェイドの言葉かもしれないが、アルマが村に戻るということはずっと村長の頭の中にあった願いだったのではないか。
「どうか、必要以上にご自分を責めないでください、ジェイド様」
「しかし、俺はお前の気持ちをよくわかっていなかった。勝手な提案をして、すまなかった」
ジェイドは、またも謝罪を口にする。
「もう、本当にいいのに」
「……もう、怖くはないのか」
言われてアルマは気がついた。あれだけ、気が動転していたのに、今はもうだいぶ落ち着いていた。
怒涛の勢いでジェイドから謝り倒されたせいだろうか、頭から恐怖は抜け落ちていた。
だがしかし、あの瞬間を思い出すと、身体が強張る。アルマはギュッと拳を握り固めた。
「……すまん、思い出させたか」
「だから、もう、謝らないでくださいってば」
「……」
ジェイドが閉口する。謝るな、と言われると何も話せなくなるらしい。
難しい顔でアルマを見つめるジェイドが、なんだか少しおかしく見えて、アルマは小さく笑ってしまった。
「お前がいいなら、いい」
複雑そうな様子でジェイドは顔を顰めて、目線を逸らしてしまった。
「すみません、あまりにも真剣だから」
「そんなことで謝らなくてもいい。笑えるのならば、そのほうがいい」
ジェイドは眉をひそめてはいるものの、口元には微笑を浮かべた。アルマは、その表情を見てホッとする。
「二人とも、助けに来てくれてありがとうございます」
「村の中でも騒ぎになってしまっていたからな。それで気がついた」
ジェイドはやや険しげに目を細める。
「……かの老人がああも取り乱したということは、お前は……」
ジェイドは言いかけて、一旦口を閉ざし、アルマを見つめた。
アルマは頷く。ジェイドにも、ちゃんと口に出して言わなくてはいけない。アルマが心に決めたことを。
「私、ジェイド様と一緒に暮らしたいです」
「……アルマ」
この村ではなくて、この魔族の男のもとで。
本当は城を出た時点で決めていたことを、アルマは改めて口にした。
ジェイドは驚いたかのように目を丸くし、アルマの顔を見やった。何度か瞬きをし、アルマを見つめる彼に、アルマは小さく頷く。
「ありがとう」
黒髪の男は、ふわりと笑った。淡い碧の瞳が細められた瞼の隙間から煌めいていて、目が離せないほど、きれいだった。
この男は、こんなにも柔らかく笑うのかと、アルマは驚いていた。
アルマは見惚れていた。
(……なんでだろう)
この顔をずっと、見ていたい、と思った。
恋愛進行度5%




