10話 故郷に帰る?
アルマはジェイドの畑の手伝いで、水を撒くことにした。
畑の世話なんて、久しぶりだ。懐かしくて、少し楽しい気分になる。
(こうして……と)
アルマは畑の近くにある泉に向かって手を伸ばし、水に意識を集中させた。広げていた手のひらをグッと握り締め、拳を高くあげる。
アルマの動きに連動して、泉の水がにゅるりと蛇のように動いた。アルマは水を畑の中央まで動かすと、そこで手を開き、小さく振った。すると、水の塊が水飛沫がパパパと飛び散り出す。
「……なるほど、器用だな」
「村にいたときはこうして水やりをしていました」
傍にいたジェイドが顎に手をやりながら、真剣にその様子を見ていた。
アルマは魔力を使って、泉の水を操っていた。何もないところでも、水を出すこともできたが、すぐそばに水そのものがあるならそれを扱ったほうが体力──いや、魔力を消費しにくい。
魔力。自分でうん、と頷く。自分の力は『魔力』なんだな、と思うと、ストンと腑に落ちる感じがした。『聖なる力』『奇跡』と呼ばれるよりも、よほどしっくりする。
「ジェイド様はこうやって水やりしてはいなかったんですか?」
「俺には自由に使えるほど魔力に余裕がない。できる作業は己の力でなんとかしていた」
ジェイドは魔族だ。当然魔力は持っている、しかも、魔王だ。
そう言ったジェイドの右手にはブリキのじょうろが握られていた。この広さの畑に地道に水やりをしていくのは、やれないことはないが、大変だろう。しかし、肉体労働の方がジェイドには消耗が少ない、ということらしい。
「お前が手伝ってくれるなら、畑仕事もすぐに終わりそうだな」
ジェイドは口元を緩め、柔らかく微笑む。
(……顔がいいなあ!)
アルマよりも頭一個分ほど高い位置にあるジェイドの整った顔を見上げて、目が合うと反射的にアルマは俯いてしまった。王太子だって、中身がいくら残念といっても、顔はとてもお美しくて、嫌になる程この6年間見てきたというのに。
(ギャップかしら……涼しいお顔をされているから、微笑まれるとすごい……温かみを感じてしまうというか……)
「アルマ」
「はいっ!」
名前を呼ばれ、顔を勢いよく起こしたアルマに、ジェイドは不思議そうに眉をわずかに寄せた。
「本来ならば、お前は『契約』を受けて国外追放される予定だったそうだが……」
「は、はい」
あの宣告を受けたのは、もう4日前のことだろうか? となると、あと3日後には追放されていたのかと思うと、肝が冷える。
もしもあのままだったら、力も何もかも失っていた。
「お前が魔族と通じている疑惑をかけられて、本物の聖女であるか疑わしい、ということだったが、それは国から正式におふれが出る手筈だったのか?」
「さあ……無闇な混乱を避けるために、国外追放を受け入れるならこのことは王宮内に留めると、王は話していましたが……」
あの日、王の間で王太子から宣告を受けたあと、アルマは国王から再び王の間に呼ばれていた。
そこで国王の口から今後について、詳細な話をされたのだった。
その時には、故郷の村は悪いようにはしない、支援は続けるし、特産品の織物の買い付けをやめることはしないこと、国から出ることは伝えるが罪人扱いで追放されるという言い方はしないことは言われた。
恐らく、国全体にも魔族と繋がりのある偽聖女というおふれは出ないだろう。しかし、国王はそう言ったが、王太子がどう動くかわからない。
まともに考えれば、魔族と繋がりがある疑惑のある人物を国外に追い出したら、国際問題になるのではと思うのだが、実際追放されかかっていたわけで、どういう処理にしようとしていたのかは、まあ気になる。
「アルマ、お前は自分の故郷に戻りたくはないのか?」
「え……?」
「あることないことを噂に流される前に、お前自身の口から何があったのかを話しておいてもいいんじゃないか」
「それは……」
今のアルマは罰を受ける前に逃亡してしまった身だ。国は自分を探すだろう。
お尋ね人となるかもしれない。そうなったら、たしかに、よくない形で噂は流れるかもしれない。
アルマの故郷は王都から南に位置する小さな村だ。人口も少なくて、年老いたものが多く、アルマが村を出たころはアルマと同じくらいの年の子どもは2、3人程度しかいなかった。村のある場所も王都からは遠く、馬車を走らせても3日か4日はかかる。その上、村に向かう道の途中には魔物の巣があって危険だ。
そのため、村と外とで人の行き来がほとんどない。細々と自分たちの食べる作物と、家畜を育て、伝統の織物を織り日々暮らしていく。
(ジェイド様の暮らしとちょっと似ているかもしれない……)
だから、懐かしく思ってしまうのかもしれない。ジェイドとのやりとりの中で、村を思い出すことが多かったのは事実だ。
故郷のことでわだかまりとも言うべきしこりがあるのも、確かだった。
「でも、村までは遠いですし……」
「空を飛べばすぐだぞ」
アルマは苦笑する。まさか、魔力を使って空を飛ぶわけではないだろう。
「グリフォンを飼っている奴がいる。そいつに頼めばそう時間はかからんと思うが」
「グリフォン!?」
「お前も知っているのか、グリフォンは」
大真面目な顔で真面目に言っているジェイドだが、グリフォンといえば、伝説上の生き物だ。魔族と人間の戦いを描いた物語でも多く登場する。
鷲の翼と上半身と、獅子の下半身を持った魔物と言われている。
「あ、あのグリフォンですか」
「そのグリフォンだな。昔は俺も城で飼っていたが、今の暮らしでは厳しくてな……」
「まあ、ここにグリフォンがいたら、ビックリしますが……」
ジェイドは残念そうだが、とりあえず、グリフォンを飼っている魔族の生き残りがいて、その魔族からかの伝説上の生き物を借りられる、ということのようである。
「故郷に帰る手段はある。グリフォンに乗っていけば道中人目につくこともないだろう。お前のしたいようにすればいい」
「は、はい……」
城で過ごすことになって、6年間。アルマは一度も故郷に帰ったことがなかった。
アルマには聖女として王都、ひいては国全体を守らなくてはいけなかったし、くわえて王太子の婚約者になってからは妃教育も受けていた。故郷に帰る余裕はなかった。
故郷に帰る。帰りたい気持ちがあるのは、確かだった。
(……でも、帰ったら……どうなるんだろう)
幼い頃のアルマは、自分は城に売られたのだと思っていた。成長してからは頑なにそう思うことはなくなったが、まだその気持ちは残っている。
しかも、アルマが魔族と内通している偽聖女とは流布されなかったとしても、聖女の役目を退くことは村の人たちには知らされるだろう。そこに自分が現れたとて、何を言えばいいというのか。アルマには分からなかった。
ジェイドの考えも、いまいちよくわからない。軽い気持ちで「帰ってみてもいいんじゃないか」と言っただけかもしれない。何しろ、ジェイドは魔族だ。感性や常識は、アルマたちとは違うだろう。
(私の気持ち次第、か)
アルマの撒いた水を浴びて、きらきらと輝く畑の葉っぱを見つめるジェイドの横顔は涼しげで、もうすでに気持ちはさきほどの話題からは切り替わっているように見えた。
(私が、したいことなんて……)
アルマは思い出す。そういえば、自分のしたいことをちゃんとやったことはほとんどなかった。
聖女になったのも、王太子の婚約者になったのも、自分がそうなろうと思ってなったわけじゃない。王宮での生活は、1日の過ごし方すらアルマの意思に関係なく決まっていた。
こうしないといけない、こうならないという気持ちだけで、アルマは動いていた。
だから、だろうか。
アルマはたった1日前のことを思い出す。
城を抜け出して、魔族の元にやってきた。自分で決めて、こうしようと思って動いて、達成した。そのことが、実は自分をワクワクさせていたということを、アルマは思い出していた。
「……──あら、もうすっかり馴染んでいるのね?」
「!?」
突然の、予想外の人物の声に、ビクッとアルマは飛びのいた。慌てて振り向くと背中に張り付くほどの近さに、彼女はいた。
「ふふ、まるで子猫ちゃんみたいね」
「え、え、え、エレナっ」
「あなたのそんなウブな反応は初めてみたわ……やっぱりお城では、気持ちを張り詰めさせていたのね?」
エレナ、だ。気配がまるでわからなかった。
(そんなに私はボーッとしてたのかしら……)
アルマは全く気づかなかった自分にショックを受け、思わず頭を抱え込んでしまった。
なぜ、ここに、いま、エレナが。
昨日の夜、別れたばかりだというのに。
もうエレナとはしばらく会わないだろうと一種の清々しさを感じていたアルマは戸惑った。
「お兄様ったら、聖女サマに畑仕事させるだなんて」
「お前にそんなことを言う資格はあるのか?」
ふふ、とエレナは相変わらず人をなめ切った笑顔を浮かべた。妹との邂逅というのに、ジェイドは顔を顰めてため息をついていた。
「まあ、これでも、わたしはアルマのために動いているのよ?」
「何しに来たんだ、お前は」
「王子さまたちが、アルマがいないことに気がついて大慌てなの。だから、私がなんとかしてあげようと思って」
ニコ、とエレナは首を少し傾けてアルマたちに笑ってみせた。
何かをしに来たことはわかったが、何をしに来たと言うのだろう。
「ねえ、アルマ。あなた、王子さまからのプレゼントを持っていっていたでしょ? アレをわたしにひとつちょうだい」
「え……?」
たしかにいくつか持ち出していた。どこかで折を見て換金できればよいなと思っていた。一体なんのためだろうかと怪訝に思いつつも、アルマはエレナの言うとおりに、部屋に置いていたルビーのネックレスを持ってきて、エレナに渡した。
「これでいい?」
「ありがとう、これでなんとかなりそうだわ」
「ついでに、あなたの宝石も返すわ」
「えっ、それは持っていてちょうだい」
「なんでよ」
「その方がわたしが助かるの」
意味はわからないが、問答を続けるのも面倒なのでアルマはしぶしぶ差し出しかけたエレナのペリドットのブローチをしまった。
「こんなものを、どうするつもりなの?」
アルマが渡したばかりのルビーを指差して問えば、エレナはとびきりの笑顔で、コテンと首を傾けて言った。
何も知らないものが見れば、まさに聖女とでもいうような愛らしい顔だった。
しかし、この少女は魔族であり、邪悪であった。
「あなたはこれで死ぬのよ、アルマ」




