第十五話 領主モンド伯爵⑦
ランベールが客室を去り、使用人が見送りのために後を追いかけてから、騒動は見かけだけとはいえ、一応の収まりを見せていた。
泡を吹いて倒れたままの私兵団長グラスコが部屋から運び出されて以来やや沈黙が続いていたものの、何事もなかったかのようにユノスが仕切り直し、モンド伯爵へと館に招かれたことに対する礼を述べて、ファンドへとユニコーン討伐における詳しい経緯をモンド伯爵へと話すように促したのだ。
しかしモンド伯爵は、ユニコーン討伐の話は上の空であった。
先ほどランベールに言われた、『笛吹き悪魔』への対策について考えていたのである。
反国家魔術組織『笛吹き悪魔』は、規模も実態もほとんど明らかになっていない。
レギオス王国では時折、子供の集団誘拐であったり、村一つ消えたといった怪事件が発生する。
犯人も動機も分からず仕舞いではあるが、高度な魔術を用いた痕跡が後で発見されることがある。
そういった事件のほぼすべては『笛吹き悪魔』が関与していると噂されている。
『笛吹き悪魔』の名が広まり始めたのはここ二十年ほどなのだが、何度も名を変えて存続し続けているのではないか、といった説が根強い。
時折関係者が捕らえられ、そこから『笛吹き悪魔』の一端が明るみに出ることもあるが、ただの下っ端で上のことを何も知らされていないケースも多い。
ランベールに館を荒らされ、悪事が明るみに出ることになった『笛吹き悪魔』の出資者であったオーボック伯爵も、獄中で早々に不審死させられていた。
表向きには死因は伏せられているが、看守が見回りに向かったとき、ただ一夜にしてオーボック伯爵は腐乱死体へと姿を変えており、おぞましいことに、その死体が腐った血肉を垂らしながら鉄格子を掴み、奇声を上げて泣き喚いていたのだという。
明らかに、死操術の類であった。
モンド伯爵は、王都の使者よりオーボック伯爵の死に様について聞かされていた。
最初に知ったときには、恐怖したものである。
しかし、モンド伯爵の住まう都市バライラは、冒険者の都である。
万が一、『笛吹き悪魔』が攻めて来ようと、対応できるはずだ。
そう考えていたのだが、ランベールから冒険者が防衛力として不向きであるという指摘を受け、その考えもやや揺らぎ始めていた。
「そこでもう駄目かと諦めかけたそのとき、あの鎧の男が現れたんだ。士気を上げていた『殺戮曲馬団』の連中をあっという間に斬り伏せたのです! あのロビンフッドの顔が一変したのを覚えていますよ。あの剣は……とんでもなく速くて、それでいて恐ろしく力強くて……!」
ファンドは熱を込めてランベールの雄姿を語っていたのだが、ユノスがファンドへ手のひらを向けて、話を遮った。
ファンドは不思議そうにユノスへ目を向けながらも、話を止めた。
そして依然考え込んだままのモンド伯爵へと声を掛ける。
「伯爵様。先ほど……あのランベールと名乗る鎧の男に言われたことが、引っ掛かっておいででしょうか? 冒険者は責任感に欠けるため、最悪の事態への抑止力とはなり得ない、と」
「…………」
「しかし、それは誤りです。少なくとも、都市バライラの危機に逃げ惑うような愚か者は、この『踊る剣』の中には居ません。もしも『笛吹き悪魔』が攻めて来たときには、我々が率先して打ち払って見せましょう。それに伯爵様は、素晴らしい私兵団をお持ちではないですか。何も思い悩むことはありません」
ランベールはグラスコ一派の私兵団を無い方がマシと評したが、それはランベールだからこそ言えることである。
確かに私兵団は武力で今の地位へ上がったというよりも、家柄によって仕事を回してもらったといった方が近い。
実力では剣と器量でのし上がってきた、ユノスの様な一流冒険者には遠く及ばない。
しかし血の気が多く、嫉妬深い陰湿な連中の多い私兵団ではあるが、日々の鍛錬を怠っているわけではなく、家柄上幼少から剣術を叩き込まれていたものが大半であるため、都市バライラに溢れる三流冒険者達に比べれば遥かに腕が立つ。
忠誠心も皆無というわけではないのだ。
「そっ、そうです! そうです! あの様な輩の言うことを、気にする道理などありません! もっと我々を信頼してください!」
客室に同席していた私兵団の面子が、ここぞとばかりにユノスに同調する。
本来ならばここにグラスコも加わっていたはずなのだが、今はまだランベールに殺されかけた恐怖で寝込んでいた。
私兵団の多くは、『踊る剣』に自分達の領分を侵しに来た敵だという印象を持っていたが、真っ向から私兵団の存在を否定したランベールという第三者の出現に意識が向いており、更にそこへ予想外にも『踊る剣』のギルドマスターからのフォローがあったため、すっかり『踊る剣』への敵対意識も薄れていた。
(どうせ放っておいても自滅する連中だ。わざわざ貶して下げさせる意味はない。私の障害にはなりえないだろう)
もっとも、ユノスは心中でそんなふうに考えていた。
無論、腹の中はおくびにも出さない。
私兵団の一人がユノスへと感謝の目を向けるのに、にっこりと笑顔を返していた。
「……それは、頼りがいのあることであるな。ただ、儂の悩みはそれだけではなくての。実はどこのギルドに依頼するか、悩んでいることがあった。今日主らを呼んだのも、その見極めを兼ねておったのだが……今のユノス殿の言葉を聞いて、やはり『踊る剣』に頼むことにしようと決めたわい。ファンド殿の話を止めてもらってる中、申し訳ない事ではあるのだが……話の流れで、先に聞いてもらっても構わぬかな『踊る剣』の冒険者達よ」
「ええ、勿論です。伯爵様の頼みを引き受けさせていただけるのならば光栄なことです。喜んでお聞きいたしましょう」
場に居合わせていた私兵団の連中は、モンド伯爵の言葉にやや眉を顰める。
自分達がいるのに、目前で冒険者へ仕事を回されるというのは、やはり屈辱なことであった。
しかし、この案件が自分達の身に余ることであることは、既に承知していた。
ユノスも、このタイミングでモンド伯爵から館へ招かれた時点で、こういった話があることはある程度予想していたし、その内容にもある程度見当はついていた。
「ロビンフッドが都市バライラに帰って来たということは……ほぼ間違いなく、儂の首が目的であろう。奴の性格から考えて、近い内にこの館へ襲撃を掛けて来るだろう。主らには、しばらくこの館に留まり……私兵団の警備に、手を貸していただきたい」
都市バライラ最強の冒険者、ロビンフッド。
彼は以前、都市バライラの小さな冒険者ギルドのギルドマスターであった。
小規模ながらに精鋭揃いであったが、『迷い人の大森林』にオーガキングが出没した際に、モンド伯爵からの森への進入禁止のお触れを無視して討伐に向かった。
オーガとは、二本の角を持つ、人に近い姿を持つ魔物である。
オーガは群れることがなく、別の個体とあったときには相手を自身の縄張りから追い出そうと襲い掛かり、時には殺すこともある。
オーガは同種を殺した際には、角に魔力が溜まり、赤い体にやや青みが掛かる。
それによって、オーガは自身よりも格上のオーガを見分けることができ、縄張りを譲ることもあれば、相手に服従することもある。
オーガキングとは、夥しい数の仲間を喰らい、身体が真っ青になった個体を示す。
通常のオーガとは比にならない膂力を有す。
また、数多くのオーガを引き連れていることが多い。
オーガキングの最も恐ろしいところは、常ならば戦闘本能のままに殺戮を繰り返すだけのオーガが、オーガキングに従属した途端に狂暴性が薄れ、知性が増すところである。
おまけに主たるオーガキングが青ければ青いほど忠誠心が高い。
下手にオーガキングを殺せば、森を出て集団で街へと襲撃を掛けることも考えられるのだ。
ロビンフッドはモンド伯爵のお触れを無視してギルドの冒険者を率いて、オーガキング諸共配下のオーガを仕留めに向かった。
それまで無茶と無謀、我が儘を実力で通して実績を得ており、本人達もすっかりと天狗になっていたのだ。
それが叶っていれば、或いは彼も英雄でいられたのかもしれない。
だが結果はオーガキングを瀕死まで追い込んでから討ち漏らし、オーガを処理しきれずに逃走、結果としてオーガの群れが都市バライラへと雪崩れ込み、死傷者を多く出した。
モンド伯爵の妻も、その際の避難の騒ぎの中で行方知らずとなり、後に惨死体となって発見された。
ロビンフッドのギルドの冒険者は全員処刑となったが、ロビンフッド本人は看守を誑かして逃走し、以来しばらく姿を晦ませていた。
そんな彼が、この都市バライラへと舞い戻ってきたのだ。
かつて部下達を処刑された逆恨みを晴らすため、というのは、簡単に予想できることであった。
(ロビンフッド……か……)
ユノスは都市バライラの現在の冒険者の中で最強候補の一角であったが、真っ当な戦いでは、まずロビンフッドには勝てないだろうと踏んでいた。
しかし、策を練る余地はある。一対一で戦うわけでもない。
それにユニコーンの角に続いてこの依頼を達成すれば、『踊る剣』に対するモンド伯爵の信頼は確固たるものになる。
「我々に命じていただいたこと、名誉に思います。それに……先日のロビンフッドの横槍によって、『踊る剣』の冒険者から死者が出ております。この戦いは、私にとっても弔い合戦。喜んで引き受けましょう」




