第十ニ話 聖都襲撃⑥
青年が右腕を前に突き出し、人差し指を伸ばす。
「もう少し溜めたかったが、その猶予はなさそうだな!」
伸ばした自身の人差し指をへし折り、そのまま躊躇いなく引き抜く。
血の流れる指の中から小さな虫が何匹も這い出て行き、それは指全体へと回り、血と肉を喰らい尽していく。
残った人差し指の骨は、関節で別れておらず真っ直ぐになっている上に細い穴が開いており、奇妙な形をしていた。
「行くぞ……」
青年が骨の穴に口を付け、息を吹き込む。
辺りに奇妙な甲高い音が響き渡った。
廃教会堂の窓、壁の罅、入口、奥の部屋から、『増魔蟲』がわらわらと現れる。
教会堂の周辺と第一世代の巣に残していた『増魔蟲』を、骨の笛によって一気に集めたようだった。
「ここからが本番だ!」
青年がランベールへと駆けて来る。
ランベールはフィリポの放つ槍を回避するために大回りで動きながらも、必ず彼を正面に捉えつつ、寄ってくる『増魔蟲』の脳を大剣で裂いていく。
大剣の間合いのすぐそこまで青年と接近した。
青年が口を開ける。
中からは人の腕程の太さのある緑色の百足が現れ、一直線にランベールへと放たれた。
ランベールは構えていた大剣を逸らして刃で受け止めて百足を斬る。
続けて大剣を周囲に振るい、四方から近づいてきていた『増魔蟲』をまとめて処分する。
青年が右腕をランベールへと振るう。
彼の間合いの外だったはずの腕が伸びた、のではなく、肘の部分が腐り落ちる様に黒くなって外れ、ランベール目掛けて飛来してきてた。
宙で右腕が膨張して黒ずみ、無数の穴が空く。
穴の中から、握り拳程の大きさを持つ、黒い蜂が五匹現れた。
ランベールは唐突に現れた五匹の蜂を、一直線に並んだ瞬間を見極め、一振りですべてを落とした。
青年が足を曲げ、ランベールへと左側から跳びかかろうとする。
「見事だが、隙を見せ……」
だがそこから表情を一変させ、左足を大きく前に突き出し、身体の軌道を左へと逸らした。
本当は跳びかかるつもりだったのだが、ランベールが大剣を既に構え直していたのを視界に捉え、今掛かるのは危険だと判断したのだ。
ランベールの大剣が青年の右腹へと突き刺さった。
そのまま刃は、彼の腹の肉を抉り抜けた。
血が溢れ、臓器が垂れる。
そして血に混じり、多種多様な虫が彼の身体から這い出ていた。
ランベールは続けて踏み込みながら、彼へと斬りかかる。
青年は寸前で背後に跳んで回避する。
ランベールは更なる追撃を仕掛けようとしたが、フィリポの光の槍がちょうど青年との間に突き刺さったため、諦めて背後へと跳んだ。
槍の消滅と同時に魔法陣と眩い光が辺りへ走り、範囲内の『増魔蟲』の動きが鈍くなり、動かなくなった。
「あら、残念です。お二人共纏めてお救い出来ると思ったので御座いますが……」
フィリポが慇懃に口にする。
「余計なことをしてくれる……」
ランベールが呟く。
後一歩踏み込むことができれば、青年の身体を両断することができるはずだったのだ。
青年はランベールから逃げる様に離れ、そのまま結界に守られているフィリポ達の方へと走る。
「チッ、仕方ねぇ、巣を放棄するにしても、一人くらいは落としとかねぇと面子が立たねぇな……」
裂けた腹からは相変わらず血が垂れ流されていたが、内部から溢れた虫が集まって傷を覆い尽していた。
まるで外傷など受けていないかの様な動きで真っ直ぐに走っている。
ランベールもすぐさま駆け出し、彼を追った。
青年の口調はまるで破れかぶれといった調子だが、しかしランベールは彼の言葉とは裏腹に不穏なものを感じていた。
結界のあるフィリポと交戦を続けていた以上、恐らく彼は彼女の結界を破る何らかの手立てを持っているはずなのだ。
如何に『増魔蟲』の巣を守るためとはいえ、攻略不可能な結界を張るフィリポ相手にいつまでも戦っていられるほど余裕がある様には見えなかった。
恐らく準備が必要だったと考えられる。
そして先程の骨笛による『増魔蟲』の召集である。
あれはランベールに対しては大きな意味を持たなかったが、元々彼を突破するためではなく、フィリポの結界を破るための手順であったとすれば、説明がつく。
仮に青年が『増魔蟲』を集めたのがフィリポの結界を破るためだったとすれば、地下に『増魔蟲』が溜まるのをもう少し待ちたかった、という青年の言葉とも繋がる。
元々ランベールは、さして強いわけでもない『増魔蟲』による聖都の混乱を『笛吹き悪魔』が計画に選んだ狙い自体、しっかりとは掴めずにいた。
確かに大きな混乱には繋がるが、標的であるはずの異端審問会に対して、あまりに『増魔蟲』は無力すぎるのだ。
男の妙に軽い態度にも、引っ掛かるものを覚えていた。
口数多くランベールへ意識を向けたことをアピールしたのも、行き当たりばったりでフィリポへと標的を移したようなことをわざわざ口にしたのも、本命を隠すためのブラフだったと考えられる。
ランベールは青年を追いかけるが、無数の『増魔蟲』に阻まれ、彼との距離を縮めることができなかった。
同じ条件ならば遥かにランベールの足が勝る。
しかし、青年の前の『増魔蟲』はさっと左右に分かれて開き、道を作っていくのだ。
「貴様、今死にたくなければ、結界を解いてとっとと逃げるがいい! ヒュード部族の手に掛かったものは、ロクな死に方ができないと思え!」
ランベールが声を張り上げてフィリポへと忠告する。
だが、フィリポはランベールの言葉に耳を傾ける素振りは見せなかった。
「ようやく私の元へと来てくださいましたね」
フィリポが杖を掲げる。
青年の駆ける前へと槍が突き刺さった。
「チッ!」
マナを乱す光が生じるが、彼はそのまま前へと突っ切った。
走る速度が大きく落ちている。
「フィリポのとっておきをお見せいたしましょう。光よ、壁となり、彼の者を包み込め!」
青年の足許に光の壁が生じ、大量の『増魔蟲』諸共、彼の身体が浮かび上がった。
青年の周囲の光が歪む。
巨大な光の壁で作った立方体内に閉じ込め、そのまま立方体を圧縮することで対象を圧殺する、フィリポの操る中でも最高位の結界魔法であった。
無数の『増魔蟲』がもがき、青年が内側から光の壁を蹴っている。
だが、まるでびくともしない。音さえも全く外へと伝わらない。
「そこから出た人は、今までに一人もいないのですよ。その結界はそのまま、子供一人分ほどの体積にまで押さえつけて、貴方が何かの要因で死ぬまでじっと見ていて差し上げますね。それが私から貴方へと捧げる、救済です」
フィリポがぺろりと舌舐めずりした。
光の箱が圧迫され、中の『増魔蟲』がどんどんと潰れていく。
壁に張り付いた『増魔蟲』の体液に塗れ、青年の姿もやがて見えなくなった。
「おや、これでは見届けることができませんね。困りました……」
唐突に、フィリポの結界を包み込む様に、直径十ヘイン(約十メートル)にもなる巨大な魔法陣が浮かび上がった。
魔法陣の模様に対応しているかのような位置に『増魔蟲』の死骸が並んでいた。
一つ模様においついていないところがあったが、ランベールは『増魔蟲』が『増魔蟲』の死骸を咥えて引き摺り、模様の上へと乗せるところを見た。
「餓壊暴蟲の餐!」
地下より、青年の声が響く。
魔法陣に乗った『増魔蟲』の死骸が黒い光に覆われて燃える。
「狙いは、最初から儀式か」
ランベールが呟き、青年がフィリポの魔術であるマナを乱す光を受けた位置を睨む。
地面にぽっかりと穴が空いていた。
青年は、槍の生み出す魔術の光に乗じて地下へ逃げ、何らかの手段で用意したダミーと入れ替わったのだ。
「な、何を……?」
フィリポは、戸惑った様に首を左右へと振っていた。
異界の住民である精霊には、好みの時刻、場所、状況、魔力場といったものがある。
高位の精霊程、我儘で条件を満たしにくい傾向が強い。
儀式とは、この条件に極力近しい状況を魔術干渉で強引に造り出し、精霊を招く行為のことである。
「我が声に応え、蟲界より来たれ、飢える破壊者アバドンよ!」
フィリポ達の真下の床に罅が入って割れ、地中より巨大な髑髏の頭を持つ肥えた百足、蟲界の精霊アバドンが現れた。
結界の土台が崩れ、四隅に置かれていた石像が崩れ、結界が消える。
「悪いな、俺、身体を作り変えて脱皮できるんだよ。すげぇ便利だろ?」
髑髏の頭の上に、先程までの青年の面影を残す少年が立っていた。
失ったはずの両腕も、斬られた腹部も、すっかり元通りになっている。




