13話 故郷①
村の人たちは、それぞれの仕事をしていた。
他所から来た人間は目立つ。やや不躾な視線を感じる。
アルマは自分からは村人に声をかけなかった。懐かしい、と思う顔もあったが、向こうは今の大きくなったアルマを見ても、気づいていないかもしれない。話しかければ返事をしてくれるかも知らなかったが、とにかくアルマは村の一番奥の丘の上に住む村長の元へと向かった。
「……のどかだな」
ブリックがぼそりとつぶやく。のどかどころか、寂れた田舎だろう。アルマがいた時よりも、寂しく見えるのは、アルマがこの輪の中に属してないからだろうか。
小さな村だ、村長の家にはすぐたどり着いた。
村長は老齢でほとんど一日中家にいる。
ふと、そういえば今まで考えもしなかったが、また健在であるのか、気にかかった。
もしかしたら。そう思うと、ドアをノックする気が引けたが、アルマなりに、意を決してここまできたのだ。ゴクリと生唾を飲み干し、アルマは村長の家のドアを叩いた。
「……! まさか、おまえは……アル……」
ノックから数十秒ほどかかって、扉を開き、現れたのは村長だった。よかった、まだ生きていたとアルマはホッとする。
「久しぶり、おじいちゃん」
「アルマ……!? アルマなんだな……? よくぞ、帰って……」
記憶の中よりも、腰はずっと曲がっているし、顔もしわしわになってしまっているが、懐かしい。
「ああ……とにかく、上がってくれ。お連れさんも一緒に……」
村長はアルマの後ろに控えていたジェイドとブリックを一瞥するとき、怪訝な様子を見せはしたものの、すぐにまたにこやかな微笑みに戻り、アルマたちを居間へと招いた。
「……急にごめんね、おじいちゃん」
「何を謝るんだ。お前がこの村に帰ってきてくれること以上に嬉しいことなんてないよ」
「エルクたちは今日はいないの?」
「あいつらは今は畑に出ているよ。お前がいると知ったら、喜ぶだろう。こんな辺鄙なところまできたんだ、トンボ帰りですぐ戻りはしないだろう?」
「……うん……」
アルマは曖昧に頷いた。エルクは村長の孫で、アルマよりも2歳ほど年上の男の子だ。母親が死んで、誰がアルマを引き取るかと村で話し合いになった時に、村長の家族たちがアルマを迎えてくれた。歳の近いエルクがいたことがきっかけだったらしい。一人になったアルマだが、村長の家にきて、兄弟ができたようで嬉しかったのを覚えている。
エルクにも会いたかったが、アルマはあまり長居はしないつもりでいた。
今日、この村に来たのはお別れを告げるためだったからだ。
村長は嬉しそうに最近村で起きた出来事を話してくれた。最近久し振りに赤ん坊が一人産まれただとか、マーサという女の子がようやく一人だけで織物を織れるようになっただとか、そんな取り留めのない話だ。アルマはそのひとつひとつに耳を傾けながら、いつ、別れを切り出そうかとタイミングを図っていた。
ジェイドとブリックの二人は、アルマたちを邪魔しないようにか、つとめて静かにしてくれていた。
村長が出してくれた温かいお茶が冷めてきた頃、アルマはようやっと口を開こうとした。
「──アルマ……もう、会えないかと……思っていた……!」
(……!)
その瞬間、村長のしわくちゃの手がアルマを抱きしめる。
「きっとお前はもう帰ってこないだろうと思っていた。城に聖女として召し上げられ、そして、この国の王子の伴侶となるお前は……もう二度と、このような小さな村には、戻ってこないだろうと……」
「私は……」
「……恨みもしただろう、それも、わかっているのだ。だから、我らはもう二度と、お前とは会えないと思っていた……」
アルマはぎゅっと手のひらを握りしめた。村長の身体は硬くて、抱き締められていると、痛かった。しわしわで乾燥した肌と、節くれだった指、吐息からは薬の匂いがした。抱き締められた居心地は、正直、よくなくってアルマはたじろいだ。
こうして抱き締められると、よくわかる。村長は自分が思うよりもずっと老いていて、アルマは動揺した。
6年間だ。たったそれだけの期間、会えなかっただけ。子どもの自分には長い年月だったけど、大人たちには大したことのない時間の流れだと思っていた。でも、やはりこれは長い時間だったのだと思い知らされる。
アルマの心臓は早鐘を打ちはじめていた。
「アルマ、我々は……お前をお城にやって、ずっと後悔し続けていたんだ」
「おじいちゃん……」
「お前に何も言わず、言われるがままにお前を城へとやってしまって……こんなに会えなくなるとは思っていなかった。お前はしっかり者だから、大丈夫だと、勝手に考えて送り出してしまった」
村長は泣いていた。アルマを抱きしめる力がますます強くなるが、アルマはその背を抱き返せずにいた。
「身勝手なワシらを……許してくれ、アルマ……!」
アルマには、今、村長の言葉を聞いて嬉しい気持ちと、今更何を言っているんだという気持ちが混在していた。
いくら城からの命だからって、アルマに一言も言わずに、騙すように迎えの馬車に乗せたくせに。お城について、王の前に連れて行かれて、聖女になってくれと懇願されて、村娘のアルマが断れるわけもないのに。まだ11歳のアルマは幼かった、一度も会いにきてくれなかったし、手紙だって送ってくれなかったくせに。
アルマにとっては、この村のことはずっと心の引っかかりだった。感謝している、愛している、懐かしい、そう思いながら、アルマは恨む気持ちも、確かにあったのだ。
その気持ちにケリをつけたくて、ここまで来たのに、アルマはまたグチャグチャになってきてしまった。
「アルマ……許してくれ……」
「……おじいちゃん……」
ダメだ、言わなければいけない。この村が愛おしいという気持ちに蓋をして、アルマはさきほど閉じてしまった口を再び開いた。
「きっとこれから、お城の使いの人から、私が……死んだと聞かされると思うの」
「……なんと?」
「今ここにいる私のことは、夢か、幻かくらいに思ってもらって構わない。……そっちのが、いいのかな」
老人の目は大きく見開かれていた。
「私はもう、この村には帰らない。別のところで暮らそうと思っているの」
なんと……とほとんど声になっていない声が老人の喉から出た。アルマは村長の身体に手を添えながら、そっと彼から身を離した。
縋るように老人はアルマを見つめていた。アルマはその視線から逃れるように俯く。
アルマは村長の顔を見ないまま、別れの言葉を口にする。
「私はもう、お城にもこの村にも帰らないけど、最後に、会ってお別れを言いたいと思って……」
「待ってくれ、アルマ」
(!?)
ジェイドの声がそれを止めた。
なぜここでジェイドが。アルマは目を丸くしてジェイドの顔を伺った。
翡翠の瞳がまっすぐ、村長に向けられていた。
「アルマは城で不当な扱いを受けて、城から出ることを選んだ。あなたたちはこれからも彼らとやりとりがあるだろうが、彼らには彼女の存在を隠して、彼女をこの村に再び迎え入れることはできないだろうか」
ハッとアルマは息を呑む。
そして、ジェイドはこのためについてきたのだと悟った。アルマを生まれ故郷のこの村に帰すために。
ジェイドの言葉を聞いて、アルマの早鐘を打っていた心臓は重く、鈍くアルマを刺すように脈打った。




