中等部三年・Ⅳ
それからみんな、それぞれ立ち読みに没頭してしまい、気づいたら結構な時間を古書堂の中で過ごしてしまっていた。
喉の乾きに顔を上げると、同じように首を回していたルイと目が合う。それが合図だったかのように誰からともなく古書堂を出ると、カフェテリアで一休みすることになった。
「結局古書堂で時間潰しちゃったね」
「街の散策はまた今度だな」
お互いに苦笑しあいながら、目についたカフェテリアへと入る。
店の奥のモザイクガラスのパーティションで仕切られたテーブル席に案内されると、ライルはさっさと全員分の注文を済ませて、さっそく魔術書について楽しげに語り始めた。
ライルはブライドンに来るときに、いくつか魔術書を持参してきたそうだ。だが、アディンソン家の邸宅には、まだまだ貴重な魔術書がおいてあるらしい。
「今度の休暇でエスパルディアに戻った折には、ぜひアディンソン家に寄ってくれ。自慢の魔術書の数々をお見せしよう」
「……そうですね。機会があれば、ぜひ」
「そうだ。いっそ我が家の馬車で一緒に帰るか。そうすれば、そのまま帰りに寄ってもらえるな」
楽しそうなライルには申し訳ないが、その親切心をこんなところで発揮してほしくなかった。
「そこまでしてもらわなくても、結構ですよ」
「どうして? 君は帰省の費用が浮くし、私も話し相手ができる。お互いさまじゃないか」
意外と食い下がってくるライルに当惑しつつも首を振ると、ムッとさせてしまったのか、ライルの機嫌が少し悪くなってしまった。
本当は言いたくなかったけど……。
眉根を寄せたライルはこのままだと納得してくれなさそうで、仕方なく事情を口にする。
「……あの、私、実は帰省しないんです。エスパルディアには戻らないので……ごめんなさい」
ライルは不意を突かれたように少し黙り込んだあと、小さく「なぜ」と聞いてきた。
「……それはまぁ、ちょっと。色々と事情がありまして」
主に心情的な事情だけど。
ライルは眉を上げ、厳しい表情になる。
「しかし、三日間は必ず帰省しないといけない規則だろう。そのあいだ、ソフィは一体どこにいる?」
なんとなく、ライルには言ってはまずい気がする。
そう思ってルイのほうを見ると、ルイもそう思ったのか、ばつの悪そうな顔をしていた。そんな挙動不審気味な私たちにピンときたのか、ライルはますます厳しい顔になった。
「まさかとは思うが……ルイの家へ?」
否定も肯定もしない私たちに、ライルから思いっきりため息をつかれる。
「未婚の男性の家に押し掛けるなど……」
「家業のお手伝いをさせてもらってるだけです。疾しいことなんてありません」
ルイとは誓って、なにもない。
この可愛い少年は、笑えるほど純粋に私に友情を感じてくれているのだ。
「しかし、ランドルフ騎士団長がそんなことを許すとは思えない」
「……」
「育ての親だろう。休暇のあいだくらい、顔を見せたらどうだ」
「仰る通りです……」
「君の行動は、少しばかり不義理じゃないか。なんの理由があってそんなことをしているのかは知らないが、よほどのことがない限りは、きちんと戻って然るべき挨拶を済ませるべきだ」
正論すぎるライルに、なにも言い返せない。
いっそすべてをぶちまけて泣きついて、助けを求めたい衝動に駆られる。……将来自分を陥れるだろう人物に縋って、どうする。
「馬車代が心配なのか? なら遠慮なく同乗するといい。そのかわり、次の休暇ではきちんと帰省して、ちゃんと不義理を詫びるように」
ライルに懇々と諭されて、結局私が折れる羽目になった。
三年の後期休暇、ライルの宣言どおり、馬車に乗せてもらってエスパルディアに帰省する。
家の前で降ろしてもらって、ライルと挨拶を交わしていると、気づいたオフィーリアが顔を見せた。
「ソフィ、おかえりなさい。無事に帰ってきてくれて嬉しいわ。あら、こちらは……」
「ご無沙汰しています、ランドルフ団長夫人」
「あらあら、アディンソン様。ソフィを送っていただいてありがとうございました。ちょうど今、お茶にしようと思ってましたのよ。よかったらご一緒に」
おっとりと微笑むオフィーリアに、ライルは暫し逡巡したあと、微かに頷いた。
ライルを応接間につれていくと、オフィーリアがすぐにお茶を用意してくれた。
「アディンソン様、ソフィの学院での様子はどうですか? 教えていただけると嬉しいわ」
「それは勿論。ソフィはですね……」
なにやらオフィーリアが楽しげに、学院での私の様子をライルから聞き出している。
それをこそばゆい思いで聞いてきたが、一つ気になることがあった。
帰ってきたときからなんとなく違和感を感じていたが、やけに屋敷内が静かだ。
暫くオフィーリアはライルと談笑していたが、ひととおり話題も落ち着くと、ライルは帰ろうと立ち上がった。
「これからもソフィと仲良くしてくださいね」
「ええ。こちらこそ、ソフィアさんとは末永く付き合っていきたいと思っています」
玄関先で優雅なお辞儀を披露すると、ライルは「また伺います」と颯爽と馬車に乗り込んで去っていった。
「お綺麗なお友だちね」と、オフィーリアはそれをニコニコしながら見送っている。
「オフィーリア、あの……オーウェンは」
「ああ、ソフィ。みんな帰りを楽しみにしていたんだけど、今はお仕事が忙しいみたいで、帰ってこれないそうなの。ごめんなさいね」
困ったように溜息をつくオフィーリアに、ホッとしたような、寂しいような変な気持ちになる。
オーウェンも十六歳となり、見習い騎士として騎士宿舎へと移っていったという。
「今はお城で大事な話し合いが行われているみたいで、警備を強化しないといけないんですって。それでネイサンったら、十日も帰ってきてないのよ。サイラスとオーウェンもなの。ソフィが帰ってくるって一応連絡は送ったのだけれど、厳しいみたい」
この広い邸宅で、一人待つオフィーリアはさぞかし心細かっただろう。
ライルの言うとおり、帰省してよかったと心から思う。
「気にしないでください、オフィーリア。みんな頑張っているから、私も我儘は言えませんね。それに私よりも、一人家を守っているオフィーリアのほうが心配です」
「まぁ、ソフィったら」
細く柔い手が、ふわふわと頭を撫でてくれる。
「心配してくれるなんて、優しい子ね。さあこっちへ来てちょうだいな。ソフィからも学院の話が聞きたいわ」
優しくオフィーリアに促されて、邸内へと入る。騒ぐ人のいない邸内は、随分とがらんどうに感じた。
オーウェンのいない家の中は、やけに静かでだだっ広くて、ここで一緒に育ったからこそ、余計に寂しさが募ってくる。
あちらこちらに眠っている、オーウェンとの思い出。
彼のいない今は、その思い出の残骸さえも私を苦しめる。
会わずに済んでよかったはずなのに、会いたくなかったはずなのに、あのはじけるような笑顔と私を呼ぶ声が聞こえないのが、想像以上に堪えている。
会いたい。声が聞きたい。顔が見たい。
そんな気持ちを振り切るように、私は滞在中、オフィーリアに学院生活のことをたくさん話して聞かせた。
講義のこと。
ルイのこと。
特待生仲間のこと。
そして、ライルのこと。
楽しそうに聞いてくれるオフィーリアはとても聞き上手で、ついついペラペラと喋り過ぎてしまう。
学院での話が終わると、今度はオフィーリアが近況を教えてくれた。
オーウェンが宿舎に移ってしまったため、今はサイラスが屋敷の様子を見に、頻繁に帰ってきているという。
「そうそう、サイラスったらね、今度婚約するのよ。お相手は、前から仲の良かったオルブライト家のエリザちゃん。いつの間にって聞いたらね……」
オフィーリアは場を和ませようとするかのように、サイラスの馴れ初めについてニコニコと話してくれた。
……オルブライト家のエリザ。その名前に聞き覚えがあった。
物語が始まったとき、サイラスは既に結婚していた。妻はオルブライト家のエリザ。
二人は仲睦まじく、奥方は二人目を妊娠中。
そんなサイラスの代わりに、オーウェンが聖女の護衛へと名乗りを上げ、見事選ばれるのだ。
―――物語の通りに現実が進んでいる。
その事実にゾッとした。私の思い込みや妄想なんかじゃなく、正に現実となっている。
……私は運命に抗えているのか?
オーウェンへの想いは断ち切れているのか?
自問自答しても、まだ答えは出せない。
そんな自分の有り様に心細くなって、オフィーリアへと擦り寄る。
オフィーリアはなにを聞くでもなく、その華奢な腕で私を囲うように抱きしめてくれた。




