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フェルバラック Ⅰ

 

 聖女様の浄化の旅も残りあと少しとなった。

 ここまで来るとあとはもう、一刻も早く浄化の旅を終わらせて解放されたい、その思いでいっぱいだった。

 黒の一族や白の一族の歴史、両親の記憶、いろんなことがあったけど、それでももうすぐこの旅も終わりを迎えようとしている。

 もう物語のソフィア・ランドルフは完全にいない。あの物語の筋書きは死んだ。少しもあの物語のとおりにはなっていない。そう確信を持てるほどには聖女様たちと一緒に過ごしてきた時間は長い。

 ここまで聖女様とオーウェンの仲は順調だし、私も聖女様と談笑できるくらいだ。肝心のライルがどう思っているかは不明だが、少なくともオーウェンと親しげに話す聖女様を見守れるくらいには日々を穏やかに過ごしている。

 あとは……本当にもう、一刻も早くこの旅を終わらせたい。最後まで聖女様を守るこの護衛の任務を完遂して、無事にみんなでエスパルディアに凱旋して、ネイサンの顔を立てられたら、あとはエルオーラに戻って――。

 最近はずっとそんなことを考えている。始めは絶望的に思えた旅も、やっとゴールが見えてきた。やった、やり遂げたんだ、私は。

 やっと、やっと待ち望んでいた私の日常に帰ることができる――。








 アルル・リリヤを出立した私たちは、エルオーラと反対の方角に向かう形で海の方へと向かっていた。

 ここからの道のりもまた長いものだった。

 なにもない荒れ果てた広大な荒野をやっと抜けた先は冷たい風に荒ぶる大海があり、それに沿うように切り立った断崖絶壁がはるか遠くまで聳えている。そこを崖沿いに進んでいくと、やがて先の見えない広大な橋が見えてくる。この橋の先の孤島が、次の聖女様の目的地だった。


「それにしてもえらく寒いな」


 分厚いコートを羽織ったセヴランさんが、手袋を嵌めた手に息を吹きかけながらぼやいた。


「そうですね。馬車の中は保温の魔術が効いてますけど、ここはそうもいかないですからね」

「なぁ、あのいつもルナにしてくれているやつ、俺にもかけてくれない?」


 急になにを言い出すんだと横目で見遣ると、セヴランさんはわざとらしくニヤッと笑った。


「あのあったかい風を生み出すやつだよ」

「疲れるからしませんよ」


 この人はつくづく魔術をわかってない。こうやってずっと一緒に過ごしているのに、ちっとも理解しようとしない。


「ライルが涼しい顔していつもやってるから簡単に見えるのかもしれませんけど、あれ維持するのすごく大変なんですよ。常に周りの環境を考慮して一定の温度を保つなんて、聖女様相手じゃなければそんな面倒くさいことやりませんから!」


 そんな人間エアコンみたいな真似を体の弱い聖女様だけじゃ飽き足らず、頑丈で殺しても死ななそうなセヴランさんにまで一日中続けろって言われたってまったくやる気にならない。高等な技術を披露していることを強調すると、セヴランさんは悪びれもなく「悪い、悪い」とうそぶいた。


「そんな大変なことだなんて知らなかったんだよ」

「だったら今知ってください。それに私の場合、繊細なコントロールを要する魔術は向いていないので、セヴランさんの顔に一気に高温の熱風を吹きかけてしまうかもですね。顔面が溶けてしまったらごめんなさい。先に謝っときますね」

「お、おい、恐ろしいこと言うなよ……!」


 青褪めたセヴランさんにべっと舌を出して、前を向く。


「う、……っ」


 その途端、ずきりと走った頭の痛みにかすかに顔を顰める。


「大丈夫か」


 セヴランさんに頷きだけ返して、前方に目を凝らす。

 このごろ、私は時々起こる頭痛に悩まされていた。アルル・リリヤを出たころから自覚するようになったので、たぶん寒くなってきたのも関係あるのだろう。


「ブランケットいるか?」

「一応もらっときます」


 ぞんざいな手つきで投げかけられたブランケットを膝に置く。


「体調悪いなら早めに言えよ。こんな橋のど真ん中で立ち往生するのはごめんだからな」

「心配しなくてもセヴランさんの手は煩わせませんよ。そっちこそ年だからってくたばらないでくださいよ」

「はいはい、わかってるよ」


 次の国、フェルバラックに向かうためのこの広大な橋は渡り終えるのに半日ほどかかる。ちらちらと粉雪が舞ってくる中、厳しい海風に吹かれながら先の見えない海上の橋を進むのは少し心もとなかった。








 そうして冷たい風に晒されながらも進み続けた先。

 橋の終わりの向こうに高く聳える城壁を見つけて、ようやくほっと白い息を吐き出す。


「セヴランさん、やっと着きました」

「ああ」


 セヴランさんは短く頷くと、後ろの御者窓を軽く叩いた。ややあってそこが開き、ブリジットさんが顔を出す。


「着いたぞ。準備しておけ」


 事前に魔術鳩を飛ばしていたおかげで、巨大な城門はすでに開けられている。

 ここフェルバラックは周りからの厳しい海風を遮るように、一つの島丸ごとが天を目指すような高い城壁を備えた城郭都市となっていた。

 やがて近づいて馬車を停めた私たちを、フェルバラックの分厚い正装のコートを纏った騎士たちが出迎えてくれた。


「遠路はるばるよくお越しくださいました!」


 御者台から降りるのに手を差し出してくれた騎士にお礼を言う。


「この橋を渡るのは大変だったでしょう? ……あれ!」


 迎えに来てくれた他の騎士たちは聖女様を出迎えようと扉付近に整列しているというのに、手を差し出してくれた騎士はそんな様子には構わずに、思わずといったように馬車を指している。


「この構築文……なるほど、あなた方はこの構築文を使って寒さ対策を施したんですね〜、なるほどなるほど……」


 馬車から聖女様が降りてきた。他の騎士は皆そちらに向かって敬礼している。

 この人だけは随分と熱心に馬車に施した魔術の跡を見て、また変わった人だと思った。


「ああ、すみません! なにせこの島から出たことがないので、本土のブライドンの魔術師の方がいらっしゃると聞いて、いてもたってもいられなくて……!」


「リザベルと申します!」と快活に笑ったその騎士は、手を差し出してきた。


「ソフィアです。よろしくお願いします」


 くしゃりと目を細めて笑った様子は愛嬌があり、可愛らしい印象を受ける。リザベルは馬車に施した構築文についていくつか質問をしてきた。それに答えているうちに、聖女様たちもどうやらこの国の騎士団長と挨拶を交わし終えたころのようだった。


「お時間があればまた魔術の話を聞かせてもらえたら嬉しいです!」


 リザベルは少し浮かれたようにそう言うと、向こうの騎士団長に呼ばれて「では!」と駆けていった。


「ソフィ、行ける?」


 聖女様たちは再び馬車へと乗り込んでいて、オーウェンがセヴランさんに代わって出てきていた。


「ええ、はい」


 厳しい寒さの中、聖女様の到着に早くも気づいた群衆たちが集まり始めている。今回は聖女様の体調を考慮してこのままこの馬車で行かせてもらうことにしたが、ということはオーウェンと二人馬車を操りながら、私たちがこの群衆の対応もしていかなければならない。


「行こうか、ソフィ」


 私がそういった対応が苦手なことを知っているオーウェンは、気遣うような顔をしている。……気は重いがやらなければならないことには変わりない。


「ええ」


 両側を重々しいフェルバラックの騎士たちに囲まれながら、私は引きつった笑顔を浮かべた。










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