第二十八話 死の紳士トニーレイル④
ランベールと、クロイツ率いる王国監査兵団『不死鳥の瞳』の第二部隊の剣士達は、テトムブルクの地下に存在する、大規模研究施設へと突入した。
ラガール子爵領・小型都市テトムブルクは、地下の大規模研究施設こそが本体であるといっていい。
ほぼ無人の寂れた街となっている地上は、地下施設を隠すためのカモフラージュに過ぎない。
ルルックがラガール子爵を抱き込み、領地に入り込んでからは、ラガール子爵の計画失敗によって生まれたゴーストタウンである小型都市テトムブルクの地下は、『笛吹き悪魔』達の巣穴と化していた。
地下の大規模研究施設は、入り組んだ通路がいくつも続いていた。
床と壁は石造りになっていた。幅はそれほど広くはなく、せいぜい三人が並んで歩くことができる程度の広さであり、圧迫感がある。
枝分かれした先には、また枝分かれした通路が続いている。
「まさか、都市の下に、こんな巨大迷宮があるとはな……」
クロイツが呟く。
「あの赤毛の青年が口にしていた通りであったな」
ランベールが応える。
赤毛の青年とは、車椅子の少女と共にテトムブルクより逃走中だった魔術師、アルアンテのことである。
『この地、テトムブルクでは……『笛吹き悪魔』の内部組織である『死の天使』が、この領地より集めた子供達を使って、魔術の研究を進めていました。テトムブルクにある寂れた教会堂にある、×印の付いた長机の下の床が、入口の一つとなっています』
アルアンテはランベール達と別れる前に、彼らにそう言い残していた。
ランベールはその地下研究施設にまだ『死の天使』の魔術師達が残っているのではないかと見当を付け、アルアンテの口にしていた教会堂より、地下施設へと入り込んだのだ。
だが、アルアンテはこうも言っていた。
『……しかし、行けば、きっと後悔することでしょう。あそこは、地獄です。私も、最奥部に当たる地下三階層へは足を踏み入れたことがありません。君では精神が持たないだろうと、『死の天使』の上層部の人間より、そう言われていたからです……。私も、地下三階層より下に降りて、気がおかしくなった人間を、何人も知っています』
それを聞いた『不死鳥の瞳』の面々は一様に顔を青褪めさせて身震いしていたが、ランベールだけはその話を聞いても『情報提供に感謝する』と淡々と返したのみであった。
クロイツの部下の兵士達はアルアンテの話を聞いて気力が失せかけていたが、ランベールの気丈な振る舞いを目にし、持ち直していた。
クロイツはその様子を見ながら、『この人はどれだけの修羅場を潜ってきたというんだ?』と疑問を抱いていた。
これほどの人物が、無名であるはずがないのだ。
剣技が立つのは秘境で修行を遂げたからだと納得できないこともないが、背負っているものが、人としての器が大きすぎる。
通路が続く。
クロイツは途中振り返り、もしかすると侵入者を挟み撃ちにするための構造なのかもしれないな、と気が付く。
前後から『笛吹き悪魔』の道を踏み外した高位魔術者が隊を組んで襲い掛かって来れば、溜まったものではない。
「……ここに踏み込むには、人数の桁が、あと一つは欲しかったな。『不死鳥の瞳』の全二十隊がいても、正直それでトントンといったところだろう。元々我々は、少数精鋭で各地の監査に当たるのが主な任務なのだ。まさかそれが、敵地に乗り込むことになろうとは」
『不死鳥の瞳』の第二部隊は、クロイツを含めて六人しかいない。
半数近くを、テトムブルクの地下施設より脱走した子供達の救助に当てたためである。
ランベールを合わせてもたったの七人。
この人数で、反国家組織『笛吹き悪魔』の研究所の一つへ挑もうというのだ。
はっきりと正気ではない。
敵は、中位から高位の魔術師が、三桁近くいてもおかしくない。
「この面子で乗り込むのが不服か?」
ランベールの問いを受けて、クロイツは笑う。
「いいや、自分でも信じられないが、まるで負ける気がしない。どうにも、頼もしすぎる助っ人がいるせいかもしれんな」
先陣を切るランベールが曲がり角の先へと進んだとき、床に座り込んでいる五人の老人が視界に入る。
老人達は背が異様に低く、肌が黒ずんでおり、全く動かない。
奇怪な容姿をしており、人間というよりはゴブリンに近い。
後をついてきたクロイツと彼の部下達が足を止め、剣を抜く。
「魔術師か? 気を付けろ」
子供ではない、ということは『死の天使』の魔術師の可能性が高い。
「ただの死体だ」
人というよりは魔物に近い、アンデッドであるランベールには、マナの流れをある程度までは感知できる。
床に座り込む五人にはマナは流れていない。
既に息絶えている証拠であった。
「……それによく見ろ。この子らは、ここに連れて来られていた子供だ」
「なっ! そ、そんな……」
クロイツ達が目を見張る。
近づけば、はっきりとわかってくる。
皺塗れの顔に、歯の抜け落ちた黄ばんだ口内からは緑がかった液体が漏れている。
顔の斑点模様は、免疫能力の大幅な低下によるものであろう。目は、顔は、恐怖と苦痛に歪んでいた。
まるで絵画に描かれる地獄の亡者のようであった。
「骨格が子供そのものだ。恐らくは、魔術によって老化させられたのだろう」
「そ、そのような魔術、聞いたこともありません」
クロイツの部下の一人である女剣士、フルールが口にする。
老化を強制的に引き起こす魔術など、そのような悍ましいものがあれば、噂にならないはずがない。
「いや、かつて八国統一戦争において、そのような魔術を研究していたものがいる、とは聞いたことがある……」
クロイツは目前の死体を見て、そう零す。
ランベールは死体へと目を向けたまま、沈黙していた。
足を止めて立ったままだった。
それにならい、クロイツ達も足を止める。
クロイツはランベールを見ながら、黙祷を捧げているのか、はたまたさすがの鎧の剣士でもショックだったのかと考えていた。
少しの間沈黙が続き、唐突にランベールが動く。
彼が大剣を抜いたと同時に、通路の先の何もない空間より、黒く淀んだ光の塊が幾つも放たれる。
光は振り乱される大剣に吸い込まれるように飛来していき、切断されて四散した。
否、ランベールの神域に達した剣術が、無数の光の軌道を全て見切った上で先回りして剣を振るうため、傍から見ていると光が大剣を目指して飛んできているようにしか見えないのだ。
「先走った王国兵が少人数で暴れていると聞いたから余裕だと思っていたのに、なんだ、強いじゃないか」
光が放たれていた位置より、女が唐突に現れ、綺麗に宙返りをしてから床に着地する。
赤と黒で彩られた、『死の天使』の錬金術師のローブが、空気の抵抗を受けて舞う。
黒と白の長い髪が地面へと垂れた。
顔の中心線より右は、若い女の顔だった。
髪にも肌にも艶があり、目もぱっちりと開いている。
無表情で愛想がないことを除けば、欠点のない美女といえた。
だが、顔の左側は、老婆のものであった。
目は窪んでおり、肌にも深い皺が刻まれていた。
唇も右側が毒々しいほどに赤く膨らんでいるのに対し、左側は血の気が感じられず、萎んでいた。
それを象徴するかのように、右手には黄金色の輝きを放つ林檎を、左手には黒ずんだ腐肉のこびり付く髑髏を手にしていた。




