第六話 パーシリス伯爵領への来訪⑤
パーシリス伯爵の私兵達に連れられ、ランベールは伯爵邸へと到着した。
赤茶色壁の、深緑の尖った屋根のある館であった。
屋根の一番上では、控えめなデザインの風見鶏が風に揺られていた。
他の貴族の館と比べれば大きく派手なわけではなかったが、所有者の品の良さが窺える。
「……聞いていた人柄の印象通りだな」
ランベールは館を見て、そう評した。
パーシリス伯爵があまり豪華なものは好まない性分らしいということは、領民達の話の中でも出ていたことだったのだ。
パーシリス伯爵は領内にできてしまった無法地帯の暗黒街に対して対策を取れずにいたり、実子がいないまま跡継ぎにできない養子を取ってしまったりと、貴族としてあまり優秀ではなく、またその責務を果たす事にあまり熱心でないことが窺えていた。
元々、貴族気質の人間ではなかったのかもしれないと、ランベールは本人に会う前から既にそう結論付けつつあった。
「シャルル様! お願いですから、不用意に街を出歩くようなことはおやめになってください! パーシリス伯爵様も、本当に心配しておられるのですよ!」
「だってパパ頼りないじゃない! だからアタシが暗黒街の王の『首無しの魔女』をとっ捕まえて、この地を平和にしてやるんだもん!」
……塀の門を潜って庭園に入ってからも、シャルルは私兵と言い争いを続けていた。
「本当に、あそこへ行こうとするのはもうお止めください! 以前、貴女が暗黒街にいたとわかったとき、伯爵様はショックで寝込んでしまわれたのですよ!」
私兵の言葉を聞いて、ランベールの頭にふと過ぎった言葉があった。
私兵がシャルルを捜索していた際、気になることを口にしていたのだ。
『また暗黒街まで行くつもりかもしれぬぞ! 早く見つけて連れ戻さねば……!』
どうやら、シャルルは以前、養父であるパーシリス伯爵の目を盗み、暗黒街ドレッダへと向かったことがあったらしい。
ランベールは呆れ、頭を小さく振った。
シャルルのような幼い少女がレギオス王国随一の無法地帯と称される地へと向かい、よくぞ無事で済んだものだ。
しかし、シャルルはチンピラ相手にも異常に強気に接していた。
本人が口にしていた様に、もしかしたら護身の剣術はしっかりと身に着けているのかもしれない。
「……どちらにせよ、とんだお転婆娘であるな」
ランベールは私兵と口論するシャルルを眺めながら、そう口にしていた。
それを聞いた私兵の一人が苦笑する。
褒められたと勘違いしたのか、シャルルはランベールの方を向いて笑みを浮かべ、大きく手を振った。
館の扉まで来たところで、一人の鎧を纏った老人が近づいて来た。
白髪と白髭、顔に刻まれた深い皺が彼の年齢を示していたが、顔つきは精悍であった。
背筋も真っ直ぐに伸びており、それが彼の長身を印象付けさせている。
「シャルル様が見つかったか。今代の伯爵様は、前代にも増して甘すぎる」
老人が苦々し気に口にし、シャルルを睨んだ。
「は、はい、トロイニア様……!」
私兵達が彼にぺこぺこと頭を下げていた。
シャルルが私兵達の様子を見てにまっと笑い、ランベールの近くへと駆けて来た。
「この人が、アタシの剣の師匠なの。すっごく強いんだから! アタシの見立てだと、悪いけど師匠の方がランベールより剣技じゃ上ね!」
ランベールはトロイニアへと目を向ける。
恐らく彼は、前代から仕えていた老私兵らしい。
私兵長……というよりは、この敬われ方だと、顧問の位置にいるのかもしれない。
ランベールは別にシャルルの前で本気で戦ったところどころか剣を使ったところさえ見せてはなかったのだが、特に追及しないでおくことにした。
「そうか、そうかもしれんな」
小さく頷いて見せると、シャルルが得意気な笑みを浮かべる。
「ね、ね! ランベールも師匠に弟子入りしなって! フフー! そしたらアタシ姉弟子だからね!」
「それは遠慮しておこう」
「えー! なんでよぉー!」
シャルルがポカポカとランベールの鎧を軽く叩く。
そこへトロイニアが歩み寄って来た。
「して……そこのデカブツはなんだ?」
トロイニアは剣呑な目付きでランベールを睨んだ。
老人は明らかにランベールを警戒しているようだった。
大剣の間合いのすぐ外側で足を止め、それ以上は近づいてこなかった。
「トロイニア様! このお方は、シャルル様を暴漢から救ってくださいまして……」
「そんなことを聞いているのではない。なぜ、このような怪しげな男に伯爵邸の塀を越えさせたのかと、そう聞いているのだが?」
「そ、それは……」
私兵が口篭る。
トロイニアは私兵を無視し、ランベールへと再び鋭利な目を向けた。
「常ならばパーシリス伯爵様より直接礼を口にするのが道理だろうが……主は、暗黒街の連中からも命を狙われている身なのでな。不用意にお前のような不審な輩と会わせるわけにはいかない」
トロイニアは最初から敵意剥き出しであった。
シャルルもトロイニアとランベールの顔を交互に見て、張り詰めた空気に狼狽えていた。
「あ、あの、師匠……そこまで言わなくても……」
「愚か者には、はっきりと言わねばわからぬでしょうよ。シャルル様、私は貴女にも、もう少しわかりやすいように言わねばならないらしいと思っていたところですよ」
「えっ……」
「火遊びはほどほどにせねば、いずれ大怪我をすることになりますぞ。もっとも……跡継ぎにもならぬ貴女の身など、私にとっては本当はどうでもよいことでありますがね。伯爵様の手前気は遣っておりますが、あまり勝手をして私兵団の手を煩わせるようならば、見限るしかなくなりますな」
トロイニアが不快そうにそう口にする。
「ご、ごめんなさい、師匠……」
シャルルがしゅんと身を縮め、トロイニアへと頭を下げる。
トロイニアはシャルルの様子には興味がないらしく、ランベールの方を向いたままであった。
シャルルが自慢げに剣の師匠のことを話していたので両者の関係は良好なのだろうと、ランベールはそう推測していたのが、どうやら師であるトロイニアはシャルル自体を疎ましく考えているようであった。
剣の指南というのも、恐らくはパーシリス伯爵に言われて嫌々のことなのだろう。
「でも、その……ランベールは、パパに聞きたいことがあるらしくて、どうしても面会させてあげたいの」
「なりませんよ。先代も、現当主様の二人の兄も、毒と暗殺で命を落とされたのですよ。貴方は、伯爵様を死に追いやろうとしている。そのことに自覚はおありか?」
トロイニアはシャルルの顔を覗き込み、脅すようにそう言った。
シャルルは気圧されてしばらく黙っていたが、掠れ声で「ランベールはでも、そんな人じゃなくて……」と、途切れ途切れに口にする。
「実の父親ではないから、死んでもどうでもよいというですかな」
トロイニアが嫌味を吐いた。
それでまたシャルルは黙ってしまった。
すっかりと葬儀場の様に暗い雰囲気になっていた。
養子とは言えど、主の子供にここまで言える辺り、どうやらトロイニアはただの私兵の顧問というわけでもなさそうであった。
「ご足労いただき申し訳ないが、妙な偽名を称する剣士様にはお帰り願おうか」
トロイニアが、ついにランベールの大剣の間合いを越えた。
殺気が滲み出ていた。
トロイニアは、ランベールに不審な動きがあれば、即座に剣を抜いて戦闘態勢に入る心構えができているようであった。
「……もうよい、シャルル。元より、どうしても必要というわけではなかった」
「で、でも、ここまできてもらったのに……」
ランベールはシャルルの言葉に首を振った。
元々、パーシリス伯爵からあまり有益な情報を得られるとは考えていなかった。
できることならば話を聞いておきたかったが、できないのであればそれでもいい。
手掛かりは少ないが、直接暗黒街に向かい、当たりを引くまで暴れるだけである。
そのとき、館の方からどたどたと慌ただしい音が聞こえて来た。
「お、おおシャルルよ! 戻ったか!」
扉が勢いよく開き、壁に派手に打ち付ける。
貴族服を纏う、茶髪の気のよさそうな初老の男が立っていた。
くりくりとした丸い目は赤く充血していた。
慌ただしくシャルルへと駆け寄り、途中で石の段差に躓いてその場に転んだ。
慌てて私兵達が男を囲み、身体を支える。
「心配したのだぞ、シャルルよ……。頼むからもう、馬鹿な真似は止めておくれ……!」
小太りの男……パーシリス伯爵はおいおいと泣きながら、シャルルへとそう言った。
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