アルル・リリヤ Ⅲ
漆黒の瞳を見知った感情に渦巻かせながら、オズワルドは私に囁くように問い詰めてきた。
「あなたは黒の一族のことをどこまで知っている?」
戸惑いながら、首を振る。残念ながら私の知っていることはごく限定的なことだった。
「いえ……私が知っていることはとても少ないので、教えられることなどたぶんなにも。昔、黒の一族が白の一族の青年に追われていたということと、彼らが故郷を追われてきたということだけ。あとアルムフーサでの黒い旅人という逸話ですね」
さすがに隣国の逸話だ。オズワルドが知らないということはないだろう。現にオズワルドは私の返事にため息をついた。
幼少期に実の両親を亡くした私は、自分のことについて知っていることなんてほとんどないに等しかった。エスパルディアでは黒の一族なんて聞いたこともなかったし、淡い色彩の人種が多い中、陰気な色を纏った私は少々異端で、それも皆に遠巻きにされていた原因の一つだったのだろう。
窓の外からは暖かな光がステンドグラスを通して届いてくる。そんな中、私たちの周りだけがどこか冷たい風が吹き抜けているようだった。
「それ……エルオーラ手記か?」
「あ、はい。リンリールさんが読んだほうがいいって渡してくれて」
リンリールと言われてピンとこなかったみたいで、リンランディアと言い直したらオズワルドに伝わったようだった。
「その本にも書いてあるが……昔の昔、追われていた黒の一族の一部はこの国に逃げ込み、魔術を提供する代わりにこの国に匿ってくれと当時の女王に願い出たそうだ」
オズワルドの低い声はその話し方も相俟って聞き取りにくい。そろりと耳を傾けた私に、オズワルドは体をこっちに向けてくる。
「だが黒の一族を追って訪れた白の一族の青年があまりにも美しく純真な姿だったため、当時の女王は黒の一族を偽りを述べる悪だと断定し、黒の一族を白の一族の青年へと突き出した」
「それで、どうなったんですか」
オズワルドは視線をエルオーラ手記に遣った。
「白の一族の青年は乞う黒の一族に温情を与えた。決して悪さをしないと約束ができた者だけこの地に置いていき、悪の心が消えない者だけを連れ去って姿を消した、と。」
「ということは、あなたは……」
「そのときの末裔だと言われている」
オズワルドの視線がエルオーラ手記の辺りを彷徨い、それから私に向けられた。
「フォンテイン殿などのこの国の一部の上層部は、外から来た黒の一族に厳しい。果たしてあなたが善き黒の一族かどうか、見定めているはずだ」
ようやくフォンテインさんの視線の意味がわかった。つまり、私は見定められているということだ。
「……あなたのご両親は?」
もしもオズワルドの他にも黒の一族がいるのなら会ってみたいと思ったが、オズワルドは静かに首を振った。
「生憎。幼少期のころに何者かに殺された。今はこの国には黒の一族は俺しかいない」
「私も、私も幼少期に両親を殺されました」
オズワルドは私を見つめたまま、視線を固定させた。奇妙な沈黙が二人を包み込む。
こんな偶然ってあるだろうか。
同じ黒の一族が、同じ幼少期に、同じく両親を殺された。
「どういうことだ?」
「互いの状況を確認しましょう。といっても、私は当時のことをほとんど覚えていなくて……」
考えるだけで真っ赤な炎がフラッシュバックしそうになって、思わずこめかみに手を遣る。大丈夫かと気遣わしげに伸ばされた手に首を振って、話し出す。
「……私が小さいころ、両親はエスパルディアに住んでいました。最初から住んでいたわけではなくて、どこかから移り住んできたみたいです。商売を営んでいてそこそこ裕福な家庭だったと聞いています。私が六歳のころ、両親は殺されました。家は燃え尽きて両親は原型も留めずに燃えていたそうです。私が覚えているのは……」
燃え盛る炎。あのとき両親はすでに殺されたあとだった。
両親の次は自分も殺されると思っていた。自分も恐怖に泣き叫びながらあの鋭いものでずたずたに引き裂かれるのだと、それで……。
――伸ばされた、白くて大きな手。
覚えてもない記憶までもが飛び出てきそうになって、思わず手で口を抑える。
「もういい」
様子のおかしい私に、オズワルドは案じる様子で止めてくれた。
「すみません、その、まだ思い出せなくて……」
「いや、辛い記憶を掘り起こさせてしまってすまなかった」
オズワルドは長いまつ毛を伏せ、憂いたように眉を寄せる。
「俺も幼少期のころのことだからあまり詳しいことは覚えていないんだが……犯人は両親をメッタ刺しに刺していた、そのことだけ。そして血だらけの両親を抱え込むと、立ち竦む私の耳元になにかを囁いて去っていってしまった」
遺体は持ち去られて残らなかったと、そうぽつりと呟くオズワルドに思わず手を伸ばしていた。
しばらく話す気にもならず、既にこの世にいない互いの両親への哀悼を捧げる。
この奇妙な共通点が偶然の産物だとは、とてもじゃないが思えなかった。
書架室を去る段になって、手元にあるエルオーラ手記集をどうしようか迷っていると、オズワルドに声をかけられた。
「それ、リンランディア様に渡されたのか」
「はい、あげるって言われたんですけど、それはさすがにと思って……」
「あの人がそう言ったのなら大丈夫だろう」
オズワルドはわずかに微笑んだ。
「あの人がそうしたほうがいいと思うのなら、きっとそれは必要なことなんだと思う。遠慮なくもらっておくといい 。俺も以前リンランディア様のご好意で、その本には目を通したことがある」
「あの、その……あなたがそこまで信頼を寄せているリンランディア様って、どういう人なんですか」
「……知り合いじゃないのか?」
「亡くなった母の知り合いだとは。ですが私個人はあまり……」
旅の途中で知り合っただけで、親しそうに振る舞うのも向こうからの一方的なものだ。
「あの人は昔から黒の一族が好きだからな。きっとあなたにも一方的に話しかけてきたに違いない」
オズワルドはほのかな笑みを浮かべていた。
「俺の両親が亡くなったときも、誰よりもその死を悲しんでくれて、残された俺を支えてくれたのはあの人だった」
リンリールさんの意外な一面を知って、不思議な気持ちになる。たしかに母が亡くなったと聞いたときもものすごくショックを受けていたみたいだったし、私が思っているよりも母とは親密な関係にあったのかもしれない。
「あの人は昔からこの国の王族に仕える家系の出身で、いわば……祈祷師のような方だ。リンランディア様の魔術は少し変わっていて、俺たち一般の魔術師には真似できないような魔術を使う。天候を読んだり、時には変えたり、森の恵みについて予言めいた力で先を読み、不作の年には祈祷を行い実りをもたらす。この国に発展に最も寄与してきたお方だ」
リンリールさんについて話すときのオズワルドは、どこか嬉しそうだった。
「その一方でリンランディア様はこの世界のあらゆる事象にも興味を持ち、歴史研究家でもある。その興味の一つが黒の一族の軌跡、というわけだが……。とにかくあの人がいるお陰で俺は両親がいなくてもここまでやってくることができたんだ」
オズワルドはどうやらリンリールさんに尊敬の念を抱いているみたいだった。
「すみません、そろそろいかないと……。書架室の鍵は?」
「ここはいつでも開かれている。あなたも来たいときに自由に来るといい」
書架室から出て扉を閉めていると、向こうから聖女様たちが歩いてくるのが見えてきた。
「ソフィ、ここにいたの」
ほんわりと微笑んだ聖女様に、オズワルドが礼をする。
「ええ、オズワルドから少し黒の一族についての話を聞いていました」
「そう……」
聖女様は長い睫毛を伏せて俯いた。
「そういえば、ルナ、あなたも黒の一族についてご存知なんですよね」
「どうしてそれを?」
聖女様は零れ落ちそうに大きな目を見開いて、私を見上げてきた。
「ご存知なんですね?」
「……うん」
「知っていることを聞かせてもらえませんか」
しばらくの沈黙のあと、聖女様はどこか強張ったようにぎこちなく微笑んで「いいよ。わかった。話そうか」と呟いた。
「オズワルドも聞きますよね」
「ぜひ聞かせてほしい」
自分のルーツを探している森の剣士を誘えば、彼は二つ返事で力強く頷き返す。
「……」
珍しく黙りこくったまま、ライルはなにも言わなかった。ライルはしばらく身長の高いオズワルドを見上げていたが、そのまま私たちに背を向けた。




