第三十話 伯爵邸の襲撃⑤
「一応名乗っておこうかな? ワシが、『笛吹き悪魔』の八賢者が一人、マンジーである。領主殿、冒険者諸君よ、このワシを殺せば、此度の騒動は止まるぞよ。この都市を覆う全てのアンデッドを動かしているのは、このワシが源流であるのでな。もっとも、それができればの話なのだが」
ユノスを含めた五人のアンデッド兵を引き連れた、奇怪な老人マンジーが、朗々と語る。
皺と染みに塗れた顔が異常な笑みを象る。
マンジーは、まるでこれからショーでも始めるかのような楽しげな調子であった。
執務室にいた『踊る剣』の冒険者達は、呆然と口を開けたまま、言葉を紡ぐことができない。
マンジーの周囲を守っているアンデッド兵の一人が、自分達の捜していたギルドマスター、ユノスであったためだ。
アンデッドと化したユノスに、生前のカリスマ性や凛々しさ、力強さは既にない。
その眼球は灰色の染みが生じて淀んでおり、口許からはだらしなく青白い舌が伸ばされ、背も大きく曲がっていた。
顔付きにも力がなく、生前のユノスと重ならない。
既に命が損なわれていると、ユノスの全身がそう主張していた。
「ユ、ユノス様……?」
ファンドを筆頭に、『踊る剣』の冒険者達は、ユノスの姿に絶望していた。
ロビンフッドは淡々と屍兵と化したユノスを睨み、その奥に立つマンジーへと視線を移す。
「都市全体のアンデッドの、一斉操作だと? そんな一人で戦争を起こせるような大魔術を、個人で行使できるわけがない」
ロビンフッドの言葉に、マンジーは重ねて楽しげに笑う。
「死紫水晶を部下共に持たせて拡散してはいるが、元はワシの力……ワシの魔導書、『ガイロフの書』の力ぞよ」
そう言って、己の力の源である、黒い魔導書を取り出して手に掲げる。
わざわざ敵の前に姿を現し名乗りを上げ、自身の最大の武器を晒す。
マンジーは、はっきりと都市バライラの冒険者達を格下に見て、遊んでいた。
「死霊魔術の媒介としてもこの上なく優秀な上に、四十二種の高位死霊魔術を略式で発動し、十三体の冥府の精霊の召喚権限を持つ。人類史上最悪と謳われた、ワシが敬愛する錬金術師ガイロフ様の生きた証である」
「ガ、ガイロフだと!? あのガイロフなのか!?」
ファンドが声を上げて驚く。
その様子に、マンジーが満足げに微笑む。
人類最悪の錬金術師ガイロフを知らない者は、レギオン王国において赤子くらいのものである。
ガイロフは、二百年前、今はなきアルグロウス王国の錬金術師であった。
アルグロウス王国は、二百年前の当時のウォーミリア大陸西部の八国において、平和主義を掲げていた唯一の国であった。
物資に乏しく戦時にも不慣れであった弱小国のアルグロウス王国は、八国統一戦争の激化に伴い、隣国であったヘイン王国に半ば取り込まれる形で同盟を結ぶことを決定した。
国民を無為に死なせないための判断であった。
しかし、当時王国錬金術師団の一人であったガイロフは、王族を操ってヘイン王国との同盟を最悪の形で裏切らせ、そのまま隣り合う国同士での争いを誘発。
更にはアルグロウス王国の圧倒的戦力不足を補うため、倫理上の問題で忌避されていた死霊魔術の開発を大きく押し進め、それによって格上の国相手に上手く立ち回っていた。
続く手柄によって自身の権力を増したガイロフは、王族全体の傀儡化を進めて政治に干渉、民の尊厳を無視した残酷な弾圧・搾取、心ない見せしめの処刑と拷問、病的なまでに徹底した監視・管理を行い、平和主義であったアルグルロウス王国を、ほぼたった一人で最悪の軍事王国へと変貌させた。
そして当のガイロフが戦死したことでそのすべてが総崩れとなり、内部での反乱が勃発。
結果としてアルグロウス王国は八国統一戦争において内外問わずにもっとも死者を出した王国となり、ガイロフが間接的に殺した人間の数は一千万人にも登るとされている。
そのガイロフが自身の武器として用いていたのが、黒い魔導書だとされている。
マンジーの手にしているガイロフの書が本物だとすれば、マンジーが単独で都市一つの規模でアンデッドを操作していると言い張っていることも、何ら疑問ではなかった。
すぐさまロビンフッドがマンジーへと矢を放つ。
三連に放たれた矢は、綺麗に五体のアンデッドの合間を潜り抜けて、マンジー本体を狙う。
マンジーの歪な頭部へと当たる前に、唐突に現れた首から上のない双剣の鎧剣士が右の手に握る剣を振るい、一振りで三つの矢をすべて叩き折った。
古めかしい黒い鎧に身を包むのは、冥府の精霊デュラハンである。
精霊は異界の生命であり、魔術師は異界との交信を行って契約を結ぶことで、特定の条件下で精霊を召喚し、使役することができる。
今回の場合は、ガイロフが魔導書を媒介に結んだ精霊との契約を、マンジーが魔導書を用いることで引き継いでいる形になっている。
剣を振り終えたデュラハンの姿が、黒い霞となって消える。
異界に帰ったわけではない。姿を消して身を潜め、召喚主であるマンジーの身を守っているのだ。
「ヨホホホホ……そう焦らなくとも、相手をしてやろうではないか。このワシが手を下すほどの価値があるかどうかはわからぬがな」
マンジーの言葉と共に、五体のアンデッド兵が動き出す。
先頭に立つ淀んだユノスの黒目がぐりんと動き、左右で別の方へと不規則に向く。
「わわ、私ハ、私は死なナいィイ! すべテを手に入れル! 私は、私はァ、アァ、アアアアアッ!」
ユノスが天井へ剣を掲げ、極端な猫背のまま、ロビンフッドへと突進する。
アンデッドの形態により、死体に残留している本人のマナの量や意志の強さによっては、アンデッドに自我が残る場合がある。
ユノスは完全に自我が残っていたわけではなかったが、生前の妄執が、歪に形を変えて残っていた。
「ロビンフッド、貴様は死ネ、死ネ、死ネェェェッ!」
「とっくに死んでるのは、お前の方なんだよ!」
ロビンフッドの放った矢が、ユノスの顔面に突き立てられる。
ユノスは矢の衝撃で首が大きく揺らぎ、許容可動範囲を超えた首の骨から不吉な音を漏らす。
しかし、ユノスの足は止まらない。
首を捻じ曲げたままでロビンフッドへの距離を詰め、大振りに剣を振るう。
生前のユノスよりも大雑把な動きだが、とにかく速い。剣の速度は生前を明らかに上回っていた。
「死ネ、死ネ、死ネ!」
ロビンフッドは横に振られた刃を屈んで回避し、続く縦斬りを左に避けて回避。
三打目のユノスの攻撃を、懐に隠していたナイフを取り出して受け流す。
続けて放たれた突き技を、剣の切っ先にナイフの切っ先をぶつけて弾き、相殺させる。
(駄目だ。この間合いだと、防ぐのが、限界……)
「風ヨ、我を運べ」
ユノスが口にした途端、剣先に魔法陣が浮かぶ。
室内であるというのにも拘らず、唐突に風が吹き荒れた。
ユノスが風に乗り、体勢が崩れたままのロビンフッドへと襲い掛かる。
動きの精妙さはないが、勢いと速度があった。




